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建築家 潤 の『独断と偏見』

「酔龍の独り言:その008」

先月の1月30日のこと、30年前に一緒に仕事をしていた方からの年賀状が来ていなかったので、入院でもしているのでは・・・と少し気に掛かっていたものだから思い立って電話をしてみたところ、本人が出て「あ~潤さん、久し振り。年賀状を貰っていましたね・・・」とスマホの向こうから元気そうな声がするではないか。
取り敢えず病気や怪我をしていたわけではなかったのだと安堵し、少し雑談をしていた後
「潤さん飯食いに行きましょう」と言うので「あ~良いねえ」と快く返事をして予定の入って無い日を選んで日時を決め電話を切った。
 会食の当日彼が18:00過ぎに事務所を訪れてくれ、馴染みの店があるからそこに行きましょうと言う事で一緒に出かけた。
彼の案内に従って馴染みだと言う居酒屋風の店へと向かい、久し振りの再会に祝杯を挙げて、歓談していたのだが、酒が入って少し悪ふざけが過ぎたのか、横に座っていた彼が私の肩を少し押したところ、高い椅子に座っていた私は均衡を失い椅子ごと真横に倒れ込んでしまった。
倒れ込んだときは何事もなかったのだが、起き上がろうとした時に足を滑らして、椅子の背もたれの部分で胸の左側面辺りを打ち、少し痛いな との感じがしたけれど酒が入っているせいもあり、大して気にもせずにそのまま飲食を続けた。
少し時間も経ち、酒と料理でお腹も満腹に近くなった頃「潤さん、もう一軒行きましょう」と言うので「いいねぇ~行きましょうか」と又もや快く返事をして、次は私の馴染みの店へと案内して二時間余り飲んだろうか・・・「もう一時になるから帰りましょう」と店を出てタクシーを捕まえ家路に着いた。
翌朝のこと目が覚めてベッドから起き上がろうとした時のこと、左胸の肋骨部分に急激な痛みが走った。
「あれっ何故?あっあの時に転んだせいで肋骨が折れたのかも・・・」と記憶が甦り、痛い思いをしながら朝食を済ませて支度を整え会社に出かけた。
 当日は10:30に約束事があって、依頼者と共に司法書士事務所を訪ね、打ち合わせを終えた後に直ぐタクシーを拾って市内の外科行院へと足を運んで診察を受けた。
レントゲンを撮り写真を見せて貰うと7番目の肋骨が折れていると言われ「折れ方と折れた場所が良いので?三週間もすれば治るでしょう」とのことであったが、胸に湿布薬のようなものを貼った程度でそれ以外は特別な治療もなく、ただコルセットを胸に宛がうだけの処置で終わりました。
その後は「咳」と「くしゃみ」に悩ませられながらの日々を過ごしています。
「咳」が出ると300ボルト「くしゃみ」が出ると500ボルト位と思われるような電圧の衝撃に近い痛みが胸の横辺りへと伝わり突き刺さるような感覚に襲われる。
やれやれ、七十年間生かされて来て初めての骨折が肋骨か・・・と、この起こった出来事を避けることが可能な状況があったのか、なかったのかを思い出しながら振り返ってみた。
しかし、飲食に誘われたことを断る以外に、いずれかの選択肢があったとしても、避けられなかったのだと自覚した(電話を入れたのは私の方であり、飲食の日も予定のない日を選んだのも私だからねぇ)。
つまりこの日は私が生まれ出でた時に持って出た私の人生の脚本に骨折をする日と決められていた日であり、その予定に従って骨折したという以外の何ものでもない事柄であると納得して痛みに耐えているが、なに高々後三週間の辛抱だ。

 今日は先日テレビのニュースで見た内容が、ひねくれ者の私の心に少し引っ掛かったのでそのことをお伝えしてみたいと思います。
平成十年に台風10号が中国地方を襲い岡山県にも大きな水害が起こったときのこと、津山市の牧場で飼育されていた子牛が何頭も濁流に飲まれ流されたが、その内の一頭(生後六ヶ月)が90㎞ 離れた瀬戸内海の離島(黄島)に漂着していたそうである。
その約一週間後にこの子牛が発見されると行政を含めて報道者達は「奇跡の牛・元気君」と名づけて飼育されていた牧場とは別の場所で育てられ市民から愛され、惜しまれながら令和2年1月14日に天寿を全うしたということであった。
齢21歳(人間に換算すれば100歳を超える)で死因は老衰と言うことであった。
 何故発見された後に元の牧場に戻さず別の場所で育てられたかについては、その牧場は食肉用に子牛を飼育している牧場だから、そこで育てるわけにはゆかないという事になって、食肉にしないのであれば、観光用?として別の施設で育てようと言う事になったに違いない。
本来であれば数年後には屠殺場に送られて、これまでに奇跡の牛にあやかろうと見学に来ていた人達の胃袋にも入っていたかもしれないのだがねぇ。
さて、この子牛は屠殺場に送られての天寿が良かったのか、飼育されて21年間生かされた天寿が良かったのかについては(丑年生まれの私でも)牛ではないから解かりようがないけれども、余りにも勝手の良い人間の都合に少し違和感を覚えていると言うことです。
 子供の頃に見た映画「十戒」では神の子「モーゼ」を主人公にした物語の中に愚かな民が「金の牛」を作り偶像として崇め神の怒りを買った場面があったように記憶している。
もしかすると今回は「生きた子牛」を偶像化(商品化)したのではあるまいかとの疑念が湧いてしまったのです(愚かな民の表現は映画の中での話をしただけで、念のため申し添えます)。
昭和の30年代の頃まで「牛」は農作業などの労力の担い手として人と共に生活をしていて、個室?まで与えられ、人は牛もわが子のように慈しみ大事に育てていた。
その牛が病か老衰かで死んだ後は食用にしたのか肥料として使ったのかは知る由もないけれど、人と共に生活をしていた頃の牛は幸せであったのではなかろうかと想像する。
牛の労力が耕運機やトラクターに取って代わられてからは、乳牛(雌のみ)は乳を搾るために生かされ、黒毛和牛は食肉用へと用途を変換させられてしまった。
つまり、現在の黒毛和牛は一部闘牛としての用途を除けば殆どが食肉用としてこの世に生まれさせられる訳である。
牛に限らず競走馬を除いた馬も鶏・豚など全てが育てられた数年後には食用とされるその宿命から逃げられない定めを負ってこの世に生を受ける。
人は牛・馬・豚・鶏を殺してまで食べなくとも生きてゆける生き物であるにも拘らず、これら生き物の生殺の与奪権を行使してまでの傲慢さは如何なものであろうかと心が痛む。
それも高々「美味しさ」の追求から始まったものが多いのだから本当に人間の「欲」とは始末が悪い。
 キリスト教では「牛・羊」は人間が食用とするために神が与えた生き物であるとの話を聞いているが「十戒」での話の内容が本当であれば「金の牛」がもし「金の鯨」であったなら神の怒りを買うことはなかったのであろうか?との冗談交じりの疑問が生じる。
取り留めの無い内容になってしまいましたが、牛や馬の限らずこの世の全ての生きとし生けるものは「感情」を持っていることを知っている人は少ないであろう。
例え虫けらと言え「感情」はあるのだが、残念ながら人にはその声が届かないが故に無視されているだけである。
その声が人に届けば人は食用として牛・馬・羊・鶏などを食用目的だけに飼育することはなかったのではないかと思うばかりである。
このようなことを言う私でも黒毛和牛は食べるし宮崎地鶏は大好きな食べ物である。
ただ願わくは、生きている間はその鳥の卵を頂き、その鳥が天寿を全うして後に、その肉を戴くのが自然な生き方であろうかと信じているだけある。
でも労働力として使うことが出来なくなった黒毛和牛はどうする?の疑問に対する答えがない訳でもないのだが、現実的ではないので、残念ながら科学の発達が生んだ悲哀として片付ける以外にないのかも知れません。
 これを言うからいけないのは解かっているのですが、言いたくなるのが私の悪い癖で、「奇跡」を言うなら、若い方はご存じなかろうと思うけれど昔「坂本九」と言う歌手がいまして「上を向いて歩こう」の大ヒット曲(アメリカでのそのレコード名はスキヤキとして発売され大ヒットとなった)を歌った戦後の復興期を代表するような素朴な感じがする青年であったが、惜しいことに飛行機事故でなくなってしまった。
飛行機が墜落した山の名は「御巣鷹山の山頂」だと記憶しているので、インターネットで検索すればこの事故ことが詳しく出ていると思います。
亡くなられた多くの乗客に中でただ一人怪我を負いながらも助かった方(女子中学生だったか高校生だったか)がいました。
当時は同じく「奇跡」と言われていましたがマスコミに出ることを拒み続けていたとの記憶もあり、きっと未だご存命だと思いっています。
人を含め生きとし生けるものの生死は天(自然界)が定めるもの、この世に生まれ出でた時に死ぬ日と死に方まで決まっていると捉えた方が良く、つまり「奇跡」ではなく「定め」に従わされただけと捉えると全て(不幸な事故や奇跡と言われること)が解決します。
信じるも信じないもその方の価値観人生観に拠りますが、数秒の差や乗り物の座る位置で
生死が分かれている状況を見ればご納得頂けませんでしょうか。
尤も易学の大家や霊能力の優れた方にはある程度判るようですけれど。
雑学の一つとして捉えて下さい。
 「双龍物語」も校正を加えながら時間のある時を使って書き続けています。
次回は「双龍物語」の続きを掲載します。



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「酔龍の独り言:その007」

 昨年カード被害に遭った金額は先日郵貯銀行から直接貯金通帳に振込みがありまして、実質の被害は無かったことになりますが、このようなコソ泥のような輩の被害が防げない社会も困ったものだと思います。

 さて話は変わりまして、昨年のこと私は12月24日をもって古稀になりました。
ご存知のように自動車運転免許証は高齢者になると「高齢者講習」を受講するようにとの通知が来ます。
私にも漏れもなく誕生日の1ヶ月前までに通知が来まして、近隣の自動車学校にて「講習」を受けることになりましたが、案内の通知には講習内容についての記載はなく、講習を受けることができる曜日と時間帯に加え費用についてのみの記載だったと記憶しています。

交通安全協会からの通知なので、仕方なく講習の申し込みをして講習日を決め、2週間余り後の講習日当日に自動車学校に出向き、受付にて手続きを済ませて講習料の五千円程度(であったと記憶しています)を支払い「高齢者講習」なるものを受けることになった。
当日は私を含めて十数人の高齢者がこの講習を受ける予定のようで、案内された講習室では最初に簡単な「何故高齢者講習なのか」の説明がありまして、その後は二種類の機械を使った視力検査が行われたので(高齢者講習で視力検査・・・?)不思議な感覚を覚えました。
そして講師なる人物が言うことには「結果として目が悪いとか急激な明暗の変化に対して視覚の反射が遅いとかで免許の更新に支障があるわけではありません。ただご自身の視覚状況がどのような状態にあるかを認識しておいていただければ結構です」との話をしたものだから、余計にこの検査に重要な意味があるとは思えなかった。
目の検査が終了した後は免許の更新に至るまでのこの五年間で道路交通法に係る法令の改正などがあればその話があるのかと思っていたのだが、何と今度は自動車学校以内の施設である運転コースで実施運転をするのだというではないか。
それも教官を助手席に座らせてその指示通りに運転をするのだというのだから、まるで仮免試験のようなものである。
しかし、ここでも講師が言うには「普段通りで運転してもらって結構です。脱輪してもポールを倒しても別段構いませんし、それで更新に支障があるわけでもありません」なのだから、この「高齢者講習の目的」は一体何?の疑問が更に湧いてきた。
そして自分の順番が廻ってきたので、いよいよ運転する羽目になりました。
もう十年程前に車を手放してからは年に数度の運転を僅かな時間する位で日常の運転は殆どと言ってよいほど運転をしていないけれど、昔とった杵柄で難なくコース内の運転を終えました。
これで「高齢者講習」は終了となり不思議な思いをした数時間でした。
終了証明書を貰って帰途に着きましたが、帰りのバスの中でも「一体何の目的での講習内容だったのだろう・・・」の疑問が拭い去れず、ひねくれ者の私が想像した考えは次のようなことに至りました。
 近年の少子高齢化に加え、若い人の車離れで(理由は車の所持には費用負担が大きいし、所得も少ないから・・・のようである)、現在新たに運転免許取得に来る若者の数は団塊の世代の私達の時代と比較すれば激減している。
公認の自動車学校は、ある意味都道府県が管轄している免許センターに勤務していた定年退職者の受け皿になっている所でもあるから自動車学校には何とか収入を得て貰わなくては困るのであろう・・・人数が多い団塊の世代辺りに講習を受けさせれば十分な収入が見込めるので、これで何とか収入源を補えるではないか・・と目論んだのであろう推測した。
自分達の権益を何とか守ろうとして国民に負担を強いる役人の考えそうなことである。
間違っていたら大変申し訳ないことであるが「高齢者講習」の内容から推察してみてのことなので、恐らく外れてはいないと思います。

 そしてその後、仕事との兼ね合いを見計らって運転免許センターにて運転免許証の更新を行いました。
まず受付に始まり、目の視力検査(今回もこの為だけに眼鏡を新しく購入しました)を受け、免許証用の写真撮影が終わって暫く待っていると案内があり、長いこと待たされたけれどやっと優良運転者講習が始まるのか・・・と思って案内された所に行くと更新後の免許証が手渡され「これで終了ですからお帰り下さい」と言うではないか!?「講習はないのですか?」と尋ねたところ「高齢者講習を受けておられるのでありません」の返事が返ってきた。
「高齢者講習」は目の検査と実施のコース内運転だけだったので、道路交通法に係る法令の改正がその後あったのか無かったのかも解からずに帰途に着きました。
何なのでしょうか、この一連の流れは・・・高齢者は道交法の改正などについては自分で調べなさいと言うことなのですね。
さて、インターネットが上手に使える高齢者がどれほど居るのか判りませんが、何やっているのか理解出来なかった「高齢者の運転免許更新」でした。

最後に私事を・・・今年のお年玉付き年賀状の当選番号を調べてみたところ、2等の下4桁が当選していました(今年はありませんでしたが下3桁の当選は何度か経験があります)。
また、これまでに「暑中見舞い用のカモメール」で1等当選の経験が一度だけありますが年賀状では始めての下4桁当選です。
このようなことは宝くじと一緒で偶然のなせる業の結果ですから、当選したので素直に喜こんでいます。



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「酔龍の独り言:その006」

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
私事ですが昨年12月に同月10日付けのクレジットカード利用代金請求書が届いた。
このカードは郵貯銀行とマスターカードが連携して発行しているカードでキャッシュカードとクレジットカードが一体になっているものなのだが、私は一度もこのカードを使用して物を買ったり、融資を受けたことがない。
しかし、明細書を見てみると11月13日に2件・同14日に一件の利用がされたことになっているではないか!そしてその3件の合計金額は¥11,976-でカードが使用された場所はロンドンとなっている。
一体誰が私のカード情報を盗んだのか?キャッシュカード以外に使用した事がないのに何故何処から情報が漏れたのか不思議で仕方がなかったが、これ以上犯罪者を増長させないためにも引き落としを阻止して被害を食い止めようと思い、日曜日ではあったが年中無休と書かれていたので利用代金請求書に記載されている会社に電話を入れ被害にあっていることを伝えて、引き落としを止めるよう依頼し、また同じ事が起きるかもしれないのでクレジットカードの廃止を申し込んだ。
翌日の月曜日には郵便局に行き同じく被害の状況を伝えて、カードの廃止と新しいキャッシュカードを申し込んだ。
これで、不正利用された代金の引き落としは無くなると言うことだったので安心していたのだが年末の31日ATMで貯金通帳の記載をしてみると、不正利用されていた金額が引き落とされているではないか!被害金額は大した額ではないけれど結果的に犯罪者を擁護してしまったことに対しての憤りが湧いてきた。
何のためにクレジット会社に連絡を入れたのか全く意味がなくなってしまったのである。
年が変わり6日の月曜日に郵便局に行ってこの状況を伝えたところ、郵貯銀行ではクレジットの引き落としを止めることは出来ないので、クレジット会社の方へ申し込まなければダメだという。
だから、その件に関しては被害が判った時点で直ぐに引き落とし中止をクレジット会社に申し込んだにも拘らずこのようなことになっているし、郵便局窓口でも「これで、引き落としはされないんですね」と念を押したところ「はい大丈夫です」との返事であったことを言ってみたが郵貯銀行ではクレジットの引き落としを止めることは出来ないと言うのである。
まあ何と無責任な発言であろうか・・・と思うが、局長も出てきて「被害の保障もあるようなので・・・」と言いながら心配をしてくれ、クレジット会社の対応に協力してくれた。
その結果クレジット会社の対応者が「後ほど被害の係りから連絡を入れさせますので・・」とのことで現在連絡を待っているところである。
 しかし、一度も使用したことのないカードの情報が一体何処から漏れたのかが一番の関心事項で、なんとも恐ろしい世の中であることを実感した。
この様な事故が起こることを承知の上で政府はキャッシュレスを推進しているのは何故なのか?それもポイント還元などの誘いまで仕掛けてやっているのだから、きっと何らかの企みがあるに違いないと思うが、本当の思惑とは一体何なのだろうか?誰か教えて下さい。
 この用な目に遭ったので、他のクレジットカード(最近ではデパートや量販店などでもクレジットカード付きの専用カードを勧めてくるので数枚持っている)の融資金額と使用限度金額を引き下げることが出来る話を聞いたので、直ぐに各会社に申し込んで使用限度金額を下げる手続きをしておきましたが、どうか皆様も気を付けて下さい。
明日は我が身かも知れませんし、一端このようなことに係りあうと手続きがとても面倒でその対応にも腹が立つし、生産性のないことに時間を奪われ良い事など何一つありません。

 
話は変わりますが、昨年のことニュースで知ったのですが、中村哲さん(医師)がアフガニスタンで銃撃を受けて亡くなったと言う悲しい報道を聞いた。
この報道を聞くまで情けないことに彼が長きに渡り、官の支援を受けずにアフガニスタンで現地の方々の支援をしていることを知らなかった。
傲慢で金儲けのことばかりに血道を上げている医者が多い日本の中で、海外にまで出向き真の支援をし続けていたことに頭が下がる。
その海外が何故アフガニスタンであったのかについて詳しくは知らないけれど、きっと何かの縁があったのであろうと想像する。
彼が支援していた内容を報道で知りましたが、これに比べると政府のやっている海外支援など彼の功績に比べると質の低さが目立つように思うのは私だけであろうか。
彼のような人物にこそ国民栄誉賞や勲章を授けるべきであり、スポーツ選手や長きに渡り官の仕事をしていた人に与えるべきものではあるまいと思う。
スポーツ選手は己の欲と名誉のためにやってきた功績であり、官の仕事は自らが手を挙げて国の為国民(市民)の為にとやってきたことである。
国民栄誉賞や勲章に値するとは思えないのだがねぇ。
ひねくれ者の私だからこのように考え捉えるのかも知れないけれど、本質を見ればどちらが正論か解かりそうなものだと思いますけど・・・。
と言う事で、今年も宜しくお願い致します。

余談になりますが、本稿を書いている時に新年の挨拶回りで仕事仲間が訪ねて来ました。
カード被害に遭った話をすると「実は私も現在覚えのない請求が来ている」と言うのです。
カードの会社は航空系だと言っていましたが、被害額は¥8,000-程度でメールでの通知が先に来たので請求書が来てから対応すると言っていましたが、このように身近な出来事になっていますので、本当に気をつけて下さいと言ってみたところで防ぎようが無いのだから困ったものである。そうしている内に郵貯銀行から電話が掛かってきて「被害額は直接銀行口座に振り込みます」との知らせであった。
小額ではあるけれど、金銭的な被害としては無くなりましたが、この様な社会が本当に便利で快適な社会と言えるのでしょうか?何処かで行く道を間違ったしか思えません。



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「復活 くたばれ建築基準法:追録の14」

 先月から仕事が重なってしまい、図面を描き、仕上げ、完了検査に立会い、新しい依頼の企画・計画図の作成対応に追われていましてブログの更新がままならず、やっと少し落ち着きましたので、早年末近くになってしまいましたが更新します。
近い内に「双龍物語」も必ず更新する予定ですが、その前にどうしてもお伝えしたいことがあって今日はその内容にいたします。 

また建築基準法が改正と改悪?(と思われます)が行われました。
まず改正の方からお伝えしますと、建築基準法施行令第112条(防火区画)12項13項には(俗に・異種用途区画)と呼ばれる規定があるが、その一部が削除されました。
法文が削除されるのは異例なことですが、今回それが行われ、前記載の12項には次のような法文がありまして、法文のまま記載しますと [ 建築物の一部が法第二十四条の各号のいずれかに該当する場合においては、その部分とその他の部分とを準耐火構造とした壁又は法第二条第九号の二ロに規定する防火設備で区画しなければならない。] ですが、一般の方にはこれが何を意味するのかも判らないと思いますので、その一例を砕いて説明すると、一般の住宅であれ床面積が50㎡を超える自動車車庫を設けようとすれば、その車庫から住宅内部に出入りできる扉や開口部(窓など)は金属製の扉にして、壁の部分は一定の防火性能を有する仕様にしなけければならないと言う規定です。
尤も金属性の扉であればどのような物でも良いと言う訳ではなくて、国交省が規定した性能評価試験に合格した物でなくてはなりませんし、壁の防火性能に関しても細かな規定があり、その両方を満足しなければ50㎡を超える駐車場付きの建物は建てられません。
これ以外にも「倉庫」に関する規定もあったのですが、この法文には少し首を傾げたくなる内容で、2階建ての建物に限ってその中に「倉庫(収納物品の可燃・不燃の種類を問いません)」があり、その床面積が200㎡を超えていれば、前文と同様に扉と壁に規制が掛っていました。
3階建て以上の建物であればこの規定は適用されませんので、この意味する内容は一体何なのだろう防火?・避難?の疑問が解けないでいましたが、削除されたので国民にとっては良き方向と言ってもよいのではないかと思っています。

 これ以外にも建築物の新築工事においては建築確認申請の交付(都市計画区域外で除外の建物もあります)を受けなければ建築物を建築してはならないこととされていますが、学校・映画館・保育園などの特殊建築物と称される用途であれば、現在建っている建物の内部を改築して使用する場合も床面積が100㎡を超えれば建築確認申請(用途変更)が必要とされていました。
しかし、この法文中の「100㎡を超える→200㎡を超える」に改正されたのです。
100㎡とは10m×10mの大きさで、坪数にして約30坪の面積です。
ビルの中に企業型の保育園を設けようとすれば、100㎡の面積では十分に余裕を持たせた企画が出来ず手を焼いていましたが、今回改正されましたので少し良き方向へ舵が切られたかと感じています。
これで、200㎡以下の面積であれば建築確認申請(用途変更)の交付を受ける必要はなくなりましたが、届出は必要なので、確認申請から届出に変わったという事になります。
この建築確認申請(用途変更)から届出への変わりは大変に大きく、私達設計者の業務の内の大部分を占める設計内容に変わりはありませんが、建築主が負担を強いられる「審査手数料・完了検査手数料」が必要でなくなり、審査機関が行うグズグズと言い掛かりにも等しい「いちゃもん」に付き合わなくて良くなりましたので、時間が有効に使えるようになりました。
でも充分に余裕を持たせて100㎡を超える広い面積で企画を行い、同確認申請(用途変更)を提出すれば良いではないかと言われそうですが、費用と時間がもったいないのです。
10万円に近い費用に加え、1ヶ月以上の審査期間を必要とされるのであれば、出来れば避けたい と思うのが設計者の良心であろうと考えてしまうからで、特に期限が決まっている場合(補助金申請)などではとても助かります。
保育園などでは工事が終わらなければ、補助金は疎か開園まで出来なくなる憂き目に会うからです(認定保育園などでは他に所轄保育課の検査に消防の検査もありますのでねぇ)。
建築確認審査機関は建築主の都合に合わせて残業をしてくれたり、建築確認検査済証の交付を早くしてくれることはまず皆無に近く、相手任せの世界なので、こちらの努力も誠意も全く通用しない情けない形態なので、少し気持ちが楽になりました。
 
 さてと、改悪と言わなければならないようなこともありまして、その法文が削除された時期と前後して、ある企業の不良工事の発覚が世間を騒がしました。
その法文とは建築基準法施行令第114条1項1号2号に規定されている共同住宅・長屋の住戸間「界壁」と言われている部分のことです。
住戸間「界壁」とはマンション・アパート・長屋など、入居者同士を境にしている壁の事を指します。
「界壁」と呼ばれるこの壁の仕様は防火に関する仕様よりも厳しい対応が求められていて、施工業者泣かせの面倒臭い工事ではありましたが、入居者にとってはとても良い構造のものだと捉えていました(遮音・防音が主たる目的で作られた法です)。
この法律が削除されたころ、友人でもあるシステムエンジニアの方が当社のパソコンの不具合を修理に来てくれていた時のことです。
「いやぁ以前長期の出張でRパレスの一部屋を借りていた時のことです。玄関の呼び鈴が鳴ったので玄関に出てみると、隣の住人の所でした。でも自分のところが鳴ったほどに大きく聞こえたので、それが理由でしたか・・・納得できました。」と話していました。
そうです、この「界壁」の手抜き工事で日本全国に何万戸もの不良物件を造って稼いでいたあの会社のことです。
恐らく信じられないほどの巨額の差額金を手にしたはずで、これは明らかにアパートの建て主に対する詐欺行為です。
通常であれば、倒産しても不思議ではないほどの補償と改修工事費になるはずであったが、倒産の話を聞かないし、糞蝿報道者達も何ら報道すらしなくなった。
それもそのはず、確か報道各社がこの違法工事を報道し始めて暫くたってからのことだと思いますが、この「界壁」の部分の法文が削除されたのですから、それまで違法であったものが、少し手を加えるだけでその日を境に合法に変化してしまいました。
これでRパレスの建物は僅かな改修工事の費用で済むようになったと思います・・・一体何なのでしょうか、この時期にこの法文の削除です。
国交省の天下りを数名でも受けているのではないかと勘繰りたくもなるし、仮にそれはなくても他の大手プレハブ各社も同じ様なことをしていて、それの目隠しに利用されたのではなかろうかと思わざるを得ない私は、やはりひねくれていますかねぇ。
しかし、燐家の声や音がまる聞えの部屋で、男女間の睦み声まで響き渡るのでは、性犯罪の増長にまでなり兼ねないことなどお構い無し!で、これは不眠症大量増産政策ですか。
企業を助けて国民を殺すようなことを平気でやる霞ヶ関ではねぇ・・・令和の信長早く出てきて何とかしてくれえ~。



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「酔龍の独り言:その005」

 少し前にスウエーデン在住の10代の少女が地球温暖化による気候変動の危機を訴える防止活動を始めていて、国連で演説をした記事が大きく取り上げられていた。
この少女は日常の移動に伴う交通手段でも飛行機には乗らず、鉄道や船を利用していると言い、飛行機は大量のCO2を排出するので、講演先のアメリカに向かう手段としてヨットを使って大西洋を横断するということが報道陣達に受けたのであろう。
確かにヨットでは殆どCO2の排出は無かろう、しかし大西洋を横断するには15日も掛けなければならず、数名の乗組員やヨットの手配に加えて、それに掛る人件費を含めた費用をどのように考え捉えるかが論点から抜け落ちてはいまいか。
ヨットなど一般人が通常の移動手段として利用するには余りにも現実離れしているのに、この部分は蔑ろにされているし、飛行機が大量のCO2を排出するのは事実として、しかし所要時間は乗客2百名以上を乗せて、僅か1日足らずであろうと思われるのに、一般人にとってヨットは非現実的として、もし千名以上が乗船可能な客船で移動するとすれば一週間程度を見込まなければならいのではないかと考え、それに必要な動力が排出する乗客数一人当たりのCO2量との比較検証もしないで、この話題を取り上げる報道者達の軽薄さには呆れてしまう。
地球温暖化の犯人は人間が便利さを追求することによって生じるCO2の排出であろうと言われているが、これは消去法による結果であって、確証では無いとの説もあるようです。
結果CO2が地球温暖化の真犯人だとして、その大量輩出の元凶は間違いなく「車」であると私は考える。
車一台と飛行機1台が年間に排出するCO2の量はとても比較対象にならないだろうが、全世界のそれぞれの稼動の台数を掛け算すれば圧倒的に「車」のほうが多いように思われる。
この報道はある意味話題性があるだけで、未だ無知な子供が一面だけを見ての行動を必要以上に賞賛する報道者の姿勢はとてもいただけるものではありません。
(念のため申し添えますが、この少女の活動を否定しているわけではありませんからね)

最近「双龍物語」に力が入り「酔龍の独り言」が疎かになっていましたので、今日は一気に書き上げます。
 少し前にまた新しい「宝くじ」ハローウインの発売が開始された。
テレビの宣伝も盛んにやっていましたが、芸能人や落語家を起用し「買わないと言う選択肢は無いやろう」とまで言わせていましたが、因果関係から言えば確かに買わなければ当たらない「宝くじ」ですが、結果から言えば買っても当たらないのが「宝くじ」です。
それは皆さんも良くご理解しておられることと思いますが、金の無い一般国民の射幸心を煽り、今以上に金を集めようとする自治省のいやらしさは如何なものであろうか。
宣伝に出演している芸能人や落語家には2等か3等の当たりくじ程度?いやそれ以上の金額が支払われているかもしれないのに、それでも買いたくなるのを射幸心と言うのだそうですよ。
 
何度も同じことを口にすることになるけれど、今回の関西電力経営陣のお粗末さと矜持のなさには呆れてしまい、言いようの無い寒々しい気持ちになってしまいました。
商売には「三方良し」の原則があると一昔の事業家は言っていまして、確か「客良し・店良し・自分良し」だったと思いますが、お客に喜んで頂き、店(看板や社員)に対しても恥ずかしくなく、それから最後に店主である自分も良い状態を維持することが商売の基本であると言う意味だそうです。
一人で商売(事業)を始め、仕事と金の苦労に人の苦労、役人の股の下を潜るような思いを強いられる状況を何十年にも渡って続けながら築いた信用と育ててきた社員が何ものにも変えられない財産であると自覚しているからこそ、自然と己の心の中に「矜持」のようなものが湧き出てくるものなのだが、苦労が全く無いとは言わないけれどもサラリーマン社長にはこれが無いし、してきた苦労の質が全く異なることの理解は到底できまい。
だから「越後屋お主も悪よのぉ~」が通常感覚を逸脱している事柄であるにも拘らず、単なる謝礼であり、風通しを良くする為に仕方なくしたのだとの方便が罷り通って居直れる。
重ねて言うが「特に大企業の経営者・役人」は世人の手本となるべき事業形態と人格を現わさねばならず、立身出世を果たした人物や権限を持って人の上に立つ立場にある者の「義務」であると思いますけどねぇ。

 安部総理の今回の台風19号の被災地・被災者に向けた発言をテレビで聞いたが、その内容は確か「省庁から150名を被災地に派遣して復興の支援を行うようにしていますし、復興には7億円の予算を組んで・・・・」であったと記憶している。
省庁の役人が被災地に行ってボランティア活動をするというのなら、総理の発言は有難いと思えるのだが、現実はそうではなくて、役人が被災地に行くと言うことは地方の自治体に行くことであり、被災地に足を運び被災状況を見て、直接被災者と会って現状の不便や困りごと、要望を聴いてその手助けをすることではないのだ。
被災を受けた自治体は中央省庁の役人が来れば接待をしなければならず、それに時間を取られてしまっては復興業務が疎かになることにも繋がるだろうから、返って迷惑なことと思っていることだろうと想像する。
組まれた復興予算7億円も何日居るのか判らないけれど、役人の出張旅費(日当として課税対象外)と旅費・宿泊費で幾ら消えてゆくのだろうと思うと情けなくなる。
片や日本中から集まっている支援のボランティアの方々は旅費・宿泊費を含め全てを手弁当で持って泥まみれになりながら活躍しているし、外国のラグビー選手は試合が延期になったからと言う事で、やはり泥まみれの顔をテレビに映していた。
これが日本の政治と役人の仕組みを見事に物語っていると言って良い現状ではなかろうか。
綺麗で美味しいところだけ役人はつまみ食いをし、汚くて重労働の部分は国民の善意に甘えている現状では、きっと恥ずかしいと言う意識など持ち合わせてはいないのだろう。
「越後屋お主も悪よのぉ~」を口にする悪代官を懲らしめるため「この印籠が目に入らぬか!」の決め台詞を言う黄門様は現在の千代田町にも桜田門の辺りにも居ないのだから世も末だということだ。

消費税が10%となって、複雑極まりない課税方式に商店も消費者も困惑している現状下であるが、ペイペイなどと言う訳が判らない支払い方式だと消費税の一部が還元されると言う政府の方針には何が目的なのか輪をかけて判らない。
カード会社への利益誘導なのかスマートホンの普及が目的なのかもあやふやで、これらを普段使用していない年寄りは戸惑っているけれど年寄りは、だからと言ってカードを購入(するものなのかしら)?したり俗に言うガラケーをスマートホンに替えたりはしない。
現金での支払いとカードやスマートホンを使っての支払いに何の差があると言うのだろうか?何故現金の支払いだと消費税の還元が受けられないのか、政府の真の目的とは一体何なんだろう。

 NHKのニュースでの話しですが、経済面で株価などを知らせる囲みがある。
外国の為替やアメリカでの株価は口頭で伝えるが、日本の株価は画面で表示されるだけである。
これは何故?だろう、私は株を扱うことが大嫌いなのでどうでもよいことではあるけれど、盲目の人が株価に興味を持っていたら不親切だと思うがねぇ。
副音声で知らせているのかもしれないが、日本の報道社が日本の株価を口頭で伝えず、アメリカの株価は口頭で伝えるのは何か深~い理由でもあるのだろうか。

 最後に女の教員が後輩(イケメン?)を同僚と一緒になって苛めていた件などは現在の日本の恥部を象徴しているような事象ではあるまいか。
真偽は定かでないけれど、中年女の欲情が発端で悋気によるものだろうとの記事を目にしているが、生徒の虐めが社会問題なっている中で同僚を巻き込んでのこの行為はとても看過できるものではないし、大人として恥ずかしい気持ちが生じないのだから呆れてしまう。
またその者を指導監督する立場にあるはずの教頭・校長が取っていた対応や処置も記事で読んだけれど、税金で生活を成り立たせている地方公務員の自覚も無い輩達と言われても仕方の無い有様で、これでは生徒による校内の虐めを無くす事など出来るはずもなかろう。
これが大人と言われる立場の人物が構成している今の日本である。
良き昔の日本は一体何処に行ってしまったのであろうか。
これに関連しているかどうかは判りませんが、NHK朝の連続テレビ小説は少なくとも過去数件共に高視聴率を維持しているようです。
そして、その時代背景は全て戦前から戦後に掛けての物語となっていたことに気付いておられるでしょうか?貧しくとも物が無くとも不便であったけれど生き生きとして人が人として生活していた良き時代であったから皆がその心を取り戻したい、あの時のような社会に戻れるものなら戻せたいと思っているからではないでしょうか。
余計なことを一言言わせてもらえれば、現在の連ドラの題名は「スカーレット」欧米人の女性の名前ですよね。陶芸家を目指す日本の女性が主人公なのに何故この題名なのだろう。



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「酔龍の独り言:その004」

 今年の広島は結局のところ梅雨が無くて、台風による雨が降った後に突然夏が来たという感じで、これまで規則的な周期を繰り返していた気候が近年少し変になっているのではないかと思えることが多くなりました。
地球規模で天変地異が起こる前触れで無ければ良いのですか・・・。

 久し振りに書店で本を探していたところ「養老猛」氏の本(題名は「遺言」)を見付けて手に取り、頁をめくりながら中を拾い読みしたところ興味深そうな内容に思えたので購入した。
しかし内容はとても遺言とは思えないようなもので、氏にとっては最後の著書という意味合いなのかも知れないと感じましたが、氏の伝えたいと思われる遺言の内容は哲学書だと感じられるようなもので、読み終えたらもう一度読み直したいと思えるほどの記述でした。
このような本を上梓し無知な私に啓蒙を与えてくれる養老猛氏に感謝の意を表します。

 さて、私の愛煙は十六歳の時より始まって、今年でもう五十三年の付き合いになってしまいました(今の時代では自慢にならない話ですけど1日40本程度は体が要求します)。
これまでは事務所の中で喫煙をしていたのですが、諸事情を鑑み数年前からは事務所の中では吸わず1階の駐車場に下りてタバコを飲んでいましたが、今年に夏は余りにも暑くて、外でタバコを吸っている間が苦痛に感じられるようになり、3階にある事務所の窓から顔を出してタバコを吸っていた時のことです。
三十代前後と思われる女性(母親であろうと思われる)に手を引かれて歩いた女の子の上向き加減に笑っている顔が見えたのです。
明らかにダウン症の子供だと思ったけれど、その仕草と笑みに例えようのない美しさを感じた。
もうすぐとても楽しいことが待っているのだろうか、少しはしゃぎ加減で歩く姿とその笑みは穢れ無き微笑みと表現しても言葉が不足しそうなほどに心を震わされてしまいました。
今思い出しても、目頭が熱くなり心が締め付けられるような感情が湧いてくる。
この親子に幸多からんことを祈る以外になす術がないのだけれど、自然は時折人に対しても惨い仕打ちをするものだと改めて考えさせられた日になりました。

 先日の朝のこと、バスでの通勤時につり革を持って立っていたところ、三十五才頃と思われる男性に席を譲りかけられました。
見た目で頭は薄くて、残った髪は真っ白では仕方がないかと・・・思えども、本人にとっては衝撃的な出来事で、何だか人生が終わりに近づいたような気持ちにさせられました。
でも思い遣りのあるこの男性に感謝します。




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「酔龍の独り言:その003」

 広島は入梅宣言から2週間が経とうとしているのに、雨は降らずに晴天が続き、ダム貯水量は二割を下回る状況下となり、今後渇水が起こりそうな気配の中、数日前から夏が来たかと錯覚した蝉まで鳴き始めました。
七十年近く人生を歩んできましたが、今まで経験の無い初めての気候を体験しています。
 
さて、もう報道者達は過去のことのように報道をしなくなりましたが、忘れかけた頃に、何かを言いたくなるのが、本ブログの特徴なので、今日はこの話題から。
香港の「逃亡犯条例」の改正(悪?)に対して市民が引き起こした大規模なデモです。
恐らく容疑者の段階から「身柄の引渡し」を中国政府にまで対象国を拡大したことによる恐怖と不安が起こした結果であることは明らかであるが、何故そうなる?と問われれば、中国政府は正当な裁判を行わないからに決まっている。
中国共産党による裁判は、理不尽で惨い判決結果を出していることを世界中の人が知っているし、その判決内容は良識に基づいたものではないことも知っているからに他ならない。
小さな国でこれほどの大規模なデモは史上初と言ってもよいのではないかと思えるほどだが、日本で国会議事堂に相当する建物に乱入して肖像画や壁にスプレーでイタズラをしている映像を見たが、この程度で治まっているのは、やはりアジア民族が持つ特性であろうと想像する。
欧米ならこれに混じって起こるのが略奪行為だが、これは一件も報道されなかったように記憶する。
これで判るように市民全体が良識的であり、ただ単に政府の方針に対しての怒りが爆発した、少し行きすぎた部分のあった結果であろうと推測できる。
しかし、その結果、行政長官はこの行為を「暴力的な行為であり、非難する」の声明を出したけれど、そこだけを捉えれば確かに暴力的行為に該当するが、立場を変えてみれば、政府が行おうとしていた「逃亡犯条例」は市民に対して明らかな「暴力的行為」ではないのかと言ってもおかしくはあるまい。
権力と力を持たない一般市民が政府の横暴に対して訴える手段としてのデモを行っていた中で、群集心理に捕らわれ多少興奮した一部の人によって起こった突発的軽微な破壊活動と思われる行為をみて、これほどまでに反感を買っているのかと反省もせず「暴力的な行為であり、非難する」は市民を市民と捉えていない証拠でもあろう(何処の国の為政者も同じ資質か・・・と寂しくなる)。
略奪行為も無く死傷者を出していることも無いようですから、真に「法改悪」を止めたかっただけであることは容易に想像がつくけれども、強大な軍事力を持つ中国政府から押し付けられた台湾政府にとっては断ることも出来ず、対抗する術も無かったのであろうと思えば気の毒でも有るが、若しこのデモを中国政府の圧力に対抗する手段として台湾政府が裏で糸を引いていたとしたら、見事!と言わざるを得ないが、実際のところどうなのでしょうかねぇ。

日本では参議院の選挙活動が始まり、早朝より雑音が街中に鳴り響き、暑い上に鬱陶しいことこの上ない季節となってしまいましたが、どうやら争点は消費税と年金のようです。
与党を代表して総理は「年金に具体的な案を示さず、野党は国民に対して不安ばかりを煽っている」と言い、その解決手段は「強い経済を作れば年金の財源も守ってゆけるし、年金も増やせる」と言っていた。
優等生的な内容ではあるが、これも詭弁に近く総理だって「具体的な案」は出していない。
案として言葉に出した「強い経済」とは具体的な案ではなく、抽象的な表現であって、どのようにすれば「強い経済」に出来るかを言葉にするのが具体案である。
このように言葉巧みに国民を煙に巻く手法は見事の一言に尽きるが、なに!年金問題などの解決は簡単なことですよ。
過去に官僚が無駄使いで無くした年金10兆円を官僚の給与と退職金で補填させることに加え、無駄使いの温床となっている天下り先を全廃すれば一気に片付くことです。
勿論のこと責任は大きく国会議員にもある訳だから同じ様に議員定数削減に加え与野党を問わず歳費を減らして、国民に対して責任の一端を明確にすること以外にないではないか。
口でもって言葉巧みに国民の意識を逸らして、都合よく誘導し、ちゃっかり議員年金を復活させようとしているようでは、その性根に賎しさに反吐が出そうである。

 野党などはもっと滑稽で、「蓄えが2000万円無くとも安心して暮らしてゆける社会に一歩も二歩も進めて行ける・・を目指して選挙を戦っている」とはこれ如何に・・でしょう。
お粗末極まりない内容で、党首の発言とは思えないほどに酷く、概念論にもなっていない空論に近いものである。

最後にもう一つ、とても良い話を最近ある方から聞きましたのでお伝えします。
ロシアで学校の先生をしている非常に日本語が堪能な方(ロシア人ですよ)と食事をした時のこと、その人が「日本の学校教育は一体どうなってしまったのですか?」と聞いてきたそうです。
ロシアでは以前の日本の教育を見習い「黒板の横には、先生とご両親を敬いましょう」「年下の生徒や弟妹を労わりましょう」などの文章が箇条書きで掲示されていて、毎朝生徒全員で斉唱していると言うのです。
そして、先生が教室に入ってきた途端、生徒全員が起立し、挨拶をした後、先生の「着席」の声が出てから座るそうです。
私達団塊の世代がかつて学んでいた小学校の教室を思い出しました。
今の日本は本当に良い方向に向かっているのでしょうか・・・疑問だらけの日本国を大きく舵を切り直す指導者を待たなければ、最早この国の未来など無かろうと暗澹とした気持ちになりました。




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「酔龍の独り言:その002」

 高齢者の自動車事故が多発している。
その原因の殆どは運転操作の間違いや、標識などの確認不足にあるようですが、年を重ねるごとに人は記憶力・体力・判断力・瞬発力が衰えてくるのが自然であり、人によって大きく個人差が生じる分野ではあろうが、これを止める事は出来ない。

 報道各社も何かしら「高齢運転者の事故報道」を多くしているような気がして、気になっていたのですが、つい先日のこと有名芸能人が75歳の運転免許証更新前に返納した映像つき報道があった。
つまり、高齢者は運転免許証を返納しろと煽っていることに他ならない(恐らく政府や警察関連の要請があってのことと想像している)。
誰でも年を取ってまで危険が付きまとう車の運転などしたいと思うはずも無いと想像していますが、車が無くては日常生活が出来ないような社会にしてしまったのは一体誰だ!。

 戦後に日本が国を挙げて目指してきた「便利さ・快適・豊かさ」の追求だが、これに「経済効率」が加わるようになってから、ちょうど日本の東京に官民(経済界)問わず全ての中枢機構が集中する一極集中型都市機能が出現した。
東京に行けば、そこにはすべての機能が集約されているので何でも出来る・・・便利で効率が良い・・・と益々この型は勢いを強めて現在に至り、その流れは今も変わっていない(これまでに何度か地方に省庁分散の動きがあったけれど実現はしていない)。
これを成功だと錯覚した官と経済界は同じことを地方において企てるようになる。
それが、郊外(公害)型の大型スーパーマーケットである。
大店法(大規模小売店舗法:昭和48年に制定・翌年施行)という法がかつてあったけれども、26年後の2000年(平成12年)に廃止されている。
廃止されたこの大店法では「地元の中小小売店を保護する目的」も含まれていたが、アメリカからの圧力もあり、現在は大規模小売店舗立地法に取って代わられている。
大規模小売店舗法に代わって制定された大規模小売店舗立地法だが「立地」が付け加えられただけの法名で、何だか良く判らないけれどもこの法には「地元の中小小売店を保護する目的」は謳われていないので「シャッター街促進法」の方が良かったのでは・・・。
制定時までに至る経緯では「中心市街地の体力が強化されるのを待ってから」と但し書きがあったようですが、その僅か2年後には法を制定させている。
と言うことは僅か2年で地方中心市街地の小売店舗の体力が強化したという事になるが、税法も変えず・補助金の支給も皆無では、出来るわけも無いのに、絵空事を平気で言葉巧みに並べてその場をやり過ごし、国民の意識が薄れた頃を見計らって、ちゃっかりと思い通りの法を成立させる狡猾さは世界中を探してみても皆無に近いと思えるほどの詐欺集団である。

「おれおれ詐欺」は犯罪者の行為で、やっている本人の意識も犯罪であることは承知しているはずだが、これより性質が悪いと思う。
東大出の官僚達が考えるのだから、頭の悪い「おれおれ詐欺」集団では勝負にならず、言葉の巧みさでは到底適うはずも無いのだけれども、犯罪者の意識が無いことが大問題ではないでしょうか(人間の質を比べたら・・・どうだろう?)。

大型店舗は確かに「便利さ・快適さ」においては申し分ない機能と品揃えがしてあるので、誰もがその魅力の虜になり、その陰に隠された悲惨な結果を想像もしないうちに日本全国津々浦々に出店が繰り返され、現在に至っては古くから親しまれてきた人情味溢れる商店街の店舗にはシャッターが下ろされ無人の商店街が出現した(現在地方の小中都市の町中では人が歩いている姿を見ない)。
町に商店と商品が無くなってしまえば、人は品物を求めて町中を歩くことを止めるのも自然な流れである。
このかたちは車社会の先駆者であるアメリカでは早くから顕在化し、地方の個人商店が壊滅的打撃を受けた結果を、まさか外務省まで持っている頭の良い官僚や大型連休には必ず海外へ視察旅行する政治屋達が知らなかったことはあるまい(と言うことは、やはり観光旅行だったのだろうか)。
若し知らなかったと言うのなら、不勉強極まりないし、税金で禄を食んでいる資格があるとは到底思えないと考えるが、如何であろうか。
公害型スーパーマーケットが齎した害は地域の「人情の決如」「学歴型社会」「無人の町並み」に加え「食品添加物」「遺伝子組み換え食品」などであろうか・・・。
便利さと快適さに加え豊かさの感覚は人の心に齎す「快感」ではあるが、これは「形態の快感であり」同時に「質の快感」にはなっていないことの方が多い。
 例えば「銃・車」などがその典型的な道具であろう。
アメリカでは銃による乱射事件が後を絶たず、日本では(一般人は銃が入手できないので)刃物による殺傷事件が同じ様に起こっているし、車による悲惨な事故?を招いていることも元を糺せば同じ質の部分の欠如が垣間見える。
 鋭い牙も爪も持たず、柔らかい皮膚で覆われた体しか持てない人間が、猛獣を相手に大型の獣と戦うことなど出来ようはずも無いことではあるが、知恵と工夫で「槍」を持ち「弓矢」を持つようになり、現在は「銃」を持つまでになった。
「銃」を持つようになった時点で人は恐ろしいほどの力を得たと錯覚し、やがて傲慢の芽が心の中に生じ、やがて見事な傲慢花を咲かせてしまった・・・現代人の心の中身。
「便利さ」が進んだ究極が「銃」になり「快感」を得るようになったわけだが、「銃を持つ」「銃を撃つ」ことは「形態」であり「何故銃を持つ」のか「何ゆえに銃を持たなければならないのか」「何故に銃を撃つ」のかが「質」の問題である。
刃物も車も人の身体能力を遥かに超えた道具なのに、これを手にして簡単に使うことが出来るようになってくると、あたかも自分の身体と同化し、我が体に強大な力が備わったような錯覚に陥るので、自己中心的な考え方になり、排他的になり、攻撃的になる。
「形態」だけで物事を判断し行動すると「気違いに刃物」に等しい行いを人が取るのは一種の性かもしれませんが「質」を同時に持ち合わせることがその抑止力になるのに、欧米人ならいざ知らず、日本でも「効率」や「経済性」を最優先して「質」を疎かにしているから、何をやっても物事が旨く作動しなくなってきている。
 銀行や携帯電話販売会社の窓口では「当の本人」より「必要な書類の提示」の方が大事では、本末転倒な社会が出現しているのに誰も異を唱えず辛抱していること自体が異常な社会だと何故気付かないのだろうか。
これら窓口で「当の本人」が持参した預金通帳と印鑑より「運転免許証や健康保険証」の方が信頼に値するとされる事自体が「形態」と「質」の取り違えなのに、これが罷り通る日本は既に病んでいるとしか言えまい。

子供の教育も然りで、子供に「本質」を学ばせることや「量(形態)」と「質」の区別を解からせ、自分でものを考え、文を作り、価値観を構築することよりも、文科省の教育方針に従った薄っぺらな受験対策の表面的な教育を与えることのみに専念させ、問題を生じさせず事故なきことの書類を作成すること方を大事とするのでは将来の日本を背負って起つ子供達が良き日本人として育つことは無かろう。

戦後七十余年「便利で快適で安全で豊かな」生活を手に入れたようだけれども、失ったものの方が遥かに大きいと思うが、当の大人が目くらましに遭い、そのことに気付かないでは、日本の将来は暗い。
今回より「縦のものを横にした」不思議な物語「双龍物語」も次頁に掲載しています。




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「酔龍の独り言:その001:序段の1」

 令和最初のブログ更新になりました。
更新期日が迫ってくるので、早く更新を・・・と思っていたのに、このところの朝夕の寒暖差に注意をしてはいたのですが、風邪を引いてしまい発熱→寝込みました。
仕事も依頼が重なってしまって忙しくしていたところなので、気が急くばかりで、更新がギリギリとなりました。

 世間を騒がせる元凶はいつまで経っても、やはり政治屋と官僚達では心が荒んできます。
昨日の新聞に報道されて知ったのだが「公証人役場の公証人の斡旋を、事務次官になれなかった人物を主体に行っていた」とあった。
公証人の年俸は二千万円を上回る高給(官僚の報酬と同等以上)だそうである。
担当省は、公証人については広く一般から公募をしていると嘯いているようだが、実態は新聞記事の通りで間違いなかろう。
しかし、どうして官僚達は自分の身の保全と退職後の安泰を謀ろうと考えるのだろう。
自らが手を挙げて国のため・国民のためと気負って就いた仕事ではなかったのか・・・巧妙に数え切れないほどの天下り先を作り、税金で我が身を養うことばかりを考える輩達の資質を疑いたくなる話ばかりである。

 政治屋の発言で北方4島返還については喧々諤々の様を呈しているが、大東亜戦争の終戦のドサクサに紛れてロシアが占領したいわくつきの島々であり、話し合いで返還できるものなら、とっくに返還されているはずだが、返す気など毛頭ないという事であろう。
ならば戦争でも・・・の気持ちが湧いてきた当たり前なのだが、今の日本では「戦争」と「タバコ」は口にしただけで「犯罪者」扱いですからねぇ。
何処か狂っているとしか思えません。
略奪者に言って聞かせれば改心するなどが通用する甘い世界構造でもあるまい。
ロシアや北朝鮮・アメリカにそう言えば改心するか?する訳が無いことは明らかである。
さて、このような社会情勢で日本が取るべき道は・・・と想うのだが、政治屋と官僚がこの有様ですからねぇ。

さて、急拵えの更新になりましたが、アメリカと中国の核戦争の危機が迫ってきています。最初に核を打つのはアメリカですが、次回からこの辺りのことを小説まがいにしてブログに乗せてみたいと思っていますので、宜しくお願いいたします。 




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「窮屈になった日本~その103」:調和の取れた社会へ  その58

 平成最後のブログ更新になります。
思いとしては、懸案であった鉄骨造3階建て共同住宅の確認申請書が交付されたので、これに関して「くたばれ建築基準法・追録」の続編を書きたかったのですが、平成最後という事で、平成の纏め編にしたいと思います。

 平成年代となって一番印象に残ることは「消費税」ではないかと思います。
平成元年4月1日に導入された(押し付けられた)消費税3%以後、5%になり、現在は8%まで値上げ?されて、令和元年には10%にしようと政府(陰で目論んでいるのは恐らく官僚であろう)はその気になっている中、ある副大臣が「消費税の延期も考えられる」と個人的発言をしたとして、物議をかもしているが、消費税を導入した目的は何であったのか皆が忘れてしまっているのではないか。
「財政再建」が目的であったはずなのに、消費税導入後も国の借金は増え続け、消費税を2度値上げしたにも拘らず、借金はいまだに増え続けている。
1年間に民間が支払う消費税の額は3%でも莫大な金額なのに、5%・8%と恐ろしいほどの金額となっても、一向に財政再建が進まない。
一体この莫大な消費税はどこに消えているのだろうか・・・。
少なくとも私達庶民にとって消費税が上がり続けた結果で日常生活が過ごし易くなったとか、便利になったとか、地方の「シャッター街」が「シャッター開」になったとかの話も聞かないし、高齢者の多い過疎地の交通の便がとても良くなった話など聞いたことがない。
逆に「窮屈になって仕方がない」の声の方が圧倒的に多いのは一体?どうしたことか。
税の仕組みは支払った国民の利益(金銭ではありません)として還元されるのが本筋であるはずだが、どうやらその多くは霞ヶ関関連天下り先ばかりに流れているようだし、国民を犠牲にしてまで行う海外支援とアメリカへのご機嫌取りでしょうかねぇ。
でなければ、どこに消えた消費税でしょう。
以前もありましたが、今回も同じ様に「保育園・幼稚園の無償化」などと目くらまし作戦を行うようだが、お母さんあの約束した「財政再建」は何処に行ったのでしょう。
さすがに財務省は「土地」には消費税を掛けなかったが、殆ど消費が出来ないと思われる貴金属や美術品などにも消費税を課し、消費税を課すなら固定資産税を廃止するべき建築物など二重課税(本来二重課税は禁止のはず)も甚だしい。
政治家や官僚達は先進諸外国にはもっと高い税率が多くあると嘯いているが、その税の使い道については語らない・・・というより比較すれば恥ずかしくて語れないのだ。
形態ばかりを言って誤魔化すのが得意で、決して本質を語ろうとはしない本当に「ずるい輩」である。
この辺りの事は以前このブログに書いた記憶がありますが、平成最後のブログと言うことで、ご容赦いただきたいと思います。
「本質を語ろうとしない」についてはテレビの宣伝で嫌というほどに「嘘」を流され、本質から目や心を遠ざける手法は見事であるが、少し考えれば誰でも判ることなのに、馴らされると感覚まで麻痺するのでしょう。
有名で美人の女優や二枚目男優が車の宣伝に一役買っている姿を多く見かけるが、多分その車を買ったことはないだろうし、乗ってもいないのは明らかであると思われるのに「素晴らしいものだ」と思わせて購買意欲をそそる。
恐らく食べたことなどないと思われる「食材や食品」も同じ様に宣伝する。
今や、宝くじにまでが、その分野を広げ、購入していないことなど判り切っているのに「購入している」と映像を流す。
宣伝の出演者には1等の賞金額は無理だろうが2等か3等の賞金くらいは出演料で支払われているはずだから、確率から言って当たるとは思えない宝くじなど出演者はまず買わないだろう。
少し考えたら判りそうなものだと思うがねぇ。

 それと多くの有名一流と言われる企業が行った(これからもまだまだ表に出てくると思っているが)偽装・不正がある。
マンションの杭偽装に始まり・車・レオパレス・大和ハウスと社会の手本とならなければならない企業ばかりである。
以前から言っているように、TVや新聞に掲載している多額の広告宣伝費は全て該当消費者が支払った対価から支払われているものだから、その対価の中身は如何程のものであるか位はいくら素人さんでも少し考えれば想像がつくはずだ。
また、工事の中で不正をしなければ余分な不当利益(利益と言って良いのか・・・)を生み出せる訳がないことも想像してみれば判ることでもある。
量を見せ付け、形態のみで進めてくる目くらましに馴らされていると、いつの間にか騙されてしまうので、本質を見抜く目を養わなければ、政治家・官僚・大企業にいいように操られてしまう。
現在の日本社会が既にそうなってしまっているが、やはり日本は捨てたものではない。
これらに警鐘を鳴らし続けている人物は沢山いるが、一般人の我々の自覚が足らないことを反省すべきであろう。
 下らない馬鹿馬鹿しい話はさて置いて、最近読んだ本の中に是非とも皆様にも読んで頂きたい本を2冊御紹介したいと思いますので、未曾有の十連休に読んで見て下さい(前段の警鐘を鳴らしている方々の本です)。
一冊は「アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ:馬淵 睦夫・KKベストセラーズ」で、もう一冊は「日本が売られる:堤 未果・㈱幻冬舎」です。
お読み頂ければ「ぼーと生きてんじゃねーよ」と感じていただけると思います。


 月が明け、令和になってからは「雑感」を「酔龍の独り言」とブログの題を変えて書き続ける予定です。
題が変わっても、中身は変わりませんが、引き続きお読み頂き、人生の何らかの足しにしていただければと思っています。 





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