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建築家 潤 の『独断と偏見』

「ちょっと一息の15」

 NHKの朝ドラ「あまちゃん」で有名なった北三陸鉄道がまだ全線ではないようだけれども復興した様子の報道を見た。
復興の当日は早朝より乗車券切符を求めて十数名が並んでいる様子や、開通した電車の中は東京の通勤ラッシュ並みのように混雑している映像が流れていた。
 いつも思うことではあるが、恐らく数日も経てば報道は無くなり、乗車率も低下の一歩を辿り、いずれガラガラの状態が続くことになるであろうと想像する。 
 今回の割烹着リケジョ(理系女と書いてリケジョと読むのだそうだが、では文系女と書けば何と読むのだろうか?あまり意味を感じない造語も食傷気味である)の件についてもそうだが、研究の中身については何も検証せず、報道では持ち上げるだけ持ち上げておいて、何か問題が生じた後はまるでボロ雑巾のような扱いをする報道者達には「自分達は実は無能である」の自覚は無いのだろうか。
権威あるところ?から発表されたもの、それを鵜呑みにして報道すること自体を無碍に否定する訳ではないけれども、その中身が検証できないまま報道する姿勢を問題なし!で片付けるわけにはゆかないと思う。
報道者達の言い分としては「我々は学者ではないのだから、発表内容に虚偽や捏造部分があったとしても判かる訳が無い!」と開き直るところだろうが、だから「無知で無能」なのだと思ってしまう。
 報道関係に長年従事している者(特に編集長など)であれば、その道に詳しい人物の伝手もあろうし、人脈もなければ可笑しいはずで、内容の確認をする手段は必ずあるはずだ。
他社に遅れてはならぬ、他社に先駆けても、他社が報道して自社が出来ないでは・・・の競争意識のようなものがそうさせるのも判るが、報道者魂はどこに行ってしまったのか?
報道者の良心は消え失せたのか?と思えるほどに、近年どこの新聞や週刊誌を見ても同じ見出しで同じような内容の記事が多い。
まさに一般の報道内容ですら官製報道を地で行くような有様である。
 新鮮ネタは視聴者の興味をそそることに疑いの余地は無いけれども、だからと言って三流週刊誌の代名詞「くそ蝿」の如くの有様ではうんざりしてしまう。
しかし、本当のところはどうなのだろう?割烹着女子が嘘までついて世間の脚光を浴びたかったのか(IPS細胞では以前に同じようなことしでかした准教授がいたこともまだ記憶に新しいが)それとも、ただの手順間違いや記載間違いであるかの真実は判らねど、最近の大人と言われる年代の人達のお粗末なこと・・・情けなくなる。
自分のしたこととその後に結果としてついてくる因果関係すらよく理解出来ていないのでは・・・と思えるほど心が幼稚であると思ってしまう。
 特にこういった類の事柄はある意味特許のようなもので、製造過程や使用する薬品等の配分に秘密があるだけで、それが判ってしまえば、その道の専門家であれば割りと安易に作れるものであるはずのものだ。
その手順の公開に不備があったと言うのなら、やはり思考が幼稚なのだと思う。
自分にしか出来ない独自の工法のようなものは、初めて作る人のことを思い遣り、ここが大事だ!とか、このようにしなければ旨く出来ない・・・といった事柄は沢山あるはずである。
これが欠けているから世界中で試作してみたけれども旨く行かない、だから実は論文の内容は虚偽ではないかと非難を浴びている現状となっているだろう。
この件もいずれ時間が経てば明らかになるだろうから、真実は時の経過に任せましょう。

 話が少し逸れてしまいましたが、報道者達に言いたいことは、本当に震災後の復興を願うのなら、多くの国民や外国からも寄せられた多額の復興義捐金は一体どこに消えたのか、どこに遣われてしまったのかの追求を止めてはいけないはずであるが、追求の報道すらしないのは何故なのか。
真に震災後の復興を願うなら、北三陸鉄道の乗車の状況などを定期的に報道し、支援のお願いを継続して行うことが報道者魂だと思うが如何か。
 昭和三十年代の新聞記者は官製報道を鵜呑みにせず、独自の調査を行って確認した後でなければ記事にしなかったそうである。
効率最優先・経済最優先を取り入れ、人を育ててこなかった結果の歪んだ状況がここにも露呈してきている。

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「ちょっと一息の14」

 四月より消費税が8%になりました。
駆け込み需要で特定の業種においては空前の受注高のところもあったようですが、日本の税法は単年度の決算で行われるので、三月末決算の会社は三月までの一年簡に受注し、納品した仕事は全て前期の売上げに計上される仕組みになっている。
 空前の受注高の恩恵を被った商品の殆どは高額商品の部類に入るものだという。
消費税が上がるので、この際だから購入しておこう・・・と思う消費者の気持ちが判らないわけではないが、今まで辛抱していたものが一気に噴出したような状態なのだから、近将来起こるであったはずの需要を先倒ししただけである。
 その結果がどのような状況を起こすかと言えば、空前の売り上げがあった会社は相当な利益が出るので課税される。
利益に対する課税額は法人所得税に市県民税を含めると約60%にもなる高額税である。
100万円の利益が出れば約60万円が課税され、会社に残るのは僅か40万円ほどだ。
この40万円で次の期である四月から会社を運営してゆかなければならないことになるのだが、四月になってからも通常年度の受注があれば良いけれども、消費税で先の需要を食い尽しているから殆ど需要は残ってなかろう。
 高額の税を支払った後は殆ど受注が見込めない状況が起こりそうなので、企業は大変である。
企業は一時的な特需で後がゼロとなるよりも、細く長く需要がある方が有難いはずだ。
だから、今回の消費税で恩恵?を受けた会社は戦々恐々の思いであろうと察する。

 尤も、物は本当に必要になってから購入するものであって、消費税ごときで騒ぐほうが愚かだと思う私はやはり偏見の持ち主かもしれません。
以前起こった石油危機の教訓は生かされないものですね~。

 それにしても今回は少々悔しい思いをしました。
それは、相変わらずと言えばそれまでなのですが、みんなの党の代表である渡辺に関する「化粧品会社会長からの8億円融資」の件である。
もうかれこれ3~5年前のことになろうか、渡辺に対して政治献金をしたことがある。
 当時、彼は行政(公務員)改革の先鋒を担ぎ鼻息も荒かったので、相当に期待していたからのことであった。
余談になるが、その地の行政(公務員)改革の座長は確か「猪瀬」だったと記憶している。
またその当時彼は政党を持っていなかったので個人献金以外は受け付けられないと言うことであったから個人で献金をした。
 振込みで入金を済ませたら、政策秘書らしき人物から「貴重な財源を頂き、必ず有効に使わせて貰う・・・」と感謝とお礼の手紙が届いたので、私は「一旦渡した金だから秘書と一緒に飲み食いしようが、愛人がいればの話だが、そいつに何か買ってやろうが好きに遣ってくれれば良い。ただし国民の期待だけは裏切ってくれるな」としたためて返事を出したのだが、見事に裏切られた。
私の献金額など8億円に比べれば屁のようなものだけれども、なんとか日本が良い方向に向かえば・・・と思う気持ちがそうさせたのだが、どいつもこいつも役に立たない奴ばかりで情けなくなる。
 今の日本を性根の卑しい官僚と愚かな政治家に任せておいたらとんでもない方向に行ってしまいそうで、やはり比叡山の僧兵を全滅させた信長の再来を期待する以外になさそうである。
  年度末が過ぎ、やっと少し落ち着きましたので少し早い更新が出来ました。

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「ちょっと一息の13」

 早いもので、三月もあと僅かで過ぎ去ろうとしています。
当社は三月末が決算月なので、四月になりますと今期1年間の業務に係る報告書の作成や提出物を強要されます(2ヶ月間の猶予はありますが公的機関や取引先などに提出しなければなりません)。
如何様に考えても1年に一度の報告書提出など余り意味があるとは思えないので、単に資料として残しておきたい位のものであろうと想像している。
 三月は当社と同じように日本の企業の大小を問わず大半が決算月である。
そこで、特に今の大企業に言えることだが、何を錯覚しているのか、不思議な非常識に陥ってしまい、今の世をダメしている状況を自らが作り出しているのではないかと私は感じている。
殆どの企業の役員たちは決まって次の言葉を口にする「前年度より売り上げを伸ばし、利益を出して企業業績を上げなければならない」。
はて?これは一体何を意味し、何が目的で本質はどこにあるのだろうか?。
この事はず~~~と私の中で疑問のまま今日まで来ているのだけれども、どのように考えても、まだ意味が良く判らないのである。
 この件について私が想像できる範囲は次に挙げる事柄くらいだが、その事柄は本当に社会の役に立っていることになるのか疑問を感じている。
1:会社の経営者の立場として業績や利益が全年度より下がった場合、自負もあろうが、他の目を気にする(無能であると思われたくない)が一番の要因ではなろうかと想像する。
2:株主に対して責めを負いたくない(これは上場企業のみかな)。
3:納税額を増やして、社会に貢献する(少なからずこのような奇特なお方はいる)。
このいずれも社会通念上は何ら問題になるような事柄ではないけれども一番大事なことが抜け落ちているのではないかという疑問点を私は抱いていて、それは会社の本質そのものが何処かに飛んでしまって体裁がよい上面だけ表に出ている状況をさしている。
会社は社長のものではないし、株主のものでもないと私は捉えていて、社員や社会のものであるべきと考えている。
だから、会社はまず第一に顧客を満足させることが最優先で、その次が社員のことと業務に力を貸してくれている協力会社のこと、それら全てが済んで初めて社長のこと、私が決めている優先順位だ。
 利益が上がれば最優先で社員と協力会社に還元し、余力があれば設備投資に回す。
そして、何より忘れてはならないのが日々社員の教育と能力向上に対する配慮とそれに対する投資である。
社員を育てるための金銭が必要だから、利益は欲しいと思うが、己の自己満足や社会的な見栄のために売り上げや利益を上げる必要はないし、多額の納税をしてみたところで、幾ら渡しても無駄使いを止めず「足らない、足らない」と言う輩に渡す必要もない。
しかし、社会の手本とならなければならない今の大企業は最も基本的なこのことを御座なりにして利益のみを上げるために血眼になっていて、その有力な手段が派遣社員だ。
雇用費は安上がりで、会社は利益を出すことは出来ようが、社員としての教育はしない、雇用の安定も図らないし、待遇は正社員にはるか劣る状況である。
しかし、会社によっては派遣社員がいなくなれば業務に支障をきたすようなところもあれば、教育などしないので、無能振りを発揮して会社や協力業者に迷惑をかけ続けるところもあるが、幾ら苦情を申し入れても一向に改善する兆しさえ見せないところもある。

マニュアル一辺倒で良し!と判断して社員教育を行わなくなった大企業ではもう人は育たないし、派遣社員は尚更そうである。
しかし、正社員も派遣社員もこの日本を構成している人達である。
戦後、特に近年人を育てることを忘れてしまった社会は窮屈で索漠の情況を呈している。
官僚と言い政治家と言い大企業と言い本来国民に生きる手本を示さなければならない者達がこの有様だから日本がよくなるはずもない。
海賊と呼ばれた男はさぞ嘆いていることであろう。

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「ちょっと一息の12」

 今回は思ったより早く更新することが出来るようになりました。
と言うのも現在工事中である二軒の住宅が今月末に竣工予定で、大方の目処がつきまして少し心に余裕が出来たせいでしょうか更新の意欲が湧きました。

私はスポーツがあまり好きではないので、ソチオリンピックの話題は置いておきまして、今回の都知事選について思う所を一言。
私にとっては期待外れの残念な結果となってしまった都知事選ですが、振り返ってみて、前都知事の時に感じていた不快な感覚を今回も同じように感じています。
両名共に面識がない上、話をしたこともないので、大変失礼なことではありますが、私の記憶では確か前都知事は当時の小泉前総理がやろうとしていた行政改革・公務員改革の責任者的立場にあり、マスコミの受け(表面)は良いが、自分の都合で皆が取り決めた本質的な改革内容を一夜にして真逆の方向に誘導をすることなど平気でやっていたそうで、
改革委員の殆どから不平不満が出ていたと聞いている。
これは、私が心あると思っている方々の著書よりの情報なのですが、恐らく間違ってはいないと感じているからこそ本人は今回のような事件を起こしたということでもあろう。
この様な人物を何故石原さんは応援したのだろうかと疑問に感じていたのだけれども、恐らく同じ作家であるという性善説の様な仲間意識によるものからきたのではなかろうかと想像している。
では今回の選挙に勝った都知事は?と言えば、前任者と大した差はないであろうと思っているので、いずれ社会的な問題を引き起こしてくれるのではないかと期待をしています。
 私個人的には田母神氏を期待していたのですが、大半の東京都民はそうは思わなかったということで、知名度があり経歴が良ければ何となく良さそうな人物に見えるのでしょうか、でも出身母体は国民の生き血を吸っている霞が関だから、前都知事より賢く狡猾と思われるのでなかなかしぶといかも・・・。
もう一つ個人的な感覚で言わせて貰えれば、両名共に顔から受ける感じは正義感が溢れ、義侠心を持ち合わせた良心的な人物に思えないのです(顔で判断してはいけませんが)。
尤も余程心に一物を持った人を除いて、そう言った人物は立候補などしませんよね。

 もう一つは今回の大雪で多くの事故が起こり、沢山の犠牲者まで出たことです。
「雪」は一粒(数え方は合っているでしょうか?)の結晶の形から「六花(りっか)」とも呼ばれ、古来人との関わり合いの中では比較的優雅な趣を呈し、歌にも多く読まれてきた。
一粒の雪を見れば可憐で優しく優雅に感じられ、生まれたての赤子さえも傷つけることは出来ないものだと思うのは私だけではないでしょう。
しかし、これが降り続け、多く積もれば今回のような惨事を引き起こし、車や電車は止まり、飛行機も飛べない状態で、一時的ではあっても交通機関が全く機能しなくなった。
古くより豪雪地域では多雪による事故は多くあったと思われるが、その地域においては先人の知識から学び経験が生かされ、その度ごとに乗り越えてきたのであろうと想像している。
しかし、これだけ情報が氾濫し、何でも知り得る立場にありながら、車が動かなくなり孤立するとは何たるお粗末な結果であろうか。
尤も温暖な地域で日常生活を送っている者にとって豪雪地域の生活など想像も出来ないことではあるけれども、車を使えば僅か数時間で温暖な地域から豪雪地域へ移動している自覚がないことの恐ろしさである。
これは車を手に入れた弊害の一部分でもあるのだが、甘い!と言わざるを得ない。
国から今の社会は安全だと思わされて生活している国民にとって、自己に対する危機管理意識は無くしてしまったほどに希薄となり、何をしていても「安全」であろうと錯覚している所以であろうか。
 今回の豪雪で、車が動かなくなり、3㎞余りを歩いて公民館などに避難した家族の映像を目にしたが、全くの無防備で何の備えもしていないことには驚いた。
 私事で恐縮だが、今は車を手放しているけれども、以前車を所有していと時の話をすれば、車のトランクには必ず「小型のつるはし・組み立て式のショベル・移植ごて・牽引用のワイヤーロープ・バッテリー接続用コード・軍手」をケースに入れて持ち運んでいた。
何故かと言われれば、危機管理から来たものであることはお判り頂けると思います。
私自身が困らないため、人が困っていた時に助けるためです。
だから、この様な備え無くして車に乗るなどとはもっての外と言いたい。
それに加えて私が守っていたことの一つは、車を持っていても「雪が降っている時・積もっている時は乗らない」で他の交通機関(バス・電車・タクシー)を利用した。
 もう一つ馬鹿なことと笑われるかもしれませんが、私は信号待ちの横断歩道に立ち止まり信号が変わるのを待っている時には立ち位置を決めています。
走っている車が仮に暴走して立ち位置に飛び込んできても良いように、角度を考えながら信号機などの鉄柱や電柱を使って防御できる位置に立っています。
別に命が惜しい訳ではありませんが、怪我をしたり面倒臭いことに巻き込まれるのがイヤだからです。
 自己管理危機意識がなければ、生身の動物である「人」などは、ちょっとした不注意や不運に遭遇した時に対処できないと考えているからなのですが、その為に「備えあれば憂いなし」「転ばぬ先の杖」などの諺を少し過大解釈し、生活に生かしています。
  余談ですが、やっとシクラメンに花が咲きまして、次々と咲いてきています。

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「ちょっと一息の11」

 あっという間に1月が終わりました。
私方、正月明けより質の悪い風邪に襲われまして、暫く寝込んでおりましたが、やっと全快したところです。

 今日は嬉しいお知らせが2件あります。
一つは先日のニュース報道で見たのですが、東京にある「井の頭公園の池(まだ私は訪れた事はありません)」についてです。
この度、この池の水を抜いて綺麗にしようということで、その光景の一部が映像で流されたのですが、何と清掃1時間ほどで30台もの自転車が池の中から出てきたそうです。
水が濁っていて判らなかったのでしょうが、この世において濁ったところは必ずと言ってよいほど「(悪事など)隠す」には持って来いの場所なのでしょうね。
現実に水が濁っているこのような場所や「人の心の中」も同じような位置付けでしょうか。
 捨てられていた自転車は恐らく大半が盗難に遭ったものと想像するが、自分の悪事を濁ったところに隠して、目に触れないようにしてみたところで心の中の事実まで隠すことはできないもの、浅はかで愚かな行為と感じるけれども、昔と違って自転車そのものが安価になってしまい、余り価値を感じなくなったせいもあって、中には何か腹立たしいことで自分の自転車に八つ当たりしてしまって捨てたものもあるかもしれません。
しかし、いずれにしても残念なことである。
 一昔、この池の水は綺麗で透き通っていたそうで、子供の頃は小魚を捕ったり泳いで遊んでいたものだと話す老人の姿も映像に出ていた。
水が綺麗であった頃は豊富な湧水が池の水を満たしていたそうだが、湧水が枯渇して以来、水質の悪化が止まらず、他から水を補給すれども期待したほどの効果は生まれなかったそうだ(経済優先による地下水の汲み上げ過ぎが原因でしょうかね)。
それで、今回の水抜き、水替えとなったようだが、この池に生息していた日本固有の水生動物も誰かが持ち込んだ悪名高きブラックバスなどの外来種に脅かされていたそうで、今回これらを撤去する目的もあったようである。

水が綺麗になれば池のほとりを歩く人達の心はどれほど清々しいものになろうか・・・。
これを機会に二度と自転車を投げ捨てたり、外来種が放流されないことを切に願っている。
濁っていたこの池は霞が関と同じなのかも・・・ここも一度水替えしてみたいものです。

もう一つは私ごとですが、会社に置いてあるシクラメンが沢山の花芽を付けたのです。
3年前の暮れに友人から頂いたもので、その年は見事に多くの花を咲かせていたのですが、翌年は花が咲かず、今年もダメか・・・と諦めていたところだったので、もう嬉しくて嬉しくて仕方なく、昨日は会社帰りに寄った行きつけの店の店主に「今日は嬉しいことがあったのでビール飲んで!」と共に嬉しさを分かち合って貰った。
これまでにインターネットでシクラメンに花を咲かせる方法を調べたりしたのだが、これといった良い方法は見つけられず、中には観葉植物と同じように「葉」を鑑賞しても良いのでは・・・と書いてあったりで、しょげて諦めかけていたところ昨日会社の女の子が「先生!シクラメンに花の蕾が付いているような気がします。でも葉っぱかな~」と言うので見たところ、沢山の花芽が付いているではないですか。
 それで、昨日は一日嬉しかったのです。私的なことでごめんなさい。

次回はもう少し「まし」なこと書きます。

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