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建築家 潤 の『独断と偏見』

国家(建築)資格試験

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 毎日々が暑い!暑くて堪らない!ので、書く気力も薄れてしまい一ヶ月近くもサボってしまった。

書こうと思うことは沢山あるのだが、仕事ではないので義務感はなく、意欲が湧かなかったが、いつまでも書かないわけにもゆかないではないか・・・と思い、老いた頭と体に鞭打ち書きます。

「悪しき平等と悪しき自由」を書いていると、自分自身が腹立だしくなり、気分が悪くなり、怒りも湧いてくるので、この続きは少し休憩させてもらい、他のことなら書けそうなので話題を変えます。

 建築士法に基づき、年一回行われる今年の一級建築士試験「学科(計画・法規・構造・施工の4科目)」が今月の27日(日)に行われ、当社の才媛「鵜飼 愼子」のご主人も受験して、今年はどうやら合格圏内にいるようで共に喜んでいたが・・・。

ところが、深夜になって、今年やっと受験資格(大学卒業後2年以上の実務経験が必要)が出来た数名の教え子から電話が掛かってきたので、きっと受験の結果報告であろうと思い「どうだった?」と聞いたところ「ダメでした。半分くらいしか出来ませんでした」の返事だった。

「そうか、ダメだったか。年々難しくなっているから、お前達も大変だな~」と労いの言葉は掛けたが、悔しそうな気持ちが伝わってくる。

「それで、他の者はどうだった?」と聞くと「同じ様なものです」との返事に少し気も沈んだが「まあ、今の試験は2、3年掛かりで挑まなくては通らないようだ。そう落胆するな」と励ましたのだが、実はこの国家試験は問題ありの資格試験だ。

私の若い頃は独学でも合格できていたこの試験は、いつの頃からそうなってしまったのか、資格取得の専門学校に通わなければ合格は難しくなってしまった。

 この専門学校は各地に小規模のものもあるようだが、今の日本において全国の主要都市に必ず開校している大手?の学校が2校ほどある。

2校ともお互いを意識して、金額面や授業内容等で張り合っているようだが、両校とも授業料は、ほぼ同額でおおよそ「学科試験」が40万円前後で、学科に合格した者が受験する「実技試験(製図試験)」は35万円面前後である。
結局専門学校に通うために最低で70~80万円必要となり、通学の費用や受験料等を含めれば1年で総額100万円を都合しなくてはならなくなる。

 大学を卒業して2~3年の社会人に都合させるには、ギリギリの金額だろう。

それでも「合格できるのなら!」との想いがそうさせるのだろうが、頑張った結果が不合格なら、次の年にまた100万円かかることになる。とは言っても、実はこの国家試験は不思議な試験で、「学科試験」に合格した者は、この年の「実技試験」と次年度の「実技試験」を受験することが出来る仕組みになっている。

つまり「学科試験」に合格すれば、2年連続して(何れ3年になるようだが)「実技試験」を受験できるので、先ほどの「次年度また100万円が必要になる」は一概には言えないのだが、何れにしても数年かけて合格した結果は数百万円が必要だったということになる。

教員採用試験とは違い、議員のコネや金脈・人脈などは通じない世界と思っているし、資格取得対策としての勉強をしなければ絶対に合格はしないけれども、悪く言えば「国家資格」を「金で買っている」または「金が都合出来なければ合格しない」ということにもなる。

 ここで、一般の方とは違う「独断と偏見」に基づいて、私が錯覚に陥ってはならないと思っている大事なことを二つ三つお話しする。

※全ての「国家試験」とは「素質試験」だと言うことである。

  「国家試験」とは本人にその業務能力があるから試験に合格するのではなく、難しい試験用の勉強をして、合格できる能力があるか?だけを問われているのだ。

  資格を取得した後は、その資格に基づいて本当に必要な知識や法を学び、社会に役立つことが出来るか否かは資格取得後の自分の研鑽によるところとなる。

※全ての「国家資格」とは国(官僚)に代わって、その法の定めるところにより、個人である「有資格者が責任をとれ!」といっていることだ。

  その資格で金を稼ごうが、稼ぐまいが好きにしろ!しかし、事故を起こせば「国は責任を取らないので、有資格者が責任を負え!」ということだ。
  資格取得に高い登録免許税を払わされ、与えた資格に対して責任を取らない国は随分と都合の良い立場だと思うが、政界などでは総理に対して「任命責任」などの言葉をよくきく。
  国には付与した免許保持者に対して「任命責任」はないのだろうか?。
  だから、一概に国家試験に合格したからといって、素直に喜ぶべきではない。「国に代わって私が責任を取ります」の誓約書を提出したようなものだと思わねばならない。

※「一級建築士製図試験」は「実技試験」ではなく「国語の試験」である。

  と長年言い続けてきたのだが、中々このことが理解して貰えない。
  設計は「想いを図面化」しなければ相手(建築主・施工業者・建築主事)に伝えることが出来ないので、当然のことだが製図の能力は要求される(外科医の手術能力のようなもの)。

  現実の社会では、建築主の「想い」が「言葉」で発せられて、それを聞き取った設計者がその想いを「図面化」し「形(建物)」にする。

  「製図の試験」は一定の条件を設けた敷地に対して敷地が「文章」で提出され、それを図面化する試験である。つまり「文字(文章)」を「図面」にする試験だ。
  この意味が理解できない者が、今までどれほど製図の試験に落ちたか私は知っている。

 と、このようなことなのだが、実をいうと、私はこの専門学校の講師を数年だが勤めていたことがある。
その時の面白い話や、私が何故このような「偏見」を抱くようになったのか、また大学での話しなどを次回からお伝えする。
  
                                     続きは後日

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