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建築家 潤 の『独断と偏見』

「酔龍の独り言:その044」

       [ 非人道的・差別とは一体何を指すのだろうか ]

 夏が終わりかけた頃から仕事の依頼が重なって思うように時間が取れず、更新が遅くなってしまいましたが、ここ数年来の内で初めて資金繰りに苦労することなく会社の運営が出来ているので有難い限りです。
 私事はさておいて、地球上ではロシア・ウクライナに加えて中東でもまた戦が再燃して「多くの罪のない子供たちが苦しんでいる」との報道をよく耳にするのだが、私はひねくれ者だからこの言葉にはいつも抵抗を感じている。
 その前に戦の形態から考えると「ロシア・ウクライナ」は領土(なわばり)・思想(価値観・考え方の違い)・歴史的背景の複雑な経緯(ロシアの占領下にあったこともある)などが主な原因であろうと理解している。
 一方中東の戦は原因が複雑すぎてよく理解が出来ていないのだけれど、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・石油の利権・人種問題などが複雑に絡み合った内容のようですが、出発点は同根の宗教と思われるも、長い間の内に人が宗教を扱うと解釈や考え方・作法の違いなどから発した人の都合による根深いものが生じて、親子喧嘩・兄弟喧嘩のような宗教戦争や民族間戦争ではあるまいかと思えてなりません。
 しかし、いずれの宗教も経典なるものがあるはずで、そこには「憎し!と思われる相手は殺せ」と書いてあるのだろうか。いずれの経典も読んだことがないので判らないままですが、おそらくそのような下りは無いと思っている。
 人も動物の一種であるから「なわばり」の意識は強く、外国相手では「国境」となり国内では「隣地境界線」となろうか・・・これに関わる争いごとは人類の長い歴史の中で幾度も繰り返されてきているけれど、その悲惨な結果から何も学んできていないことが最大の悲劇であろうし、本来の宗教が目的とする意味すら逸脱しているのではなかろうか。
 その争いに政治的な思惑や国内の余剰武器を消費したい軍需産業の本音を「友好国への支援」と言う形にすり替えて戦争を煽ってきた大国の卑劣なやり方でどれだけの人達が亡くなったことだろうか。
 話が逸れてしまいましたので戻します。
「多くの罪のない子供たちが苦しんでいる」という報道は裏を返せば「罪があれば殺して良い」とも取れる発言であるから「いたいけな子供たち」「力のない子供たち」というべきではなかろうか。
 しかし多くの解釈がなされている「原罪説」から紐解けば、アダムとイブが犯した罪は遺伝的に受け継がれているとするなら人は生まれ落ちた時から罪を背負っているということになるから、報道の文言は誤りということにもなる。
 人だから文字を含む言葉を使って様々なことを伝えて情報を伝達し交換し、垂れ流したりするものであるが、伝える側と受け取る側の意識や知的理解度・宗教的背景・性別の差などがあれば「話せば判る」は「話しても解からない」となってしまう。
 これが日常の中で起これば、欲が絡み、意見の違いや感情の縺れから、幾ら親しい間柄であっても「諍い」となり「喧嘩」が始まることは多い。
まずは夫婦喧嘩・親子喧嘩・兄弟喧嘩・隣人や職場や学校で・・・と限がなき程日常的に起こっているのである。
この喧嘩が大きくなったものが多国間の「戦争」であるから、この世から「戦争」は決して無くなることはないと思っている。
そして戦になれば「非人道的兵器」や「非人道的行為」などの言葉や文字が報道者達から流されるが「戦」そのものが命のやり取りだから「非人道的」であるはずなのに、その戦の中で使われている兵器の一部だけを「非人道的」というのは戦争を容認している言葉の裏返しであろうし、無抵抗な一般人を殺害することは「非人道的」だと言っても、銃や大砲の弾にミサイルは一般人と兵士の識別装置など付いてはいないだから巻き添えになることもあろうというものである。
報道者達が勢い込んで「非人道的な爆弾が投下され・・・」と言うけれど、通常の爆弾で殺害することは「非人道的」ではないのかと不自然な言葉使いに思えてならない。
何処か何かを上面な綺麗ごとの言葉で誤魔化しているように感じているのはひねくれ者の私だけなのだろうか。
 
そして又ハローインの騒ぎがやってくる季節になりましたが、昨年だったか隣国で多数の死亡者を出した他国発祥の祭りである。
多くの人達(圧倒的に若者が多いと感じています)が例年のように渋谷の交差点周辺に集まって酒を飲んで騒ぎを起こしているので、きっと今年もそうなるのでしょう。
しかし、なぜ渋谷の交差点なのか、何のために集まるのか、日本で長く受け継がれてきた伝統的な「秋祭り」の時期なのに、それには目もくれず、意味も解からずハローインの祭りに参加?するのは何故(主催者なしの集団だから、最早暴徒に近いのでは・・・)。
これはハローインに集まる全て人の心の中にある「不満」「自己顕著欲」などの発散場所と捉えるなら、何とも心が満たされていない日本人が多いことだろうと寂しくなります。
外国人が集まって騒ぐのは自国の祭りであるから、良かろうと思うけれど、日本の渋谷の交差点でする祭りなのか?祭りを行う場所が違っているよねと言いたくなる。
東洋の思想には「君子危うきに近寄らず」の言葉があるのだけれど、私などはハローイン当日の渋谷交差点は「危うい場所」と思えますが・・・。






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