fc2ブログ

建築家 潤 の『独断と偏見』

「酔龍の独り言:その043」

        [ 有名企業が社会の手本となる日は来るのか ]

 「ビッグ モーター」と言う車の販売や修理を行っている会社が(保険の代理店も行っていた)、通常感覚では考えられないような修理の形態を取っていたことが発覚した。
更に店舗前の緑地帯に植えてある樹木や草花を枯らす目的で除草剤を撒いていたと言うのである(いま日本で売られているこの除草剤は、かつて米軍がベトナム戦争委で使った悪名高き枯葉剤と同じ成分ではないかと何かの本か記事で読んだことがあるが検証はできていない)。

 聞いたところでは出自は山口県岩国市の企業で、創業者は一代で大きな企業に成長させたようであるが、その業務実態の中には、事故にあった車の修理を依頼されて持ち込まれた車体に更なる傷や凹みを修理工場内で付け加えて修理金額を上積みさせていたと言うのだから開いた口が塞がらないとはこのことである。
 このような経緯に至ったのは、修理などは保険金で支払われるのだから修理費は膨らむほど企業利益が出るし、誰も困るわけでもないから・・・と言うのがこの企業が描いた筋書きだったのであろう。
そう考えれば良心が咎めても、なんとなくそこを乗り超えられたに違いない。
 また除草剤を撒いたのは「生えてくる雑草を撤去するのが負担になっていたから・・・」
と言っている社員の映像を見たような記憶があるが、これは明らかに綺麗ごとな答弁であり実際はそうではあるまい。
 多くの地域で同じように除草剤を撒いて樹木や草花を枯らしたのは会社の指示であり、目的は多くの人に見て欲しい車の展示場なのだが、車に乗っている人からの目線を遮る樹木がとても目障りで仕方がなかったのであろうと思っている。
一度に大量の除草剤を撒くと直ぐに樹木が枯れた原因を追究されそうだが、長期にわたってすこしずつやれば自然枯れに近いように見せ掛けられるとの思惑もあったのであろう。
であれば、双方ともに実に狡猾な手法だよねぇ~悪知恵が働くと言えばよいのだろうが、性根の厭らしさや意地汚さが滲み出ている。

しかし、企業がこのような状況下に陥ってしまったら車の修理が目的であるはずの企業理念は何処かへ行ってしまい、金を儲けることだけが目的となってしまって、もう企業の形態を保てなくなっているのに、そのこと知っていたにも拘らず目を背け、正そうとしなかった社員にも罪はあるでしょう。
新たに車に傷をつけることは犯罪であるから、いくら生活の懸かっていようと、上司の命令だったからなどの言い訳は通用しないはずであるが、密室で行われる作業だから、その認識も薄かったのだろうか。
 でも結果的にはこのように白日の下に晒されたのだから、遅かれ早かれ、いずれ・・・の域を出ていない。
そう考えると、告発者は恐らく修理工場に勤める社員の一人ではないかと想像しているが、これは推測の域を出ていない。
当のこの会社は昨今会社の運転資金の資金繰りに奔走しているとの情報であるが、不当な利益で会社を大きくしても、結果的に社員を路頭に迷わせるような方向へ導いていった経営者の罪は大きいし、有名な企業でありながら社会に対する信頼を大きく損ねたことが最も許せないことであるが、同じく手に手を取って蜜月を過ごしていた被害者面をしている大手損保会社も同罪であろう。
多くの損保社員を車屋の方へ出向させていたというのだから一連の内容を知らなかったはずはなく、こちらも金のために心も魂も売ってしまっていたに違いない。
いずれも想像の域を出ないけれど状況証拠からの推察であるから違っているとも思えないのだがねえ。

特に車屋さんの方は一代で築き上げた立志伝中の人物であるから、人生の目標にしていた人もいるのではないかと思うが、中身は単に土器に金メッキを施していたにすぎないことが判明したということでしょうか。

しかし、この車屋に限らず「東京オリンピック」に関わる古参の古狸連中がやってきた意地汚い利権とそれに群がる企業や著名人達。
「新型コロナ」の検査・調査や統計に加えて補助金に関する不正申請(100億円を超えるものまであるとか)による件は不正であるとわかってやっていることですから、これらはもう詐欺事件ですよ。
先進国と言われている日本国にある有名企業や有名人たちがその名を連ねているのである。
情けない国になりましたねぇ~もう元には戻れないでしょうか・・・。

内容は変わりますが、先日の読売新聞朝刊一面にある「編集手帳」に次のような文が掲載されていた。
 小学校には昔、畳の部屋があった。「作法室」と呼ばれ、正座やお辞儀の仕方を教えた◆東京市の臨時建築局長に招かれた建築学者・佐野利器(としかた)は作法室などいらないと、当時の教育関係者と対立した。関東大震災では100校以上の市立少が消失した。再建にあたり、佐野は耐震・防火にすぐれた鉄筋コンクリート造の設計図に水洗トイレや蒸気暖房を加えた◆大正期に建造を始めた「復興小学校」は今も銀座などに4校が残る。モダンな外観が行き交う人の目に留まるが、第一の目的は意匠ではない。暖房や水洗トイレは避難所としての活用を模索したものと伝わる◆今日で関東大震災から100年になる。防災の歩みも、
それだけの歳月を過ごしたといえる。佐野博士は東京帝大の教授時代、なじみ深い言葉も世に残している。建物が地震から被る力を「震度」と呼び、世界で初めて数値化した。
この論文の発表は震災の10年程前にさかのぼる◆慧眼というほかはない。いち早く都市の危険に気づき、住民の命を心配した人のようである。お人柄を知りたいところだが、生前の面影を映す資料はあまり残っていない。

 良くできた文であり、いつも読むのを楽しみにしているのだが、今回は少し引っかかった。
それは「作法室」はいらないと言った下りである。当時の作法室は正座やお辞儀(礼儀の一環)を教え伝える役割のために設けられていたものだと理解している。
現在から考えると新しい家のほとんどに「和室」など設けられてないから「正座やお辞儀」など不要の社会状況下となっているけれど、「作法室」は正座やお辞儀を学ぶことを通じて、人と人が関わり合うこの世での「礼節」を身に付け「恥」を知り「分相応」を知るための入り口ではかなったのかと思うばかりである。
これらを失った現在において、清潔で耐震性の優れた建物は手に入れたようだが、中に住まう人間の方が「慇懃無礼」「恥知らず」「身の程知らず」となっている予想を佐野博士は震災の10年程前に予測はつかなかったのだろうね。





ブログランキングに参加しています。賛同して下さる方はクリックをお願いします→ クリックをお願いします

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://junblog241224.blog95.fc2.com/tb.php/377-d572fe92

 | HOME | 

文字サイズの変更

ブログ内検索

FC2カウンター

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QRコード

プロフィール

潤の『独断と偏見』

Author:潤の『独断と偏見』

カテゴリー

Template by たけやん