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建築家 潤 の『独断と偏見』

「酔龍の独り言:その040」

                [ 少子化対策その五(最後) ]

 「少子化対策その五(ローンと言う先取り経済を認めた政策の失敗)」


 団塊の世代と言われている筆者と同じ七十五歳前後の老人達が子供の頃(六十五年ほど前の頃ですかね)には社会全体として次のような風潮があった。
 「勤め人(サラリーマン)は借金をしてはいけない」が鉄則のようにあったし、銀行は企業や商売人には金を貸しても、勤め人に金を貸す仕組みは無かったのである。
では勤め人が高額な商品を求めたい場合はどのようにしていたのかと言えば「月賦(げっぷ)」と言われていた仕組みが当時にあったけれど現在では死語となってしまっているようです。
高額な商品を勤め人が手にするのは二通りの方法があり、その内の一つは「高額商品が買えるまで毎月少しずつ預貯金をしておく」か「月賦」で購入するかである。
「月賦」の購入方法は商品を売る「商店」に対して現金で一括購入できない商品の購入金額を12回払い・24回払いなどのように返済の回数と金額を決めて毎月「商店」に支払うもので、現在の「ローン」と言われているものと比較すると購入者が月々に支払う方法は同じようにみえますが、中身の仕組みが全く異なります。
「月賦」は安定経済・実体経済と言ってよいと思いますが「ローン」は架空経済・先取り経済と言うことになると思います(私は経済には本当に疎いのですが、この位の仕組みは判ります)。 
 「月賦」の仕組みを簡単に説明すれば消費者が120万円の商品を12回払いで購入すると、月々の支払いは10万円となり、毎月10万円が商店に支払われて、そのお金が社会(市場)に流れる仕組みですから商品代金120万円の全額が社会(市場)に流れるには12ヶ月の期間が必要になります。
 しかし「ローン」は全くの別物で、同じように消費が120万円の商品を12回払いで「ローン」を組むと「銀行」から販売元の商店には数日後120万円が支払われます。
しかし、消費者がその「ローン」を完済するには「月賦」と同じ12ヶ月の期間が必要になるのだから、本来12ヶ月先でなければ社会(市場)には生じないはずの金が一気に社会の中に流れて行くのですから確かに経済は発展するでしょう、しかしこれは明らかに「架空の経済(本来12ヵ月後にならなければこの世に生じないはずの金が今日の時点で市中に流れるのですから)」ですよ。

同じように団塊の世代が子供の頃には「家」を新築するのは「三代」を要すると言われていましたから、山を所有している方は「杉・檜・桐」を植林したものです。
爺さんの代に家を新築した後に植林(家を建てる時に使う木材にするため)を行い、貯蓄を始め、息子の代も同じように貯蓄に勤しみ、孫か曾孫の代になってから家の建て替えができるようにと3代~4代に渡って金も貯めていたそうである(勤め人が家を建てるために借金をするなど考えられないことであったし、銀行が金を貸すこともなかった)。
また百年近く経つと植林した木材も十分に柱や梁に使える大きさになっているので、かつての日本では「家(住まいの家ではありません)」を中心としたものの考え方が普遍的で3代の家族が同じ方向を向いて力を合わせることが出来ていたと言うことでしょう(今では考えられないことですよね。戦争に負けて以来自分勝手ばかりが目につく世の中になってしまいました)。
時代が、時がゆっくりと流れていた明治・大正・昭和の時代だったのでしょう(当時の世界情勢は悪の枢軸である欧米が世界中を植民地化している時代のことですから、戦が避けられない慌ただしい世情であったにも拘らず、人の心はこの様にゆっくりと大らかであったと思われます)。
それに比べて今の日本では二十代(意識や能力は子供に近いが・・・世の中では大人と認められています)の若い夫婦が「ローン」を組んで、いとも簡単に四千万円近い土地付きの家やマンションを購入している現状をどのように捉えればよいのだろうか。

いや、若い人が家を建てていけないと言っているわけではないのです。
「ローン」と言う架空の経済を導入したものだから、若い人が簡単に家を手にすることができるようになったため急激に核家族化が進む要因となったことが問題だと思っているのです。
家族三代が同居しなくなったから、お互いが力を合わせ、助け合うこともなくなってしまったし、長年人間の世界で生活を続けてきて身に付けた技術や知恵に工夫を若い家族が学ぶ機会を失ってしまったことが大きな損失であることに気づいている方も少ないであろう。
 このような表現は今の時代においては敵愾視されそうですが、釣ってきた魚が捌けない・衣類の繕いが出来ない・おせち料理が作れない等などを鑑みて「それで女か!」と言いたいのですが、本来男と女は平等ではありません「人権についてだけは平等」その他は「体の仕組み」や「ものの捕らえ方・考え方」生活面での「役割」など全てが「得て・不得手」があり平等の能力を持ってこの世に出されていないのに、それを「差別」だと言って同じにしようとする事柄自体が「本当の差別」であることに気づいている人も少ない。
極端な例を言えば「男に子供を産め」と「女に子供の種付けをしろ」であろうが、出来るわけが無い。そもそもこの世に人として出される時の役割が違うからであるが、これが最も大きな役割の違いであろう。
 からこの件に関してのみ誰も平等を持ってこないし同権を叫ばないが、そのほかの何となりそうな部分は平等・同権と騒ぎ立てる。
何故騒ぎ立てるのか!そもそも男と女が同じ力と能力を持っていれば、誰かが騒がずとも自然に男であれ女であれ、それぞれの能力に相応しい役職や地位に就いているはずなのに、そうなっていないのは役割の能力に大きな差があるからであって、差別をしているからその重要な役職や役割に就けていないわけではない。
しかし我が国では法律で西暦何年までには女性の管理職を30%以上にするなど、本来人としての姿を歪めるようなことを行おうとする馬鹿政治家なのか官僚なのかは判らないけれど、もう少し歴史を学び様々な角度に立って視野を広げてから政策を行って欲しいと思うばかりである(外国は外国であり日本とは国の生い立ちと国民の質が違う。質の低い方へ流れる必要などないし、真似をする必要などあるまい)。
関連しているとは言え、話が少し逸れてしまいましたので、元に戻します。
 母性というものは我が子には「自分が学んで身に付けた知恵や工夫に知識と技術」を伝えたいと思うものであるが、今の若い母親に我が子に対して伝えることができるほど身に付けた「知恵や工夫に知識と技術」があるのだろうかと疑問に思うばかりである。
 女としての能力を身に付けるよりも、スマホを使い何でも金を支払うことで解決する方法を身に付けることは女としての「器量」を上げることにはなっていない。
核家族が進んだお陰で女としての器量は下がりっ放しとなり、生活面での知恵や工夫に技術は次の代へ受ける継がれることさえなくなってしまったのである。

今まで述べてきたような事柄全てが小子化と言われている要因を少しずつ担っているで、小子化はこれさえ失くせば解決するので、子供は増えると言うような単純な事柄ではない。
自分で小子化となる要因の一つである核家族化政策を推進しておいて、小子化となったから何とかしなければとは笑ってしまうし、金(補助金)を出しさえすれば子供を生むだろうなどの低次元の発想しか出て来ない政治家と官僚ではこの国将来は本当に危うい。

尤も一旦このような流れを国の中に造ってしまうと、そう簡単には元に戻れないし、新しい発想へ向かうことなど至難のわざとなろう。従って現状の発想以外出来ない政治家と官僚では少子化問題を解決することなど絶対に出来ないと明言しておく。






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