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建築家 潤 の『独断と偏見』

「酔龍の独り言:その038」

                [ 少子化対策その三 ]

今の日本において士業を含めて専門的職業についている人達の殆どは国家資格保持者である。
この国家資格を有するには、まず受験資格(国家資格の試験が受けられる最低の基準)と言うものがあって、その殆どが学歴と習得した学科となっています。
これまで国家資格の受験資格を全て調べてみたことはありませんが、恐らく高校卒業以上の学歴が必要とされているはずで、中には大学の特定されている学科を修了した者に限定されているものもあります。
と言うことは、中学校卒業以下では国家資格を得ることは出来ないと言うことになり、学歴が無くてもその職業には就けるかもしれないけれど、仮に本人の素質や能力がその道において、とても優れているものを有していたとしても、国家資格を有することは出来ないと言うことになるので、社会的な扱いが粗末にされることが多いと思われます(会社における地位や給与待遇など)。
尤も高校卒業と同等となる認定を受けられる機関もあるようですが、世の中には本質的といえばよいのか、心情的にと言う方がよいのか、明らかに学問的な能力が劣っている方や学問がとても苦手な方も多いのです。
ではそのような方々はどのような仕事に就けば社会的に信頼されて、少しでも尊敬が得られ、お客さんからも喜ばれて、ある程度安定した収入が得られるのかと言えば、職人になる道と家内工業である家業を継ぐことであったのはもう一昔の話で、今の日本に於いてはその道は残されていない。
今まで何度も同じことを書いてきましたが、政府と官僚が良き日本の社会構造を壊してしまったことが小子化の原因の一つにもなっていると思うのです。
学問など出来なくても十分に社会の中で活躍が出来きて、安定した収入が得られる社会こそ本来人が形成するべき社会形態であって、かつての日本では地域の方から喜んで貰えていた職人としての腕や、作る食品・料理の味、製造する製品の良さなどが尊敬とまでは行かなくとも、少なからず賞賛される職業として活躍できていた社会であったものを壊してしまったのである。
大手企業による製品の工業化を押し進めて、職人や家内工業の生きる道を狭めてしまい、大店法(だいてんほう)を施行させることで地域に深く根付いていた商店や店舗を壊滅させたつけが現在形になって顕われて、学問が出来ない若者は生活の糧を得る場を失ってしまった。
ほんの一例に過ぎないけれど、それによってこのような若者達は振り込み詐欺などの特殊詐欺と言われている悪事に手を染めるような事柄に巧みな手法で取り込まれてしまっているのではないかと思うのです。これらの事件で検挙された人は、氷山の一角であろうし、その予備軍は相当数いるはずなので、酷い格差社会の底辺に近い人達は生活の糧を得ることが出来ないから、不本意ながら悪事の道に引きずられてしまっていると言うことでしょうか、このような若者達が自分の将来像として描く「結婚・出産・子育て」など考えられるわけなどないでしょう。

 人は自分の持つ能力を高めるために、長い間に渡って少しずつ周囲の人達との信頼関係を築き、仕事の腕を磨きながら積み上げてきた技術でもって働いてその対価を得る。その対価で「結婚・出産・子育て」を含む日常生活を営むからこそ充実感や満足感が得られるものであって「働くことは喜び」であるなどの意識が持てるようになれば、自ずと「心の充足度」は高まり、多少収入が低くても人は不平・不満など口にしないものである。
 ただ、現在のような社会構成下では「仕事は金を得る」手段となってしまい「仕事をすることは喜びである」との意識を持っている人はとても少ないと思う。
このような意識の差が日本を駄目にした根本原因であって、欧米の悪しき習慣を取り入れて現在は正にアメリカ合衆国日本州と化してしまったようである(戦後マッカーサーがやったウオーギルド・インフォメーション・プログラムは大成功を収めたと言ってよいと思うけれど、当のご本人は後日アメリカに帰国して綴った回顧録の中で、あのプログラムを日本に押し付けたのは間違いであったと懺悔している内容の近代歴史書を読んだことがある)。
労使関係に於いてもかつての日本の創業者は社員を我が子以上に可愛がり慈しみ教育しながら「(人としての素地を)育てていた」けれど、欧米の経営者は社員を「金を稼ぐ道具」程度にしか考えていないから、人を育てることなど決してせず、業務マニュアルを押し付けているだけである。
現在の日本の大企業は正にアメリカのこの方策を模倣して企業運営を行っているから多くの若い社員を抱えながらも金儲けの為の教育はしているようだが「人を育ててはいない」ので殺伐とした会社となってしまっているのではなかろうかと想像していますし、経営陣達が先を争うように法令を含み同義的違反に手を染めていることからも推察できる。

かつての話が多くなってしまいますが、かつて戦争が起こることを前提として国は国民に対して戦闘員確保のために「産めや、増やせや」政策のようなものがあったと聞いていて、勿論子供のことなのだけれど、このことを奨励するわけではありませんが、ではその当時と大東亜戦争終結後に復員して帰ってきた時に生じたベビーブーム(団塊の世代と呼ばれた)人達の子育てと現在を比較してみればもう少し本質に迫ることが出来るのではないかと思います。
そこで終戦後に於ける当時の子育てを振り返ってみると子供の生活費や出産費用に加えて教育費などに対して国が補助金を支給していたのかと言えば「否」であるにも拘らず多くの子供達を産んで育てていた(子供の人数に応じての所得減税はあったと思うが、微々たるものであったと思っている)。
では当時子供の生活費や教育には金が掛からなかったのかといえば、そんなことはあろうはずもなく、やはりある程度の金は掛かっていたのだから、一体何が違うから子供を産まなくなったのかの答えがここにあろうと言うものである。
 仮に我が子が学問など出来なくても「十分に生活できる環境が社会の中にあった」から親は安心して子育てができたのだと思っている(子供の出来不出来に係らず将来に対しての不安など感じなかったからではないだろうか)。
現在SDGs(エスディージーズ)と盛んに叫ばれている内容だけれど「多様性を認め」「誰も置き去りにしない」「貧困をなくす」」など全部で17項目あるようですが、日本の当時には近隣同士で助け合い、家族や親戚と協力し合って生活を成り立たせていた環境を構築していたので、真のSDGsを既に行っていたと言うことになるが、それをぶち壊しておいてから今になって何故SDGsなどと叫ぶのかと言いたい。
それは全て日本の良き文化と生活様式をアメリカに倣って捨ててしまったからに他ならない。自分にとって都合のよい権利の主張ばかりを振り回して他を攻撃し、真偽を確かめもせずに無責任に嘘の情報を垂れ流し、世間に向けた謳い文句はとても良いのだが、やっていることは自分の都合を消費者に押し付けているだけの大企業の姿などをみていては「このような社会の中で多くの子供を産んで育てる意欲」が湧くでしょうか。
 小子化については高額な出産費用に加え、子供を育てる為に必要な生活費や教育費が不足すること以外にもっと大きな要因があることに政治家も官僚も気付いていないから的外れな議論と政策ばかりが出てくるのだろうと思っています。

又文章が長くなってしまいましたので [ 少子化対策その四(窮屈になった日本の社会と核家族政策の失敗) ] は次回に持ち越します。






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