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建築家 潤 の『独断と偏見』

「酔龍の独り言:その032」

           [ 韓国でハローウィンの前日に起こった事故 ]

 10月29日深夜韓国の梨泰院(イテウォン)地区において人並みに押されて起こった群集雪崩による事故で死者149人負傷者149人と平時に街中の繁華街で起こったとは思えないほどの犠牲者を出した。
犠牲者や負傷者の多くは二十代三十代の若者であり、報道によればハローウィンで集まった群衆に加え、その地区にある飲食店に著名な芸能人が食事に来ているとの情報が流れて(恐らくスマホによるものと思われる)より多くの若い人が集まってきたとの報道であった。
 多くの若い人が命を落とした痛ましいこの事故について、日本では各方面の方が「何故事故が起きたのか」の検証を勝手に行い(私もその一人です)、中には韓国と日本の国民性の違いに焦点を当てて比較し論じている方もいるようですが、当の韓国ではこの事故は明らかに人災だから責任の所在を明らかにしなければ・・・と警察関係者の責任を追及し、更にその矛先は大統領にまで発展しそうな状況になっている。
 今の世の中では日本に限らず、何かしらの事故が起こって死傷者が出ると必ず誰かの責任にしなければならないとの風潮があります。十年ほど前に日本で起こった東日本大震災の時においては自然災害でありながら防潮堤の高さ10メートルについて津波の高さの想定が不十分であったのではないかと野党がその責任を追及していたような記憶があります(この追及は明らかな後出しじゃんけんですよ)。でもその時に「もし、当の防潮堤を企画する際に15メートルとか20メートルまでの高さまで想定して作ろうとしていたなら、恐らく野党は無駄な建設費であり過大設備ではないのかと言い出して、15メートル又は20メートルの高さにする根拠を示せ!などと迫ったに違いないと思ったものです。
 「自然の力は恐ろしいほど強大で人智の及ぶところではない」と本質の部分で解かっている筈なのに、人が少しばかり化学や科学の知識を身に付け、ある程度の地震や津波・火事などを克服してきたものだから、巨大な自然の破壊力に対しても対抗できると錯覚しているに過ぎないことが理解されていない。
何が言いたいのかと言えば、この世で起こるあらゆる事故についての全てが、誰かである人の責任に帰するべきものとするべきではないと思うのです。
 本題とは少し外れてしまいましたので、話を元に戻します。
今回起きた韓国での群集雪崩は自然災害なのか人災なのかと言うと、これは明らかな人災であろうが、だからと言って警察関係者や大統領に責任があるとは思えない。
警察関係者や大統領に責任を問うのは明らかに「後出しじゃんけん」のようなものだから、事故が起こる原因や事故内容が事前に判っているなら対処の方法もあったであろうが、当時より何倍も多くの警察官を配備していたとしてもこの事故が防げたか否かについては甚だ疑問に思う。
日本でも2001年7月に同じような事故を明石市で起こしていて、夏祭りの花火を見物に来ていた人達が橋の上で群集雪崩を起こし多数の死傷者を出している。この事故では警察関係者が処分を受けているが、気の毒である(これもある意味で後出しじゃんけん)。
狭い場所で一旦数千人・数万人・数十万人と多くの群集が動き出し流れ始めたら、いくら警察官と言え人の力でその流れを止めることなど出来ようはずがない(これは机上だけでものごとを考える人達には理解できない状況のことだと思いますが、この人達が判断して被疑者を作り上げ、送検した後に裁判所が判決文を出すのだからねぇ。人の脳が少し先のことを想定する・想像をする能力には限界があることの理解も必要なのではないでしょうか。ただ行政側の立場としては誰かに責任を取らさなければ世間が納得しない!の言い分も判らないわけではありませんが、本当にそれで良いのかの疑問はのこる)。
 ではここから本質の話しに移ります。
事故にあった人達には気の毒ではありますが、事故に巻き込まれない方法はあるのです。
それは特別な用事でも無い限り多くの人が集まる場所には出て行かないことです。
日本には昔からある「いろはカルタ」に次のようなものがあります「犬も歩けば棒に当たる」です。
これが本質をついている内容で、大した用事も無いのにふらふらと出歩くと棒で叩かれて酷い目に遭うから、むやみやたらと出かけるなと言う意味のようです。
 外国の祭りなのにハローウィン前日に仮装までして集まっていた若い人達の心情を想定してみると「ねぇ皆見てよ、私の仮装凄いでしょう。何時間もかけたのよ」仲間と共に仮装をして誘い合い「楽しいねぇ、凄い人出だねぇ、来て良かったねぇ」「芸能人の誰々も来ているんだって。そこに行ってみようよ」「皆でぱぁっと騒ごうぜ」「行けば何か良いことがありそうな気がする」などでしょう(これらは一部自己顕示欲に駆られた行動ですよ)。
 何が楽しくて人ごみに揉まれて良かったのかよく解かりませんし、芸能人などはテレビや銀幕の中で見れば十分だと思うのだけれども生で見てみたい欲求に駆られるなどの人達は「心が浮ついている人」「浮かれた人」の集まりであり、その人達が集団を形成しているのだから良いことなど絶対に起ころうはずが無いのに出かけて行ってしまうのは恐らく人生経験が不足している幼稚さであり愚かさであろうと言ってよいと思う。
特に子供を観察していれば解かることで、子供は意味もなく「はしゃぐ」「走る」「騒ぐ」「奇声を上げる」などの行為を行うので、このことから判断するとハローウィンに集まる人達はやはり体は大人となっていてもまだ心が未成熟な子供と同じ程度ではあるまいか。
また芸能人が来ているなどの情報などは恐らくスマホを通じてのことでしょうが、どうでもよい情報などには惑わされず、落ち着いて判断してから行動を取るべきであり、何より自分の身は自分で守る!の原則を忘れるとこのような目に遭ってしまうことになります。
いつも言っているように国や行政が自分を守ってくれているわけではありません!の通りとなってしまい、当時梨泰院(イテウォン)地区には百人以上の警察官が配備されていたけれど事故防止の役には立たなかったでしょう。
こう言う私も同じように子供(若い時を含めて)の頃には「心の浮かれるままに」人ごみの中に出かけていたことがあるけれど、悪いことには遭遇すれども良き事など一度も起こらなかった記憶がありますから、振り返りよく考えてそこから学んだことです。
しかし人は心が浮つくと居ても立ってもいられなくなるのは人としての性でしょうかね。
最後に格言をもう一つ「君子危うきに近寄らず」がありますが、若い人達には群集が「危うきところ」には思えないのでしょうね(いや最近では最早若くもない人達も同じかな)。
だから私などは「祭りなどで人が沢山集まっている中心辺りには決して近づかない」「行列には並ばない」「人だかりが出来ている所にも近寄らない」を守っています。






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