「酔龍の独り言:その028」
2022-07-29
[ マニュアルと元総理銃殺事件 ]
今年初めて蝉の鳴き声を聞いたのが7月2日だったと思う。
朝早くから熊蝉のけたたましい鳴き声が道路を隔てた連なる寺院の樹木から聞こえてきた。
今年は蝉が例年より早く鳴き始めたか・・・梅雨が明けたのかもしれないと感じながら、注意深く聴いてみたが、ここ数年と同じで、やはり油蝉とニイニイ蝉の鳴き声がしない。
以前何かの記事で読んだのだが、体の大きいクマゼミが油蝉やニイニイ蝉を駆逐?してめっきり数か少なくなっているそうである。
だからと言って、蝉が他の蝉を襲うなんて話は聞いたことがないので、体の大きい蝉が生殖範囲を広げて行き、小さな蝉が追いやられているということであろうと想像するが、自然界も力の強いものが弱い物を追いやる状況は人間界と同じでとても残酷である。
油蝉やニイニイ蝉は絶滅したのかな?と思っていたところ、ある日バルコニーで油蝉の死骸を見つけたし、通勤時にマンションのエントランスポーチにも動かずに横たわっている油蝉を見かけたので、まだ棲息はしているのだと少しほっとしたけれど、ニイニイ蝉は近年本当に鳴き声を聞かないし、死骸すら見ていない。
子供の頃に昆虫採集で虫集めをしていた頃は捕り切れないほどいたのに・・・と少し寂しくなる。
また今年は梅雨明け宣言が早かったので空梅雨かなと思っていたところ、戻り梅雨とも返り梅雨とも呼べないような状況で大雨が少しの間だが続いた。
日本中が渇水状況に陥る寸前だったから結果的には良かったのだけれど、気象庁の梅雨明け宣言が早とちりだったのではと言うことでしょうか。
業務と資金繰りが忙しくて思うようにブログ更新の時間が取れないままで、その間に様々な出来事が起こり早く更新しなければ・・・と思いながら今日に至ってしまいました。
元総理が銃殺された事件では驚くことばかりで、銃が手製であったことに加え、思想背景はなくて宗教団体への恨みからだとの報道に少し疑念が湧いたけれど、どうやら本当のようである。
霞ヶ関の職員を自殺にまで追いやった森友学園問題に加計学園問題、桜を見る会などがうやむやなままで国民の心の中は疑念が燻っていたままであったから、事件直後は検察・警察が第二第三の追随犯行を恐れた報道発表ではないと思ったけれど、時間が経つに連れ自民党と旧統一教会(以前に大きな社会問題を起し、現在は名称を変えている)の親密関係が明らかとなり、週刊誌などが盛んに関連議員達に標的を絞り記事を発表している。
撃たれて死亡した元総理も、まさかその日に銃撃されて死ぬなど思ってもいなかったであろうが、残念なことではあった。
しかし、犯人が作った製の銃(子供が作った工作のようにも見えた)は2連発でそれぞれ6個の銃弾?が込められていたというから合計12個の弾が発射されたことになる。
元総理には2弾が命中したとの報道だが、残り10弾は車や建物に当ったようであるが、ただ1弾だけの行方が判らないから捜査を続けていると言う。
心の声(ここに来て行方不明の残り1弾が何処へ消えたかなど、どうでもよかろう。若しかすると犯人が6弾入れたつもりではあったが、5弾しか入ってなかったかも知れないのに、人と費用を掛けてまでこれ以上調査の必要があるのかと疑問に思う。)
尤も官僚は何から何まで詳細に事柄を明らかにしなければならないとの責務を背負っているかのように見えるけれど、文書改竄問題では何ら明にしようともしないのは何故か。
恐らく自己保身が目的の忖度がそうさせるのであろうが何とも都合のよいことだこと。
元総理が銃撃を受けた瞬間の映像を見たけれど一発目の銃声がした直後、元総理は後ろを振り返っているので、後ろで車のタイヤがパンクでもしたのかな程度の感覚であったのではなかろうか。
恐らく自分が撃たれた自覚や感覚は無かったのだろうと思われる。
演説をしている時に前にいる十数名の群集?の中から人が出てきて何かを自分に向けて発射する映像が視覚に入り爆発音と煙が認識できていたなら「撃たれた!」感覚が瞬時に生じるからその場に倒れ込んだであろうが、元総理の視覚にその認識がなかったので恐らく後ろの爆発音は「他人ごと」であったのだろう。
ここで問題になるのが警察やSPによる警備体制はどのようになったのか、万全であったのかについてである。
常日頃から警察やSPは警護訓練を欠かさずに行っているはずだから訓練不足は考え難い。
しかし、何故この事件が防げなかったのかについては①:元総理の寿命がその日であったから②訓練はいつもマニュアル通りに行われているので、マニュアルを外れた急激な変化に対応する能力を持ち合わせていなかった③アメリカなどとは異なり一般人が銃を持っていない安全と思われる日本では元総理への銃撃など起こらないであろう・・・との気の緩みがあった。
いずれにしろこの内のどれかであることに違いはない。
尤も①のその日が寿命であったことに関しては紛れもない事実だから①は外した方がよいですね。
人はこの世に生れ落ちたと同時に死ぬ日と死に場所死因まで決まっているのだから「本来防ぎようのない事件であった」が正鵠を射ていると思っていますがきっとご賛同は得られないでしょうね。
でもそれが証拠に元総理の前にいた聴衆者達には一人の死傷者も出ていなでしょう。
その場に出くわして、自分達の方向へ弾が飛んで来たにも拘らず、かすり傷一つ負っていなのですよ。
少し前に山口県阿武町で「振り込まれ詐欺」事件があった。
小さな町役場で毎月のように法人にではなく個人に数千万を振り込む事案があったとは思えないのに個人に数千万円が振り込まれてしまったのである。
当の職員は何ら疑問すら感じなかったのであろう・・・恐らく誰かの指示通りに職務を遂行したのであろうと思われるし、また公金を扱う事柄であるのに最終の確認検査体制を持っていなかったのではないかとの疑問が湧くので、一般社会では考えられない状況である。
況してや当の金額を振り込んだ銀行の担当者も然りで「何らかの疑問」すら生じなかったのであれば呆れてしまう。
ここで問題にするべき事項はいずれも何故「疑問を持たなかったのか」である。
マニュアル一辺倒の社会となった今、個人の主観に直感や疑問は無視して「マニュアル通りにやればよい」から始まり「マニュアル通りに出来ていれば良い」で終わる。
途中で疑問などが生じても個人の主義・主張・主観など無視しろと教わるらしい。
つまり「馬鹿になれ」と言われているに等しいことを日本中の大企業や行政が率先して行っているわけだからこのような事件(社会問題とはならないような小さな苦情のようなもの)は日常茶飯事的に起こっているはずである。
日本国中「馬鹿製造機構」に組み込まれてしまっては日本の未来などありはしない。
いつまでも馬鹿アメリカのつまらない模倣ばかりに従わず、さっさと卒業して世界一文化意識の高い本来の良き日本に戻り、教育や社会体制の有り方・考え方を改めて欲しいものである。
余計なことではあるけれど、一番の被害者はお金を振り込まれた本人であろう。
間違って振り込まれなければ犯罪者にされることはなかったであろうに・・・確かに
謂れのない金を着服してしまったのだから性根が賎しいことは否定できないけれど、
役場と銀行の担当者のいずれかが「僅かな疑問でも感じて」いたなら確認が行われて新しい犯罪者を生むことはなかったかもしれない。
が、性根が賎しそうだから、いずれは別な事柄で事件を起こすであろうと想像する。
今年初めて蝉の鳴き声を聞いたのが7月2日だったと思う。
朝早くから熊蝉のけたたましい鳴き声が道路を隔てた連なる寺院の樹木から聞こえてきた。
今年は蝉が例年より早く鳴き始めたか・・・梅雨が明けたのかもしれないと感じながら、注意深く聴いてみたが、ここ数年と同じで、やはり油蝉とニイニイ蝉の鳴き声がしない。
以前何かの記事で読んだのだが、体の大きいクマゼミが油蝉やニイニイ蝉を駆逐?してめっきり数か少なくなっているそうである。
だからと言って、蝉が他の蝉を襲うなんて話は聞いたことがないので、体の大きい蝉が生殖範囲を広げて行き、小さな蝉が追いやられているということであろうと想像するが、自然界も力の強いものが弱い物を追いやる状況は人間界と同じでとても残酷である。
油蝉やニイニイ蝉は絶滅したのかな?と思っていたところ、ある日バルコニーで油蝉の死骸を見つけたし、通勤時にマンションのエントランスポーチにも動かずに横たわっている油蝉を見かけたので、まだ棲息はしているのだと少しほっとしたけれど、ニイニイ蝉は近年本当に鳴き声を聞かないし、死骸すら見ていない。
子供の頃に昆虫採集で虫集めをしていた頃は捕り切れないほどいたのに・・・と少し寂しくなる。
また今年は梅雨明け宣言が早かったので空梅雨かなと思っていたところ、戻り梅雨とも返り梅雨とも呼べないような状況で大雨が少しの間だが続いた。
日本中が渇水状況に陥る寸前だったから結果的には良かったのだけれど、気象庁の梅雨明け宣言が早とちりだったのではと言うことでしょうか。
業務と資金繰りが忙しくて思うようにブログ更新の時間が取れないままで、その間に様々な出来事が起こり早く更新しなければ・・・と思いながら今日に至ってしまいました。
元総理が銃殺された事件では驚くことばかりで、銃が手製であったことに加え、思想背景はなくて宗教団体への恨みからだとの報道に少し疑念が湧いたけれど、どうやら本当のようである。
霞ヶ関の職員を自殺にまで追いやった森友学園問題に加計学園問題、桜を見る会などがうやむやなままで国民の心の中は疑念が燻っていたままであったから、事件直後は検察・警察が第二第三の追随犯行を恐れた報道発表ではないと思ったけれど、時間が経つに連れ自民党と旧統一教会(以前に大きな社会問題を起し、現在は名称を変えている)の親密関係が明らかとなり、週刊誌などが盛んに関連議員達に標的を絞り記事を発表している。
撃たれて死亡した元総理も、まさかその日に銃撃されて死ぬなど思ってもいなかったであろうが、残念なことではあった。
しかし、犯人が作った製の銃(子供が作った工作のようにも見えた)は2連発でそれぞれ6個の銃弾?が込められていたというから合計12個の弾が発射されたことになる。
元総理には2弾が命中したとの報道だが、残り10弾は車や建物に当ったようであるが、ただ1弾だけの行方が判らないから捜査を続けていると言う。
心の声(ここに来て行方不明の残り1弾が何処へ消えたかなど、どうでもよかろう。若しかすると犯人が6弾入れたつもりではあったが、5弾しか入ってなかったかも知れないのに、人と費用を掛けてまでこれ以上調査の必要があるのかと疑問に思う。)
尤も官僚は何から何まで詳細に事柄を明らかにしなければならないとの責務を背負っているかのように見えるけれど、文書改竄問題では何ら明にしようともしないのは何故か。
恐らく自己保身が目的の忖度がそうさせるのであろうが何とも都合のよいことだこと。
元総理が銃撃を受けた瞬間の映像を見たけれど一発目の銃声がした直後、元総理は後ろを振り返っているので、後ろで車のタイヤがパンクでもしたのかな程度の感覚であったのではなかろうか。
恐らく自分が撃たれた自覚や感覚は無かったのだろうと思われる。
演説をしている時に前にいる十数名の群集?の中から人が出てきて何かを自分に向けて発射する映像が視覚に入り爆発音と煙が認識できていたなら「撃たれた!」感覚が瞬時に生じるからその場に倒れ込んだであろうが、元総理の視覚にその認識がなかったので恐らく後ろの爆発音は「他人ごと」であったのだろう。
ここで問題になるのが警察やSPによる警備体制はどのようになったのか、万全であったのかについてである。
常日頃から警察やSPは警護訓練を欠かさずに行っているはずだから訓練不足は考え難い。
しかし、何故この事件が防げなかったのかについては①:元総理の寿命がその日であったから②訓練はいつもマニュアル通りに行われているので、マニュアルを外れた急激な変化に対応する能力を持ち合わせていなかった③アメリカなどとは異なり一般人が銃を持っていない安全と思われる日本では元総理への銃撃など起こらないであろう・・・との気の緩みがあった。
いずれにしろこの内のどれかであることに違いはない。
尤も①のその日が寿命であったことに関しては紛れもない事実だから①は外した方がよいですね。
人はこの世に生れ落ちたと同時に死ぬ日と死に場所死因まで決まっているのだから「本来防ぎようのない事件であった」が正鵠を射ていると思っていますがきっとご賛同は得られないでしょうね。
でもそれが証拠に元総理の前にいた聴衆者達には一人の死傷者も出ていなでしょう。
その場に出くわして、自分達の方向へ弾が飛んで来たにも拘らず、かすり傷一つ負っていなのですよ。
少し前に山口県阿武町で「振り込まれ詐欺」事件があった。
小さな町役場で毎月のように法人にではなく個人に数千万を振り込む事案があったとは思えないのに個人に数千万円が振り込まれてしまったのである。
当の職員は何ら疑問すら感じなかったのであろう・・・恐らく誰かの指示通りに職務を遂行したのであろうと思われるし、また公金を扱う事柄であるのに最終の確認検査体制を持っていなかったのではないかとの疑問が湧くので、一般社会では考えられない状況である。
況してや当の金額を振り込んだ銀行の担当者も然りで「何らかの疑問」すら生じなかったのであれば呆れてしまう。
ここで問題にするべき事項はいずれも何故「疑問を持たなかったのか」である。
マニュアル一辺倒の社会となった今、個人の主観に直感や疑問は無視して「マニュアル通りにやればよい」から始まり「マニュアル通りに出来ていれば良い」で終わる。
途中で疑問などが生じても個人の主義・主張・主観など無視しろと教わるらしい。
つまり「馬鹿になれ」と言われているに等しいことを日本中の大企業や行政が率先して行っているわけだからこのような事件(社会問題とはならないような小さな苦情のようなもの)は日常茶飯事的に起こっているはずである。
日本国中「馬鹿製造機構」に組み込まれてしまっては日本の未来などありはしない。
いつまでも馬鹿アメリカのつまらない模倣ばかりに従わず、さっさと卒業して世界一文化意識の高い本来の良き日本に戻り、教育や社会体制の有り方・考え方を改めて欲しいものである。
余計なことではあるけれど、一番の被害者はお金を振り込まれた本人であろう。
間違って振り込まれなければ犯罪者にされることはなかったであろうに・・・確かに
謂れのない金を着服してしまったのだから性根が賎しいことは否定できないけれど、
役場と銀行の担当者のいずれかが「僅かな疑問でも感じて」いたなら確認が行われて新しい犯罪者を生むことはなかったかもしれない。
が、性根が賎しそうだから、いずれは別な事柄で事件を起こすであろうと想像する。
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