FC2ブログ

建築家 潤 の『独断と偏見』

「双龍物語:第五章・幼少期の三」

 潤はこのような事情で三年生になる直前の春休みに大畠にある村立神西小学校へ転校した。
転校した時の記憶は曖昧なのだが、小学生の間は漁師町の子供達とも良く一緒に遊んだ。
学校からの帰りには潮が干ていれば海辺沿いの砂浜を歩きながら、大型魚に追われて砂浜に打ち上がっている鰯などを拾ったり、蛸を探したり、潮が満ちていて海岸沿いを帰り道に出来ない日は山道を通ってアケビや棗(なつめ)山桃に加え、食べられる木の実を探しながらの季節に沿った下校は兎に角楽しかった。
ある日のこと、悪ガキの一人が「三田!今日学校から帰ったら山桃を採(盗)りに行かんかぁ、すごいところを見つけたんじゃけぇ」と誘ってきたので二言返事で「おう!行こう。そりゃあ どの辺にあるんか?」と聞けば「口じゃあ説明できんけぇ、お前の家に誘いに行くけえそれでえかろう」「おう、それじゃあそうしよう」ということになって、家に帰ってから植物の茎で作られた買い物籠を探して準備をしていたところへ、数人が誘いに来た。
皆は口々に「そりゃあのう、兎に角凄いんじゃ。赤いのと大きな実の白いのがあってのぉ、採(盗)り切れんくらいあるけえのぉ」と言う。
潤の心もわくわくしてきて、皆に先導されて十数分ほど山道を登っただろうか、両側を松や杉に囲まれた薄暗い細い道を通っていると悪ガキの大将格が「三田!ここじゃけぇ、この木よ!見てみいや凄いじゃろう」と言う。
山道から少し下ったところに大きい山桃の木があり、見たところ確かに大きな白い山桃が溢れんばかりに実をつけていて、少し離れた方にある木には小粒だが真っ赤な山桃が沢山見える。
「お~こりゃあ凄いのぉ。早よ採(盗)ろうやぁ」と口にしながら山桃の木に群がり登り始めた。
早速取った山桃を口に入れてみると香と共に甘くて瑞々しい味覚が口いっぱいに広がり「こりゃあ本当に凄いのぉ、よう見つけたのう」と言いながら、これを家に持って帰れば妹や弟が喜んで食べるだろうし、親もびっくりするに違いないと思いながら皆と一緒に夢中で買い物籠に山桃を採(盗)っては放り込んだ。
それから十五分も経っただろうか、悪ガキ仲間の大将格がいち早く人の気配を察したようで、小声で皆に伝えてきた「誰か来る!じっとしとけ!」の声で皆は木にしがみついて気配を消した。
と思っていたはずなのだが、下から聞き慣れた声で「潤坊落ちるなよ」と言われたので、下を見ると誠と滋子の二人がこちらを見上げているではないか。
思わず「ここうちの山なん?」と聞くと誠が「お~そうじゃ。皆落ちんようにせえよ」と言いながら畑作業に向かって行った。
何と言う不覚であろうか、よりによって「自分のうちの山に山桃を盗みに入ったとは・・・」他の皆はこれで怒られる事はなくなったと安堵したようであったが、潤はあれだけ美味しいと思っていた山桃が急に美味しくなくなってしまい、買い物籠いっぱいに取った山桃を悪ガキどもに分け与え、皆と共に帰った。
終戦後の昭和三十三年頃のこと、甘くて美味しいものなど滅多に口に入ることは無く、山桃の甘味は格別で良い木を見つければ夢中になって取りに行ったものだが、潤はこれ以後この山桃を採りに行くことはなかったが、二十数年後に潤の長男が小学生になった頃、子供に食べさせてやろうと思ってこの山桃を採りに行き食べさせてみたが不評で、潤も食べてみたけれど美味しいとは思えなかった記憶だけが甦ってくる。

この山と田畑は誠が戦時中に祖父に依頼して購入していたもので、田で米を畑で野菜と穀物を作っていたけれど、大所帯の胃袋を満たすほどの収穫は無かったようではあるが、一家の糊口を何とか凌ぐ足しにはなっていたようである。
また果樹や花を育てることが好きであった誠は畑の隅の方で枇杷・柿・無花果・檸檬・葉蜜柑・さくらんぼ・フェイジョアなど当時では珍しい果実も栽培していたし、住まいの直ぐ裏手は鉄道のプラットホームに隣接していて、その端子の方には小さな花壇が設けてあったのだが、手入れがされていなかったようなので、ちゃっかりとそこにダリア・カンナ・向日葵などの花を植えて楽しんでいた。
しかし、花壇の無断使用について何ら国鉄の駅員からの苦情は無く、ある意味汽車の乗客にとっては目の保養と季節の移り変わりを感じる花壇となっていたかもしれません。

 大畠で借家住まいとなった両親は夜になると両親と誠の姉妹が住む家に風呂を使わせて貰いに毎日通っていた頃の話である。
冬の寒い中、風呂で温まった体で家に向かっている途中のこと、家の玄関に近づいた時に足を止め、耳を澄ますと家の中から何かガタガタと音が聞こえてくるので「今家の中で音がしよる!あれは絶対おもちゃがおもちゃ箱に帰って行った音じゃ」と白い吐く息で親に伝えると、誠は「お~そうじゃろうて、潤坊が帰ってきたから遊んじょったおもちゃが急いで隠れたんじゃろう・・・」と話を合わせてくれていたが、聞かされている童話の中の話をそのまま今の自分に重ね合わせるような子供であった。
しかし音の正体は恐らく鼠で、人が近づく気配を感じ取って隠れた時の音であろうと想像する。

これは大学生になった頃に聞かされた話で、誠が言うには「お前が何をしたんかもう忘れたが、お前を氷倉の倉庫の大黒柱に縛り付けたんじゃ、そしたらお前は「出せ~バカたれ!」と泣き叫ぶんで「悪かったと謝れば許してやる!」と何度も言うのに絶対に謝らなかったから、こっちが根負けして氷倉から出したんじゃが、本当にお前は強情な子じゃと思った」と言っていたが、その時のことは記憶に残っていて「あ~それはわしも覚えちょる。じゃがのう、親父も何をしたかを忘れた言うんなら大したことじゃあなかったんじゃろうし、わしも謝らなかったというんだから、自分では悪いこととは思っていないことじゃったんよ」と切り返したら「まあよう解からんが、強情な子じゃと思うたよ」と言っていた。


それから一年後に
子供の頃育った大畠村は海と山に挟まれた細長い地形の村で、大きな川こそ無かったが、潤は魚釣りや虫取りが大好きだった。
大学生になった頃に、何気ない話の中で滋子から「あんたは小学生の頃、学校に行く前に竿を持って波止場で釣をしてから学校に行っていた」と聞かされ、そう言われればそうだったかも・・・と思うのだが、潮が干ていれば、貝を探して掘ったり、蟹(モズクガニ)やウナギを捕ったり、浅瀬の海に潜りサザエや蛸を取り、毎日々夢中になって海で遊んだ。
虫取りも大好きだったから夏場には蝉・トンボ・カブトムシ・クワガタを朝に夜に追い掛け回し、秋になると閻魔コオロギ・キリギリス・すずむし・クツワムシ・ウマオイを探して野畑を這いずリ回していた。
そのような中、とても教育熱心であった誠は子供達に科学図鑑(生物・動物・宇宙・科学など分野別に数冊)と少年少女世界文学全集(全二十巻以上あったと思う)を購入して与えた。
少年少女世界文学全集は就寝前に滋子が子供三人に読み聞かせながら寝かしつけるのが日課となっていたが、今でも記憶に残っているのが「ゼ・ミゼララブル(ああ無情)」で主人公のジャンバルジャンが教会に置いてある銀の燭台を盗み捕まるけれども牧師は盗まれたものでは無く彼に与えたのだ・・・の下りは今も忘れていない。

そして、小学四年生になる少し前の頃だったと思うが、潤にはバイオリンを習わせ、妹の栄子にはピアノを習わせる(絵画の先生について絵も習っていた)など、後から考えると裕福とは言えない中で情操教育にも十分なお金をかけて貰った事に感謝の想いと、とても有難いことであったとの想いが自然に生じてきて愛憎が複雑に交錯した記憶がある。
しかし、当時は遊びたい盛りだから稽古の日が近づくと窮屈な想いと不満ばかりが募っていた思い出でがある(四歳年下である弟の崇にも小学三年生頃から同じ様にバイオリンを習わせていた)。



ブログランキングに参加しています。賛同して下さる方はクリックをお願いします→ クリックをお願いします


コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://junblog241224.blog95.fc2.com/tb.php/338-fcfdef24

 | HOME | 

文字サイズの変更

ブログ内検索

FC2カウンター

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QRコード

プロフィール

潤の『独断と偏見』

Author:潤の『独断と偏見』

カテゴリー

Template by たけやん