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建築家 潤 の『独断と偏見』

「酔龍の独り言:その011」

 東京では緊急事態宣言を解除した途端に新型コロナウイルスの感染者100名越えが続いていますし、その他の地域でもこれまで感染者が暫く0人であったところも数名の感染者を見るようになって来ました。
その最中、またもや九州を豪雨が襲い熊本・大分地方に大きな災害をもたらしていて、今日には岐阜県や長野県まで被害が増加している。
報道によると原因は「線状降水帯」が発生し、長時間停滞したことによるのだそうだが、これの報道は的を射ていないし、本質のすり替えであると思う。
確かに豪雨の直接な原因は「線状降水帯」であるかも知れないが、土砂崩れ・堤防決壊などによって引き起こされる災害はある意味「人災」ではないだろうか。
また今回の災害を起こした原因は何十年に一度の「記録的な豪雨」によるものでもあると報道者達は言うけれど「線状降水帯」が引き起こした「記録的な豪雨」は自然が原因であることに疑いの余地はないけれども「記録的な豪雨」=「(自然)災害」にすれば一般的には解かり易く、それが原因であると誰もが思ってしまうが、これは本質的な部分で問題をすり替えていないだろうか。
前段の方程式が成り立つのなら、豪雨が生じた全ての河川で氾濫が起こらなければならないが、そうなっているわけではなく今回の豪雨で主たる被害を受けたのは熊本県では「球磨川」大分県では「筑後川」であり、岐阜県では「長良川」である。
この「球磨川」は急峻な川なので、元より川の流れは速く、上流の水が下流域に到達する時間が早くて、蛇行している上に川幅が急に狭くなっている場所が多くあり危険な部分を持っている河川であることは県の河川事務所も国交省も把握しているし、過去にも数度の氾濫を起こしているから、この部分を捉えれば「記録的な豪雨」ではあるけれども「人災」ではないかと思うのである。
つまり、予測不可能ではなく予測は出来ていたけれども「予算」が口癖のお役所仕事では、事前に手を打つ事はせずに、事件にならなければ対処しない悪習慣の踏襲を繰り返し来た結果と言っても良いと思う。
ちょっときつい言い方になってしまいましたが、消費税を10%に上げたにも拘らず、以前より住み良い暮らしになったと感じている人はいないと思うし、毎回話題に上がる霞ヶ関の天下先創りに加えて、政府(官僚かも)ご用達の企業への莫大な金額の垂れ流しを「どげんかせんといけん」と言われ続ける中でも一向に改めようともしない為政者達では徴収した税を先立って国民に還元する気は髪の毛の先ほども感じられない。
この宇宙は人・自然・星を含め全てが調和で成り立っていることの自覚も認識も無く、調和を乱している張本人が日本に於いて「官僚」「政治家」となっていては、如何ともし難い。
本来なら人が生きてゆく手本となるべき職業に就いている「人物」であるはずの者達が「欲」に負け「権力」に諂い「性根」まで卑しくなってしまった今となっては、もう救われる事は無く、自然による報いを受ける以外になかろうと思われるので、残念でならない。
その犠牲となるのが国民だから、口先ばかりで「神国・日本」を唱えている為政者達よ、恥ずかしくはないか。
 とは言っても、私達国民も平常時には化学や科学の力に頼って恩恵を受けているので、日常の生活の何もかもが「安全」で「安心」であると、つい錯覚を起こしてしまい、人の持つちっぽけな力を信じて神である自然に抗うことばかりに血道を上げてきた。
為政者も口癖のように「安全」で「安心」な社会を目指して・・・と「安全」と「安心」を安売りし、いとも簡単に手に入れられるような発言をするけれども、実際に手にした者はいない。
そうは言いながら、実際に今「安全」と「安心」を感じている人はいると思うが、それは錯覚であり、いつ現在は何とか保たれている均衡の調和が崩れて「安全」と「安心」が失われるかの保証はないのである。
現に、数十年以前から現在に至るまで「被災した人達」は「被災するまで」は「安全」と「安心」を感じていた人達ではないだろうか。
洪水や津波が怖いのであれば、高台に住む以外にはないけれど、高台である山裾の土砂崩れを心配するのであれば平地に住むより外にないのだから、ではどうすれば良いのかと言うことになると、本来人が住む安全な場所など地球上には存在しないとの自覚が必要だと言うことになろう。
このように考えれば「(自然)災害」の捉え方が二通りに別れ、化学と科学の力をとことん信じるのであれば全ての災害は「人災」として裁判所に提訴も可能となるが、自然と共に共存する立場を取るのなら災害は全て「定め」により受けた結果であるから、裁判所など何の役にも立たない。

 地震・台風・竜巻に津波を含む水害に加えて土砂崩れなど自然災害と呼ばれるものの一つに「遭遇」するまでは、自分が住んでいる場所は「(ある程度)安全で安心」できる場所だと誰もが信じていたに違いない。
そして住んでいるその場所は、他の多くの選択肢があったはずなのに、その中から「ここが一番良い」と自らが選らんだ場所で、その理由とは次に掲げるものが該当すると思われる。
① :土地(建物を含んで)の価格など経済的な事情
② :仕事に係る利便性
③ :子供の教育に関する事情
④ :通風や日当たりの良さに加えて地域性などであろうと思われる。
その場所を選んだ主体を自分に置くならば、色々と考え迷った挙句にここ以外の選択肢はなかったからだと言うことであり、主体が別にあるとするならこの場所を「選ばされた」ということになるが、悪く言えば美味しそうなものがここにあるよと思わされ、食いついてしまったと言い換える方が解かり易いかも知れない。
結論から言えば、数十年後には「被災する」ことが決まっている場所を自らが選んで手にしてしまったと言うことです。
いずれにしろ、この場所を選んだ以上「時が来れば」もう避けられない「定め」であったことに疑いの余地はない。
 身も蓋もないような表現になってしまいましたが、残念ながら「本質」を捉えて時系列を重ね合わせた上で出来事を鑑みればこのような表現になってしまいます。

 洪水に関して私なりの見解を申し上げれば、人が便利さを追求してきた結果により引き起こされた二次的三時的な結末ではないかと思っています。
大東亜戦争後の復興期から日本人は次々と生活の豊かさを手に入れて行き、現在田舎においては一人一台の車を持つ生活を手にしてしまった。
私はこの「車」こそが洪水を引き起こし、過疎を産み、シャッター街を出現させた元凶であると考えています。
河川の中流域から下流域にかけて街や町が発展してきた歴史は「水利」故であるが「車」の社会が出現し始めると段々と「道路」は「アスファルト(油)」で表面を覆われて来て、現在日本における幹線道路で「舗装」されていない道路は皆無であろう。
そして車が増えてゆくに従い「空き地」は駐車場として活用され始め、街の発展の伴いビルや住宅が立ち並ぶようになって、その周辺は「雑草が生えてくることを嫌い」道路と同じ様に「舗装」されて地面は油で覆われてしまっているのが現状である。
それまでの道路と敷地(建物が建っていようがなかろうが)は土のままであった状態と比較すれば、降った雨が大地に浸み込んでくれていた量は激減し、その殆どが河川に放たれている。
また高度な文明と言う生活の下では、昔に比べると工場や家庭で使用する「水」の量は桁違いな増加を見せていて、使用された水は浄化され全て河川と海に流されている。
別な角度から見れば、経済発展の名目で核家族化を推奨し住宅政策を煽ってきたお陰で、田舎には高齢者ばかりが残されてしまい、それまで続けてきた「里山や山林」の手入れが出来なくなって「里山や山林」の持つ保水量が、これまた激減し、降った上流域の雨は河川へと流れ出る。
中流域や下流域の街から多くの雨水や排水が河川に流れ出ている中に、保水力を失った山間部から流れ出る雨水を受け容れるだけの容量を現在の河川は持ってはいない。
 元来河川は数千万年いや数億年以上かけて降雨が山間(谷間)を流れ、地表面を侵食しながら出来た自然の産物であり、河川の巾や深さは降雨の量と調和してできてきたものであるが、その調和を崩したのが前述した内容である。
急激に増えた流入量に比例して河川が成長してくれるのなら洪水が起こることなどなかろうが、都合の良い人間の勝手な思いを自然は受け容れてはくれない。
だから、便利さのみを追求し、愚かな人間が起こした自業自得の結果である洪水は、もはや止める事など不可能なのである。

それと、洪水を防いでいる河川の「土手」の構造をご存知でしょうか。
0メートル地域や天井川の「土手」の断面を切ると台形の形をしていて、垂直に近い側の表面(河川に面している側)は石積みやコンクリート又はコンクリートブロックで保護されているものが圧倒的に多く、上辺は道路に使用されアスらルトで覆われている状態のものが殆どであろうと思われます。
ではその他の部分は何かと言えば残りは全て「土」ですから、多量の「土」の重量で河川の水の圧力に耐えているとだと思われ、表面を覆う石積みなどが水による「土」の侵食を防いでいる役割をしているのでしょう。
しかし、この「土手」ですが現在使用されているものの殆どは数百年掛けて当時の為政達が改良に改良を積み重ねてきたものを使用しているに過ぎず、当時から多少なりとも進んだことは何かと言えば表面を覆う材料にコンンクリートを使用している程度だと思います。
まあ今になっても化学と科学の発達の恩恵は、こと治水に於いてはこの程度ではないでしょうか。
最もこの「土手の土」を全てコンクリートに置き換えれば洪水はなくなると思いますが、
日本の河川の全てを中流域から下流域までこれを行おうとすれば恐らく千年近い歳月・いやそれでも足らないかも・・・と天文学的な費用が必要になると思われるから現実的ではありませんね。
だからこそ小賢しい人間が自然に対抗できる術には限界があるということを為政者達こそ知らなければならないのではなかろうか。

 最後に余計な一言を言わせてもらえれば、このような事故が起こるたびにでてきて解説をする偉い学者達だが、今回なら「低気圧が」「梅雨前線が」「多量の水蒸気が」「線上降水帯が」と原因を的確?に言い当てますが、これは全て「後出しじゃんけん」ですよ。
学者が解説をしてどうするのか?これら「  」中を化学と科学で封じ込める策を考えるのが学者の役割ではないのか・・・と素朴で単純な疑問だけが残る。

しかし「被災した方々」にとっては家が使えなくなり、金銭的な余裕も無いとなれば生きて行く希望も失われる悲惨な状況下に置かれるので、行政は「それダメです。これもダメですが、これなら出来ます・・・」という形通りの支援ではなく、これから先もこの日本で生きてみようと希望が持てるような支援策を考えて欲しいと願うばかりである。




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