FC2ブログ

建築家 潤 の『独断と偏見』

「双龍物語:第二章・帰還 その1・2」

 誠は一体何が起こって、何故白人の看護婦がいるところへ寝かされているのだろう、確か右腕を撃たれて河原に倒れ込み、珈琲の香がしてきた頃に意識が無くなったはずだが・・・ということは、恐らくここは米軍の医療施設の中だろう、それじゃあワシは捕虜になったのか・・・と少し恐怖を感じながらも窓に鉄格子は無く、近くに兵隊がいるような気配もしないので不思議な思いに駆られる中、曖昧な記憶を辿り推測を交えて思い返してみるのだけれども、これまでの状況が整然と繋がらず結局何が何だかさっぱり判らないけれど、何とか命は助かったのだと安堵の気持ちと失った右腕のことが複雑に絡み合い情けなくて、こぼれ落ちてくる涙が止まらなかった。
ワシはこの先一体どうなるのか・・・日本は戦争に負けたのだろうか、父母や姉妹はどうなっているのだろうと不安な想いが泉のように湧き出てくる数日を過ごしていたのだけれども、今まで口にしたこともない美味しい食事を提供され、毎日術後の手当を受けているうちに気持ちも次第に落ち着いてきて、強張っていた顔の表情も何となく穏やかになってきた頃、言葉こそ通じないけれど敵兵である自分を労わり、優しく扱ってくれる看護婦に対し感謝と申し訳ないような気持ちが芽生え、次第に心が開き親しみを感じるようになっていた誠は恐る恐るであったが洗って貰っていた「さらし」をまた腹に巻いてもらうように頼むと、確かナンシーと言う名の看護婦であったと記憶しているが快く応じてくれ再び誠の腹に「サラシ」が戻ったのである。
傷口がそこそこ癒えて体力も戻ってきたように感じた誠は、ワシはあの時死んだと思っていたのに何故自分が今ここに居るのか等の詳しいことが知りたくなり、拙い英語と身振り手振りを加えて看護婦に通訳を連れてきて欲しいと頼んだところ、数日後に日系人の通訳が病室を訪ねてきてくれた。
挨拶を交わして少し会話を進めているうちに感じたことは、いくら日系人とは言え、この通訳は本当に日本語が上手だと思って安心した誠は一気に知りたいことを聞き始めた。
「ワシは捕虜なのか」と聞けば「いや、そうではない」と言うので「では何故ワシがここにいるのかを教えて欲しい」と尋ねると、通訳は傍にいたナンシーと会話を始め、当時の様子を聞いてくれているのは何となく判るのだが、少し甲高い声で大げさとも思える身振りを交えての話が長いこと長いこと。
十分位は待っただろうか、話を終えた通訳は納得したかのように首を縦に数度振りながらこちらの方を向いて語り始めた。
あなたを発見した日は赤十字の看護婦の方達がピクニックに行く途中で、偶然としか思えないけれども河原に倒れているあなたを見つけて傍に寄ってみたところ、まだ息があったので「助けなければ」と応急の止血を施して、数名が担架と医薬品を取りに赤十字まで戻って行き、医薬品で応急処置を済ませて直ぐにあなたを担架に乗せて運んだのだそうですよと言う。
女ばかりであなたを運んだのだけれどね、体が小さくて軽かったから運ぶのに苦にならなかったことも話してくれ、実は赤十字に戻ってからの方が大変だったのだと聞かされた。
 一方の赤十字では担架と医薬品を取りに戻った看護婦から手術の必要がある手首を失っている日本兵を運んでくると聞かされていたので、誠が運ばれてくる間に医師たちは手術の準備を整えて待っていたというのだ。
手術室に運ばれてきた誠を見た医師は直ちに衣服を取り払って全身を清拭し、消毒する指示を看護婦達に出した。
看護婦達は汗と泥で汚れた軍服上下を鋏で切り、手術の邪魔になるからと腹に巻いていた「さらし」も切ろうとしたところ、意識のない誠が突如暴れ出して「さらし」を切らせなかったのだと言う。
それでも看護婦達は何度か「さらし」を切ろうとしたけれどその度に暴れて切らせないので、止むを得ず体を抱きかかえて腹に巻いていた「さらし」を解いたのだと聞かされたが、誠には全くその記憶は無く、また看護婦達は意識が無い誠に何故そのようなことが出来るのか不思議に感じたようで、きっとこれはとても大事なものなのだろうと推察してくれ、解いた「さらし」を洗濯してパイプベッドの頭の部分に掛けておいたのだと聞かされた。
撃たれた誠の右手首から下は銃弾が手首の骨の中心に当たったのであろうと思われ、打ち落とされていて、傷口からの感染を恐れた医師は手術で右肩十五センチメートル下の辺りで切断して縫合したのだとも聞かされた。
 手術後3日間は眠っていたようで、看護婦達は衰弱した重症の誠をここまで運んできたけれど、無駄になるのではないかと案じていたことや、その外にも起こった些細なことまでも通訳が告げてくれたので、途切れていた意識の部分が誠の中に新たな記憶として刷り込まれていった。

 このとき既に終戦を迎えていたか否かについては、はっきりしないままではあるけれど、あの時に日本兵に銃で撃たれずに河原まで出て、出くわしたのがもし米軍の兵士達であったら戦闘になって撃ち殺されていただろうし、撃たれた状態で出会っていても恐らく「この状態ではもう助かることはなかろうから楽にしてやれ」と止めの銃声を聞く羽目になったのではないかと考えると、これは奇跡に近い状況の組み合わさり方で、きっと天空から降りてきた透明な糸に導かれるように仕組まれていたのに違いないと自覚した誠は「聖師さん本当に有難うございます。聖師さんの仰られた通りとなって大変なところへ来ましたが、命だけは助けていただきました。でも言い付けは、ずっと守って・サラシ・を肌から離さず腹に巻いて今日まで来ています。本当に有難うございました」と祝詞を唱えながら心の中で王仁三郎に感謝を述べる誠であった。
 それからの誠は傷が完全に癒えるまで一ヶ月以上の入院をしていたけれど、その時点では既に大東亜戦争は終結し、日本が負けたことも聞かされたので、このような状況の中でワシは帰国できるのだろうかと思い始めた誠は思い切ってナンシーに聞いてみたけれど、看護婦ではそのようなことは判らないし自分達ですら、いつ帰国できるのか予定も聞いていないと言うのである。
それはそうであろう、一国を占領した国がその後の扱いや方針を決めるまでには相当の時間を有するはずだから、一ヶ月前まで敵国であった傷病兵一人の扱いなど、最後の最後であろう。
傷も癒えた誠は少し退屈を感じながらフィリピンの赤十字病院でこの後半年以上を過ごすことになったのだが、終戦直後の日本は食糧難で国中が苦しんでいる中、身の安全も保障されているようで、飲食にも不自由することが無かったのだから、片腕を落としたことを除けばきっと楽園にいるような気分であったのではないだろうか。
 それから暫くたった後、誠に帰国予定の日が知らされたのは、年も明けて昭和二十一年の夏前の頃であった。
傷病兵だということで日本に向けて出向予定のある赤十字船に乗っての帰国だと告げられ、やっと日本に帰れる家族にも会えると心は弾んだけれども、戦時中に亡くなった戦友たちのことを思い出すと少し心が痛む誠であった。
いよいよフリピンを去る日には命を助けて貰った上に、日々お世話になった赤十字の方々に改めて厚く御礼を述べて別れを交わした後は、ジープに乗せられて港まで送ってもらったのである。




ブログランキングに参加しています。賛同して下さる方はクリックをお願いします→ クリックをお願いします


コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://junblog241224.blog95.fc2.com/tb.php/318-8df9ce4e

 | HOME | 

文字サイズの変更

ブログ内検索

FC2カウンター

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QRコード

プロフィール

潤の『独断と偏見』

Author:潤の『独断と偏見』

カテゴリー

Template by たけやん