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建築家 潤 の『独断と偏見』

「窮屈になった日本~その102」:調和の取れた社会へ  その57

一ヶ月が経つのが早くて、気が付けばブログ更新期限が迫っていました。
1月16日に引越しをしたので、現在はバス通勤になりまして、以前は徒歩5分足らずの通勤でしたが、今はバスで約10分程度かかります。
でもバス路線の便がとても良くて、これまでにバスに乗る待ち時間で5分以上待った経験は無く、とても有難く感じています。
 実は引越しの際に書籍の整理をしていたところ、本にカバーが掛けてあるままのものが2冊出てきまして、気になって中を見たところ、どうも読んだ記憶が無い感じで、本の中の文に黄色のマーカーが一切付いていない。
私は太芯のシャープペンシル・ボールペンと黄色のマーカーを絶えず持ち歩き、本を読んでいる時に読めない漢字や意味の解からないものに出くわすと、そこにマーカーをして、後に調べることにしている習性があります。
ということは、未だ読んでいなかった本で積読をしていたのだと、少し恥じました。
 その内の1冊の題名は「恥と無駄の超大国・日本:落合信彦 著」でした。
その時は読みかけの本があったので、読み終えてから直ぐにこの本を読み始めたところ、何と!本の内容は私のブログ内容と同じで、驚くやら、感心するやらで(隠れ手前味噌になっていますねぇ)、嬉しく感じたような次第です。
しかし、私のように漠然とした記述ではなく、数字に裏付けされた説得力があるもので、本当に「良く調べているものだ」と感心して、この本いつ出版されたのだろう・・・と本の最後頁を見てみると、2000年8月1日小学館とあり、今からだと約20年前に出された本である。
彼が警鐘を鳴らし、議員や官僚について戒めていたにも拘らず、20年が経っても全く良き方向に向かわず、かえって当時より酷くなっている感さえあるのは一体どうしたことか。
やはりこの国の議員や官僚は「恥」「自省」と言う言葉を知らないのだと認識を新たにした。
 話は少し逸れますが、この本のことを親しい友人に話したところ「落合信彦」は作品をゴーストライターが書いていたとかで非難を浴び、今では書籍コーナーも無くなっているとの話を聞いた。
そう言われてみると確かにそうだなぁ~と思ったのだが、彼が国を想い、憂う心に偽りがあったわけではなかろう。
もしかして・・・私のブログと同じで、霞ヶ関や千代田町辺りから何か仕掛けられたかも知れない・・・と頭を過った(真偽のほどは定かではありませんが)。 

 さて、毎回同じ様に議員・官僚について書いても現状はこの有様ですからねぇ。
視点を変えて、その後に気になっているTV編を少しお伝えしてみます。
放映内容の趣旨が悪いと感じているわけではないが、日本人の善意を巧みに擽り(くすぐ)、寄付を募ろうとしている団体がある。
日本における戦後の話に遡りますが、私達団塊の世代が小学生の頃のこと、給食では必ず「脱脂粉乳」をお湯で溶いた飲料が出されていた。
別段美味いとか不味いとかの感覚は無く、出されたものを食する感覚だった様に記憶する。
この「脱脂粉乳」だが、子供の頃の記憶で曖昧ではあるが、アメリカから支援(無償ですよね)して貰っているものだと聞かされていたように感じていた。
しかし、ある本からの知識では、あれはバターなどを生産した残りかすだから、本来アメリカ国内では処分(費用が掛かります)をしなければならないものなのだが、日本に押し付けて買わせていたとあり、一石二鳥を狙ったということだった。
誰の著書の内容であったのかはっきりと思い出せないのだが、確かアメリカの公文書の中には、この件が記載されていると書き添えてあったように思う。

 斜め的な思考をすると「脱脂粉乳」だけが本当に欲しいのであれば、日本の企業がバターなどを製造した残りかす(費用を掛けて処分しているのか、他に有効利用しているのは不明だが)を貰えば済むことであって、日本の国民から寄付を募ることではあるまい。
もしかして戦後日本で行ったことを再び考えているのではないかと疑ってしまう。
恐らく支援に使用される「脱脂粉乳」の購入先はアメリカの企業であろうと想像できる。

TVの放映内容では団塊の世代が子供の頃に感じていた(聞かされていた)そのままの内容で伝え、あたかも子供の頃の恩に感謝し、出来得れば遺産まで寄付して欲しいと訴えている。
飢えで苦しむ子供達を救うことは人道的であり、賞賛に値する事業であることに疑いの余地はないけれども、数日・数週間・数年の延命が出来たところで、その国の物心共に基盤が変わり、整備されない限り延命できた子供達はもっと悲惨な社会の中に放り出されることになりはしないか、の疑問が絶えず脳裏をかすめる。
本当に一時しのぎの対処療法になっているのではないかと思えてならず、複雑な気持ちになってしまう。
確かに「飢えている子供」だけに焦点を当てれば、何とかして救いたい気持ちは良く判るし、誰もがそのようにしたい気持ちになると思われるが、別の角度から見れば、はたしてその行為は良となるのか否かの疑問が払拭できない。
あたかも肉食獣が草食獣を襲って食している場面を見るのと同じようで、それを可哀想と捉え助けるのか、自然の定めと捉えるか・・・人は獣ではないとの意見も出そうだが、人だって多少の理性を持っている生き物(獣)であることに変わりは無いと考えるし、もう一つ人にとって大事な要素は「縁」があるか無いかの問題も大きい。





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