FC2ブログ

建築家 潤 の『独断と偏見』

「窮屈になった日本~その101」:調和の取れた社会へ  その56

 1月16日に取り敢えず引越しを終え、十数箱のダンボールに詰めた生活用品を取り出して整理収納を終えるまでに2週間程度かかりましたが、何とか通常生活が出来るまでに持ってゆくことが出来ました。
過ぎてしまえば・・・のことになりますが、この年になって、引越しは気力と体力が必要なのだとつくづく思い知らされました。
前回の引越しは60歳の時だったのですが、今回ほどの苦痛?を感じた記憶がありませんから、十年の歳月が体の衰えに加え、気力を削いできていたのだろうと感じた次第です。

 さて、このひと月の間で世間を騒がせた件を先に考えますと、まず一つが千葉県や東京都で防潮堤扉などに描かれた「ねずみ絵の落書き」についてです。
どうやら「バンクシー」と言う世界的に有名で正体不明の画家が描いたのでは・・・と言われながら真偽のほどは定かではないという状況下、扉を外して保管しているとの報道を耳にした。
この人物は以前に作品がオークションで高額落札された時に自動シュレッダーで絵の半分を裁断する仕掛けをしていた人物だということで一気にその映像が世界中に流れ一躍時の人となった経緯があり、世界中を歩き回り壁等に落書きをしているようですから、とても悪戯好きな人物であろうとの想像がつく。
ここで、何に故に行政は扉を外して保管したのだろうとの疑問が湧いてくる。
バンクシーの作品なら高額で売れる?から、世間が騒ぐ種になりそうだからその防止のため?でしょうかねぇ、でも移設費用は税金ですよね。
これがバンクシーを真似て書いた絵の上手い者のいたずらだったらどうする?行政なら誰が描いていようが、落書きは落書きだから消すべきであろう(当然職員の手で)。
如何に著名人が描いたものであっても公共施設に描いたものは落書きであり、著名人が旅館や飲食店を訪れた時などに店主の要望を受けて描かれたものとは訳が違う。
これが古刹の壁や塀に描かれたものであったらどのように扱かっただろうか?同じ外国人観光客が書いた、いたずら書きは「落書き」だが、著名人が描いたものは「芸術的」扱いとなり、許されるのかねぇ、どちらも同じ軽犯罪ですけど。
この風潮こそが今の社会を病ました病巣の部分でもあると思えてならず、著名人を持て囃しすぎで、何をしても許され、賞賛されるような偏った意識を造り出している元凶は報道者にあるのではなかろうか。
「騒ぐ」ことは多くの人の興味対象であることは理解できるが、本質の部分を捉え、見極めてから「騒ぐ」材料を提供するべきで、報道者は「質を見極めた」後でなければ世間に公表するべきではないと思うがねぇ、節操が無く薄っぺらな正義感や人道主義を大上段に振りかざし、報道の自由を盾に世間を混乱させるようでは報道者魂を疑いたくなる。
 続いては誰もが「またか・・・」と思ってしまう厚労省の行った統計詐欺である。
今も盛んに野党が追及していて、厚労大臣の資質を問うだとか、アベノミクスへの忖度だとか、結局のところ総理や大臣・官僚への個人攻撃ばかりを行っているから何が目的なのか訳が解からない。
大臣や総理の首を取ってみたところで、別の首に代わるだけで、同じことの繰り返しだ。
そんなこと解かっているはずなのに、揚げ足取り発言の予算委員会は野党に於いて長年に渡り脈々と受け継がれて、茶番劇として聞いているに於いては面白いが、国を想い、国民のことを想うことが本来の仕事のはずだから的外れも甚だしい。
それに、官僚や役人の不誠実な業務実態を一々大臣の責任にされては大臣も堪ったものではなかろう。
それに加え明石市の市長発言が社会問題にされ、気の毒としか言いようがありません。
これも本質に於いては同じで、役人の不誠実な仕事実態を「叱った」だけであり「叱った内容」には少し問題があったにせよ、それほどまでに怒りがこみ上げてくる役人の業務実態の方を何故大きく責めないのだろうか。
市より用地買収の纏めを依頼されながら、何年も経過しているにも係らず相手方と価格交渉すらしていなかった業務実態は問題視された市長発言より罪が大きいと私は考える。
税金で禄を食みながら、何ら仕事をしていない実態を野放しに出来る役所体質こそが、この社会を窮屈にし、民間を苛める体質の元凶であると言っても過言ではない。
今こそ官僚や役人に於ける公務員法を抜本改正する時期ではなかろうか。
民間では罰が課される内容でも、役人や官僚にはお咎めなしのような甘い体質を厳しく糾弾し免職に出来るような法が必要ではないかと考える。
何か官僚が問題を起す度に聞いてきた総理や大臣の発言は「信頼の回復をすることが急務であり・・・」が常套文句であるが、今だ嘗て信頼が回復されたことは一度も無いのではなかろうか。
だから、心から国を想い国民のことを想うと言うのなら、野党の皆さん公務員法の改正に手をつけなさいよ、そうしなければいつまでもいつまでも今までと同じ予算委員会を繰り返すようになりますよ。
問題の本質は公務員や官僚の不誠実な業務からでしょう、それに端を発した表面事象ばかりを追いかけていたのでは本末転倒、めくらましから抜け出られませんよ。
考えてごらんよ、優秀で聖人君主のような人物が国会議員になろうとするはずも無く、今までどれだけのお粗末な議員を見てきたことか、という事は追求している議員の資質も似たり寄ったりであろう事は容易に想像がつくので、私の提言が叶うことなどないでしょうね。
また報道によると、戦後最大の景気回復が続いているということのようですが、一般の国民には全くその実感が無い・・・と多くの声を取り上げ、市民が節約に節約を重ねて遣り繰りしている話も沢山映像で流れていたので、これも統計詐欺の一種でしょうか。
大企業と役所のみの調査に基づいた調査結果なら頷けなくもないが、何せ(好景気である)根拠を提示しないでの結果発表ですからねぇ、どのような発表だって出来るんですよ。

 では本題の「車は既に時代遅れ」について書きます。
本気で書けば、とても長い文になりそうなので、要点だけ述べてみます。
今テレビの宣伝で流されている映像には食品・衣類・携帯電話・薬・化粧品・住宅・車などがありますが、食品を除けば、依然として車の宣伝は多いと感じる。
十年前あたりから「若者の車離れ」が言われているけれど、若者はある意味時代の先駆者であって、時代の流れを察知するのに敏感であるのかも知れない。
車の便利さを否定するつもりは無いが、既に自家用車に限っては時代遅れと言ってもよい。
戦後好景気の波に乗って3C(車・カラーテレビ・クーラー)を手に収めることが希望であった時代もありました。
当時は自家用車を持つことが憧れで、道路には車も信号機も少なくて、確かに便利さを十分に享受できた時代であったと思う。
その後は車の所有が急激に増え続け、街中は車だらけとなってしまい、運転しながら車の多さを嘆き、不平不満を口にするが、自分が乗っている車も渋滞を引き起こしている車であることを忘れてしまうほど自己中心的な思考に支配されるようになっている。
勿論信号機の多さは昔に比べると何倍いや十倍以上に増えているのではないかと思えるほどの多さであるから、街中において信号機に捉まらずに3分走れる道路など今はなかろう。
つまり、自家用車はもう便利ではなくなってきた乗り物なのですよ。
欲しいものはインターネットや通販で申し込めば、宅配便が自宅の玄関まで届けてくれるので、車を使い遠くまで買い物に行く必要がなくなってきたから、宅配便は急激な伸びを見せた。
アメリカや中国のような広大な国土を有するなら、まだ自家用車の利用価値は大きいと思えなくもないが、車の走行は道路と言う平面上を交差する仕組みだから、数が増えてくれば便利さには必ず限界が来る それが今である。
近年ドローンと言う(まだ乗り物にはなっていないが)機械が急激に普及し始めてきた。
ある意味無限の高さと広がりの空間を行き来できる改良小型ヘリコプターでしょうかね。
現在軽量のものなら運ぶ事が出来るのだから、何れは重いものまで運ぶ事が出来るようになるまでにはそれほどの時間は掛るまい。
ドローンタクシー・ドローンバスは遠い未来のことではなくなっているのではないでしょうか。
飛行機とは違って空中静止が出きる・ヘリと違い大騒音を出さないなど利点も多く考えられ、製作費用や交通整備などまだ課題も多かろうと思うけれど、必ずその日はやってくると信じて止まない。





ブログランキングに参加しています。賛同して下さる方はクリックをお願いします→ クリックをお願いします




コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://junblog241224.blog95.fc2.com/tb.php/287-6a0c2f18

 | HOME | 

文字サイズの変更

ブログ内検索

FC2カウンター

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QRコード

プロフィール

潤の『独断と偏見』

Author:潤の『独断と偏見』

カテゴリー

Template by たけやん