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建築家 潤 の『独断と偏見』

「双龍物語:第一章・戦地へ その4」

 亀岡で「聖師・王仁三郎」から「おかげ」を貰った誠は山脇さんと共に京都を後にし、山口県への帰途についた。
帰りの車中で誠はこれから向かおうとする戦地は一体何処になるのだろう・・・などの様々な想いや妄想にも近い想像が目まぐるしく頭の中を駆け巡り、不安と恐怖で逃げ出したい衝動に駆られたけれど「聖師・王仁三郎」の「命だけは助けてあげる」の言葉を思い出し腹巻に手を当てて、大丈夫だ「聖師さん」が約束してくれたのだから・・・と自らに言い聞かせて自分を納得させなければならない心情は赤紙を受け取り戦地へ向かおうとする本人以外には判らないであろう。
大畠に帰ってきた誠は早速出征の準備に取り掛かったものの、数日の間は出征祝いと称した地域での送別会や親族を交えた大本信者による激励会が催されて慌ただしい数日が続いた。
当の誠は不安を抱えながらも戦地へ行く準備を整え終えて、明日には今生の別れとなるかも知れない家族と、ごく親しい大本信者数名を交えた最後の晩餐を共にしたのだが、その場でうっすらと涙を浮かべながらも笑顔を絶やさなかった母トミの姿が痛々しく感じられ、不安でいっぱいな誠の胸を更に痛めたのであった。
翌日の朝いよいよ出立のため駅に向かうと、そこでは既に大勢の人が集まっていて、幟や旗が用意され盛大な見送りが準備されていた。
列車が到着するまでの間、皆から励ましの言葉や「立派に戦って死んでこい」などの手痛い言葉を受けながら皆に別れを告げ、御礼を述べていたところへ列車が到着し、世話人の方の発声による万歳三唱の声と汽笛を背に誠は汽車に乗り込み集合場所の駐屯地へと向かった。

 駐屯地に着いた誠は配属先の部隊に合流すると、上官から「川田君、君には帝国陸軍上等兵の位を授ける」と言われ、軍の経験など全く無い誠は恐らく二等兵であろうと想像していたにも拘らず「上等兵」と言われたので意外に思っていたけれども、後になって聞かされたのだが、どうやらその理由は中学を出ているからということのようであった。
それからの誠は駐屯地で少しの間、基礎的な軍事訓練を受けさせられた後に船でフィリピンに向かったようだが、既に制海権は危うい状態に差し掛かっていた状況下において、米国潜水艦の標的となって狙われ、撃沈されずに無事フィリピンへ到着できたことは幸いであった。
とは言うものの、制空権も同じく危うき状況となっていたのだから、とても順風満帆の航海であったとは思えないが、駐屯地からフィリピンへ到着するまでの口述された記憶や記録がなく、詳細な内容をお伝えすることが出来ないのが残念です。

 フィリピンに到着した誠は第十四方面軍の指揮下にあってルソン島に駐留していた連隊(所属の連隊や部隊名その設営場所なども聞かされていたのかも知れないけれど記憶に留めていません)の高射砲部隊に配属され、射手として戦闘に参加することになった。
今となっては当時フィリピンに配属されていた全部隊の兵数を詳しく知ることは出来ないが、5個師団を上回る兵数が配属されていた記録があるので、少なくとも5万人以上の兵数がいたはずであるから、米軍は圧倒的な物量を背景にこの大部隊の兵力を全滅させる目論見を持って攻撃目標としたためフィリピンは猛攻撃の標的とされたのではなかろうか。
その中で誠が所属した連隊は総勢6千名を擁し、直属の高射砲部隊は三百名ほどであったと聞かされている。
そして、この日を境に誠のフィリピンでの戦闘生活が始まったのである。



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「酔龍の独り言:その005」

 少し前にスウエーデン在住の10代の少女が地球温暖化による気候変動の危機を訴える防止活動を始めていて、国連で演説をした記事が大きく取り上げられていた。
この少女は日常の移動に伴う交通手段でも飛行機には乗らず、鉄道や船を利用していると言い、飛行機は大量のCO2を排出するので、講演先のアメリカに向かう手段としてヨットを使って大西洋を横断するということが報道陣達に受けたのであろう。
確かにヨットでは殆どCO2の排出は無かろう、しかし大西洋を横断するには15日も掛けなければならず、数名の乗組員やヨットの手配に加えて、それに掛る人件費を含めた費用をどのように考え捉えるかが論点から抜け落ちてはいまいか。
ヨットなど一般人が通常の移動手段として利用するには余りにも現実離れしているのに、この部分は蔑ろにされているし、飛行機が大量のCO2を排出するのは事実として、しかし所要時間は乗客2百名以上を乗せて、僅か1日足らずであろうと思われるのに、一般人にとってヨットは非現実的として、もし千名以上が乗船可能な客船で移動するとすれば一週間程度を見込まなければならいのではないかと考え、それに必要な動力が排出する乗客数一人当たりのCO2量との比較検証もしないで、この話題を取り上げる報道者達の軽薄さには呆れてしまう。
地球温暖化の犯人は人間が便利さを追求することによって生じるCO2の排出であろうと言われているが、これは消去法による結果であって、確証では無いとの説もあるようです。
結果CO2が地球温暖化の真犯人だとして、その大量輩出の元凶は間違いなく「車」であると私は考える。
車一台と飛行機1台が年間に排出するCO2の量はとても比較対象にならないだろうが、全世界のそれぞれの稼動の台数を掛け算すれば圧倒的に「車」のほうが多いように思われる。
この報道はある意味話題性があるだけで、未だ無知な子供が一面だけを見ての行動を必要以上に賞賛する報道者の姿勢はとてもいただけるものではありません。
(念のため申し添えますが、この少女の活動を否定しているわけではありませんからね)

最近「双龍物語」に力が入り「酔龍の独り言」が疎かになっていましたので、今日は一気に書き上げます。
 少し前にまた新しい「宝くじ」ハローウインの発売が開始された。
テレビの宣伝も盛んにやっていましたが、芸能人や落語家を起用し「買わないと言う選択肢は無いやろう」とまで言わせていましたが、因果関係から言えば確かに買わなければ当たらない「宝くじ」ですが、結果から言えば買っても当たらないのが「宝くじ」です。
それは皆さんも良くご理解しておられることと思いますが、金の無い一般国民の射幸心を煽り、今以上に金を集めようとする自治省のいやらしさは如何なものであろうか。
宣伝に出演している芸能人や落語家には2等か3等の当たりくじ程度?いやそれ以上の金額が支払われているかもしれないのに、それでも買いたくなるのを射幸心と言うのだそうですよ。
 
何度も同じことを口にすることになるけれど、今回の関西電力経営陣のお粗末さと矜持のなさには呆れてしまい、言いようの無い寒々しい気持ちになってしまいました。
商売には「三方良し」の原則があると一昔の事業家は言っていまして、確か「客良し・店良し・自分良し」だったと思いますが、お客に喜んで頂き、店(看板や社員)に対しても恥ずかしくなく、それから最後に店主である自分も良い状態を維持することが商売の基本であると言う意味だそうです。
一人で商売(事業)を始め、仕事と金の苦労に人の苦労、役人の股の下を潜るような思いを強いられる状況を何十年にも渡って続けながら築いた信用と育ててきた社員が何ものにも変えられない財産であると自覚しているからこそ、自然と己の心の中に「矜持」のようなものが湧き出てくるものなのだが、苦労が全く無いとは言わないけれどもサラリーマン社長にはこれが無いし、してきた苦労の質が全く異なることの理解は到底できまい。
だから「越後屋お主も悪よのぉ~」が通常感覚を逸脱している事柄であるにも拘らず、単なる謝礼であり、風通しを良くする為に仕方なくしたのだとの方便が罷り通って居直れる。
重ねて言うが「特に大企業の経営者・役人」は世人の手本となるべき事業形態と人格を現わさねばならず、立身出世を果たした人物や権限を持って人の上に立つ立場にある者の「義務」であると思いますけどねぇ。

 安部総理の今回の台風19号の被災地・被災者に向けた発言をテレビで聞いたが、その内容は確か「省庁から150名を被災地に派遣して復興の支援を行うようにしていますし、復興には7億円の予算を組んで・・・・」であったと記憶している。
省庁の役人が被災地に行ってボランティア活動をするというのなら、総理の発言は有難いと思えるのだが、現実はそうではなくて、役人が被災地に行くと言うことは地方の自治体に行くことであり、被災地に足を運び被災状況を見て、直接被災者と会って現状の不便や困りごと、要望を聴いてその手助けをすることではないのだ。
被災を受けた自治体は中央省庁の役人が来れば接待をしなければならず、それに時間を取られてしまっては復興業務が疎かになることにも繋がるだろうから、返って迷惑なことと思っていることだろうと想像する。
組まれた復興予算7億円も何日居るのか判らないけれど、役人の出張旅費(日当として課税対象外)と旅費・宿泊費で幾ら消えてゆくのだろうと思うと情けなくなる。
片や日本中から集まっている支援のボランティアの方々は旅費・宿泊費を含め全てを手弁当で持って泥まみれになりながら活躍しているし、外国のラグビー選手は試合が延期になったからと言う事で、やはり泥まみれの顔をテレビに映していた。
これが日本の政治と役人の仕組みを見事に物語っていると言って良い現状ではなかろうか。
綺麗で美味しいところだけ役人はつまみ食いをし、汚くて重労働の部分は国民の善意に甘えている現状では、きっと恥ずかしいと言う意識など持ち合わせてはいないのだろう。
「越後屋お主も悪よのぉ~」を口にする悪代官を懲らしめるため「この印籠が目に入らぬか!」の決め台詞を言う黄門様は現在の千代田町にも桜田門の辺りにも居ないのだから世も末だということだ。

消費税が10%となって、複雑極まりない課税方式に商店も消費者も困惑している現状下であるが、ペイペイなどと言う訳が判らない支払い方式だと消費税の一部が還元されると言う政府の方針には何が目的なのか輪をかけて判らない。
カード会社への利益誘導なのかスマートホンの普及が目的なのかもあやふやで、これらを普段使用していない年寄りは戸惑っているけれど年寄りは、だからと言ってカードを購入(するものなのかしら)?したり俗に言うガラケーをスマートホンに替えたりはしない。
現金での支払いとカードやスマートホンを使っての支払いに何の差があると言うのだろうか?何故現金の支払いだと消費税の還元が受けられないのか、政府の真の目的とは一体何なんだろう。

 NHKのニュースでの話しですが、経済面で株価などを知らせる囲みがある。
外国の為替やアメリカでの株価は口頭で伝えるが、日本の株価は画面で表示されるだけである。
これは何故?だろう、私は株を扱うことが大嫌いなのでどうでもよいことではあるけれど、盲目の人が株価に興味を持っていたら不親切だと思うがねぇ。
副音声で知らせているのかもしれないが、日本の報道社が日本の株価を口頭で伝えず、アメリカの株価は口頭で伝えるのは何か深~い理由でもあるのだろうか。

 最後に女の教員が後輩(イケメン?)を同僚と一緒になって苛めていた件などは現在の日本の恥部を象徴しているような事象ではあるまいか。
真偽は定かでないけれど、中年女の欲情が発端で悋気によるものだろうとの記事を目にしているが、生徒の虐めが社会問題なっている中で同僚を巻き込んでのこの行為はとても看過できるものではないし、大人として恥ずかしい気持ちが生じないのだから呆れてしまう。
またその者を指導監督する立場にあるはずの教頭・校長が取っていた対応や処置も記事で読んだけれど、税金で生活を成り立たせている地方公務員の自覚も無い輩達と言われても仕方の無い有様で、これでは生徒による校内の虐めを無くす事など出来るはずもなかろう。
これが大人と言われる立場の人物が構成している今の日本である。
良き昔の日本は一体何処に行ってしまったのであろうか。
これに関連しているかどうかは判りませんが、NHK朝の連続テレビ小説は少なくとも過去数件共に高視聴率を維持しているようです。
そして、その時代背景は全て戦前から戦後に掛けての物語となっていたことに気付いておられるでしょうか?貧しくとも物が無くとも不便であったけれど生き生きとして人が人として生活していた良き時代であったから皆がその心を取り戻したい、あの時のような社会に戻れるものなら戻せたいと思っているからではないでしょうか。
余計なことを一言言わせてもらえれば、現在の連ドラの題名は「スカーレット」欧米人の女性の名前ですよね。陶芸家を目指す日本の女性が主人公なのに何故この題名なのだろう。



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「双龍物語:第一章・戦地へ その3」

 真剣な顔つきで祝詞を唱えながら拇印を押す「王仁三郎」の姿を見ながら、誠はどうやら大変な激戦地に行かされるのだろうと、また絶望的な気持ちになったが「聖師・王仁三郎」の「命だけは助けてあげる」の言葉を信じ、かろうじて平静を保っていた。
 拇印を押し終えた「聖師・王仁三郎」は「これを肌身離さず身に付けて下さい」と襦袢を誠に手渡し、戦地へ赴く労いの言葉を掛け、最後に「命だけは大丈夫だからね」と念を押してくれた。
 
 「王仁三郎」が書いた和歌の意味は「天皇家を守る盾となる為に選ばれて、戦に赴くこの若者」であり、漢文の方は読んで字の如く、漢字の持つそのままの意味である。
また薄く書かれた「月」の意味は、どうやら誠に「つき(幸運)」があるようにとの意味であろうと想像ができる。
と言うのも「王仁三郎」はよくこの様な粋で洒落たことをやっていたというのだから、まず間違いはあるまい。
 そして、この様に誰の目にも触れることはなかろうと思われる腹巻に書かれた和歌から推測すれば「王仁三郎」の心情は天皇家と日本を守りたいとの信念を持っていたことを伺い知ることが出来るけれども、不敬罪などの罪を着せられ数度の大弾圧を受けているのだから、いつの時代も権力を振るう立場にある者は見識の低さに加え、心の貧しさが故に生じる猜疑心や恐怖心に怯えるのは人としての性であろうか。
誠はこれ以来この襦袢を腹巻として使用し、復員するまで肌身離さず身に付けることになるのだが、不思議なことは、誠が激戦地フィリピンから生還できたことと、詠まれている和歌の意味には、誠の命を助けるなどの文言はどこにも無くただ「つき」が添えてあっただけだから、真に誠の命を助けた「おかげ」の正体は「聖師・王仁三郎」が祝詞を唱えながら押した「拇印」ではないかと考えている。
この襦袢に押された「拇印」はこれまでに何度も洗濯をしている経緯もあり、薄れてしまって判別し難い状態ではあるが、襦袢に書かれた文字と調和が取れるように二十箇所余りちりばめて押されていたように記憶している。 
 何故「王仁三郎」は山口県の片田舎から来たこの若者にそこまで肩入れしたのであろうか?
との疑問が湧いてきて不思議ではあるまいと思うが、その理由は高齢に差し掛かっていて、余命が短いことを自覚していた「王仁三郎」は次なる一手を模索していたのであろうと思われる。
「王仁三郎」は既にこの時日本が戦争に負けることも、東京を始めとして日本全国が空襲の嵐に曝されること、広島・長崎に得体の知れない爆弾が落とされ、日本が米国に占領されることも知っていたのだから、「龍族(ここでは詳しい説明が出来ないので、話が進むに連れて少しずつ解かり易く説明を加えようと思っている)」の一員である「王仁三郎」は自分の代では、もはや世界の平和は叶わないことを悟り、次へ託す準備を考えていた。(尤も、東京の大空襲などは既に明治から大正時代に渡って書かれた「開祖・なお」の「お筆先」によって予言がされている。)
信者数百万人を超えるほどの巨大な宗教団体を組織し、人とは思えぬほどの霊能力を持ちながら、我が想い(役割)を達成できなかったのだから「龍族」としてこの世に出された役割を次へ渡すことを真剣に考えていたと言うことになろう。
しかし、その役割が誠であったわけではなく、誠を使って次なる作戦を立てようと企んだのであって、その企みとは次の世代に「龍族」の一人をこの世に下ろして役割を委ねることであるから、誠をここで死なすわけにはゆかなったと言うことになる。



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「双龍物語:第一章・戦地へ その2」

 誠達は案内されるままに従い、歩いて5分ほど離れた場所にある「王仁三郎」の執務室へ通された。
部屋の入り口まで来た時には誠の緊張は極限にまで達していたが、入り口を開けてもらい、伏し目がちに部屋に足を踏み入れると同時に「王仁三郎」が「やぁ良くお見え下されました。待たれましたか?」と声を掛けてきた。
誠は顔を上げ「聖師・王仁三郎」の方へ目を向けると、穏やかな笑みを浮かべた「王仁三郎」の姿がそこにあり、やっと直に会えた・・・ただそれだけでこれまでの緊張は一気にほぐれて感激と幸福感で心が満たされてゆくのが判るほどであった。
一方「王仁三郎」の方は事前に誠が来ることは知らされており、出生地なども聞き及んでいたから「やれやれ、やっと来てくれたか、さてこの若者を死なすわけにはゆかないのだが、上手く助けられるかいなぁ・・・」と心で呟きながら誠を見つめて「三田さんでしたね。召集されたと伺いましたが・・・」と言いかけると、傍から山脇さんが「そうなんです。これまでに二度も召集令状が届いたんですが、徴兵検査で不合格となっていたのに今回は丙種合格になって・・・」と口を挟んできて「それで、聖師さまにお陰を戴きに参りました。何とか宜しくお願いします」と誠に代わって想いを伝えてくれる。
すると誠を見ながら「聖師・王仁三郎」は誠の行く末を瞬時に見通してのこと「そうですか・・・さて、三田さんあなたは大変なところに行くことになりますが、何とか命だけは助けてあげましょう・・・」と言いながら「何かさらしのような布は無いか」と付き人に声を掛けたが「金物・布類など全て軍部に供出して何もございませんが、紙なら少しは・・・」と返事が返ってきた。
「紙か、紙ではダメだ。白い布なら何でも良いのだが・・・」と「王仁三郎」が口にすると、山脇さんが突然着物を脱ぎ始め「白い布なら長襦袢でもいいでしょう。これを使って下さい」と長襦袢を脱いで裂き始めた。
それを見るなり、お付の人は「ちょっと待って下さい。それなら鋏を持ってまいりますので」と鋏を用意してくれ、山脇さんはその鋏で以って切る巾や長さを「王仁三郎」に聞きながら、大凡で裁断を始めた。
その間「王仁三郎」はおもむろに脇机に置いてある硯に手を伸ばし、硯の蓋を取って墨を磨り始めた。
「こんなもんでいいですか」と裁断した長襦袢を「王仁三郎」に見せると、「王仁三郎」は「うん、いいんじゃないか」と手を伸ばして襦袢の切れ端を受け取った。
墨を磨り終えた「王仁三郎」は床に長襦袢の切れ端を広げて筆を取り和歌を書き始めた。
誠は正面から「聖師・王仁三郎」の筆先を目で追いながら何が書かれるのか読み取ろうとしたけれど、良く判らない字もあり首を傾げながら書き終えるのを待った。
誠が読めなかったのには訳があり、当時の知識人なら通常に「変体仮名」を交えた和歌を詠っていたので、学問に疎い誠には過ぎたものであったかも知れないが、和歌の内容を記すと「大君の家のみ盾と えらまれて いくさのにわに立つこの若人」と詠んであり、その下には漢文で「忠勇義烈 皇軍萬歳」と記されてある。
また和歌の横には薄い文字で「月」と添えられた文字があるのだが、これについては推測の域を出ないが、もう少し後にその意味をお伝えしようと思う。
そして「聖師・王仁三郎」は襦袢を床に置き祝詞を唱えながら、拇印を押し始めた。
・この長襦袢は今も現存しており、いずれ機会があればこの写真を掲載しようと思っています・



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「双龍物語:第一章・戦地へ その1」

 逮捕留置されたにも拘らず、誠は己の心に照らし合わせて何ら恥じることなど無いとの信念があり、その後も仕事に励みながら熱心に布教活動も続けていたのだが、日本を取り巻く世界情勢は一段と厳しくなり、昭和十六年十二月八日真珠湾攻撃で口火を切って、日本はアメリカに宣戦布告を行い戦争に突入する。 
 開戦当時から暫くは日本軍の連戦連勝で国中が湧きかえっていたようであるが、数年が経って戦局が次第に危うくなりかけた頃、誠に三度目の召集令状が届いた。
と言うのも、誠はこれまでにも召集令状を二度受け取っているが、徴兵検査の段階でいずれも不合格となっていたのである。
想像の域を出ないが、誠の身長は一五五センチ程度しかない小男で体型は痩せ型の上、心臓が弱く子供の頃に肋膜炎を患っている経緯があってのことなどが原因で、これまでは徴兵を免れていたのではないかと思われる。
しかし戦況が徐々に逼迫し、悪化する状況となっては、何が何でも兵隊を集めなければ・・・と思い始めた日本軍は小男であろうが多少病弱であろうが、もうお構いなしの徴兵となっていたのであろう、今回の徴兵検査では見事に丙種合格となって戦地へ向かうことになったのである。

 誠にまで召集が掛ったと言うことで、家族・親族に加え「大本」の信者を巻き込んでの大騒ぎとなり、話が地域の信者全体に伝わって行くのにそう時間は掛らなかった。
その中に昔の日本ではよく見かけた世話好きな女性の信者さんで山脇さんという方が話しを聞きつけ、すぐに誠を訪ねて、こう話を切り出した「誠さん、あなたが戦地へ行くんなら、そりゃあ聖師さんに会うて、お陰を貰わんにゃあいけん。うちも一緒に行くけえ京都に行こうやぁ」
突然の話ではあるが、巨大な組織となっていた当時の「大本」では、いくら古くからの信者といえども、そう簡単に「王仁三郎」に面会できるとは思えないので、恐らく世話好きなこの女性は「王仁三郎」に会える特別な人脈を持っていたのであろうと思われる。
誠の方も「聖師」さんに会えるのなら・・・と直ぐに申し出を受けて、京都に行く日時や手筈を山脇さんに委ねた。
 京都に向かう汽車の中で、誠は二度も徴兵検査で不合格になったにも拘らず、今回戦地へ赴くことになったと言うことは、恐らく激戦地であろう・・・との不安が頭を過っていた反面「聖師さん」と直接会える期待に胸は高鳴り、複雑な心境であったが、お節介なご婦人のおしゃべりで気が紛れたことは救いであった。
約半日ほど掛けて汽車は京都駅に着き、二人は山陰線に乗り換えて亀岡を目指し、亀岡駅より十分程度歩いて「大本」本部へ到着した。
受付で山脇さんは「今日聖師さんにお会いする約束で山口県から来ました山脇です。日向さんをお願いします」と告げると、少し甲高いその声が届いたのであろう日向さんが奥の方から出てきて「やぁ山脇さん遠くからご苦労でしたねぇ待っていましたよ。さぁこっち、こっち」と手招きで二人を迎え入れ、他の人に何やら耳打ちをして使いに出したようだった。
事務所の奥に通されて、出されたお茶を戴きながら、道中でのことや、誠のことにことについて雑談交じりの話をしていたら、先ほど使いに出された方が戻ってきて「聖師さんがお待ちですこちらへ・・・」と事務所を出て「王仁三郎」の下へ案内をしてくれたのである。



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