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建築家 潤 の『独断と偏見』

「ちょっと一息の20」

 前回は議員の国費無駄使い・・・で締めくくりましたが、その上を行くとんでもない輩の出現で日本中が・・・いや世界中が沸きに沸きました。
情報伝達の速さには功罪があると思いますが、今回は嬉しくもあり、悲しくもありですかね。
「ウギャー!#%?*・・・」の訳が判らない記者会見では、日本にいる議員の質の低さを世界中に宣伝してくれましたし、都議会「野次」問題では当初のウソがばれての「謝罪」では議員として心の軽さを披露してくれました。
私など「野次」はある意味文化だと思うので、聞いている皆が「ウ~ン上手い!」と言うようなものなら顰蹙を買うどころか賞賛の嵐となるのに・・・残念である。
まあ、対象の女議員の経歴などについて多少の不愉快さを持っていたのではないかとしても、質が低すぎるので、恐らくこの野次は気を引きたい小学生の「スカートめくり」程度のものであろうと想像する。

しかしもし、我々一般市民がこ奴等の質の悪さを証明しようとするなら如何程の時間と経費が必要になろうか・・・と思うと、自ら暴いてくれたのだから感謝しましょうよ。
と言いつつも歳費を貰っているのだから複雑な気分だし、誤魔化してまで経費を搾取するとはヤクザ以下の人種で以前にこのブログ003「政治家とヤクザ」の項で触れた通りの内容である。
いつも言っている通り、真摯な議員の方には申し訳ないけれども、崇高な志があり立派な人は薄っぺらな祭りの御輿になりたいとは思わないものだと感じているのですが皆様は如何お考えであろうか?。

 割烹着 小保方 女子については何だか雲行きが怪しくなっている気配だが、これも以前話した通りに時間が結論を出してくれそうです。

このような状況ばかり毎日のように見せられ聞かされていると、つくづく日本人が小粒になった、小物になったものだと感じる。
行政のせいばかりにしたくは無いが、責任は大きい。
大阪府警の犯罪件数統計数ごまかし事件など、行政の起した事件は関係者に幾ばくかの処分はされるが、尤もらしい言い訳を重ね中身を薄く見せ、その結果はいつも甘い処分が多い。
しかし民間が同じような事をやったら言い訳など一切通用せず、捜査・逮捕・立件となり、悲惨な目に遭わされる。
 これは財布の紐を握っている嫁さんの無駄使いを、その財布の中身を稼いでいる亭主が責められないのと似ていて、亭主の方が無駄使いをしようものならこの世の地獄を見せられると同じ・・やれやれだ。
なれば、日本の行政の内容って醜い夫婦の争い事と同じ程度と言うことか。

いずれにしても日本国中に今足らないものは何か!それは生きてゆく上で必要な「覚悟」である。
日本人が今一度この「覚悟」を持てばこの様な馬鹿げた事は起こらなくなる。

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「ちょっと一息の19」

 「上顎腫瘍」の疑い有りで、病巣病理検査の結果は特に異常なしの報告を受け安堵していたところ、その翌日の朝のこと、以前からあった飛蚊症(何十年もの間糸くずのようなものが見えていた)が、何やら糸くずの色が少し濃くなったような気がして「あれっ」と感じ、その翌日には糸くずの下の方がくすんで見えるようになったので、これは眼科に行かなければ・・・と思っていたのですが、その日は何やら慌ただしくてすっかり忘れてしまい、次の日は絶対忘れないようにと注意書きをしておいて眼科を訪ねた。
診断の結果は「右目に網膜はく離が2箇所あるので午後に手術しましょう。費用は5万円位かかりますが、このままにしておくと失明の恐れもありますので・・・」と言われ、レーザーによる「右目網膜はく離」の手術を受けた。
網膜が剥離した部分の周囲をレーザーで点々と火傷をさせて剥離の拡大を防ぐ手法であると聞いたが、今までに経験したことない場所に経験したことのない痛みを伴ったので少々苦痛を感じた。
手術時間は十数分であったが合計300箇所の点々火傷を施されたようである。
ミクロンの単位で点々を打つことが出来るのだから、この手術機械は高額なのであろうと想像するが、それにしても三割負担で5万円なのだから実価格は僅か十数分で15万円という事になる。
何とも良い稼ぎだことと半ば呆れてしまうが、取り敢えず失明の恐れはなくなったので一安心ですかね。
 それにしても、この位の年になると一日また一日が経つに連れて体の故障が表に出てくるので、気が滅入ってしまい、人間は余り長生きをするべきではない!とつくづく感じてしまう。
これでまた病の総合商社である私の体に新たな症材が加わり発展の一途を辿っています。

 さて病の総合商社報告はこの位にして、先日 広島政経会(地方議員と経済界の集い)の主催による「呉 善花」「田母神 俊夫」両氏の講演会に行き、生の声で両氏の主張を聴いてきた。
「呉 善花」氏についてはこれまでに著書の何冊かを読んでいるので、講演内容は著書の内容と殆ど同じであったが、韓国籍の方でありながら日本と日本人についての見識が日本人以上に深く、よく研究されているものだと改めて敬意を表した次第である。
「田母神 俊夫」氏に関しては今まで著書を読む機会に恵まれなかったので、興味深く公演を聴きましたが、以前このブログに書いた通りで、やはり彼には東京都知事をやらせてみたかったとつくづく思いました。
この時に感じたことを素直に述べれば、彼こそ政治家の要素を持った人物で、彼の話を聴いていると現在のチャンガラ政治屋はまるで赤子のように思えるほど話の内容は時節や問題点を的確に捉え、鋭く抉り、解決方法もはっきりと述べ、更に話術も上手であった。
ただこの講演会では残念なことが一つありまして、それは参加者の殆どが五十代以上と思われる方たちであったことだ。
二十代や三十代の人は皆無であったように思うので、若い人達の勉学に対する興味の無さに失望した。
では私の若い頃は如何なるものであったかと問われれば、返答に困るけれども、私達の世代の若い頃はこのような機会に恵まれることが無かったのだ。
一応書き添えますが、会社の社員にも参加の声をかけたのですが、残念なことに断られました。

 実はこの講演会の二日前にある広島地方議員の政策発表があり献金を兼ねて出席してみた。
この議員は民主党で個人的な面識は無いけれど父親との交流があって、それで参加した次第なのだが、本人による政策発表の後、民主党の重職に就いている国会議員による意見発表が一時間ほどありました。
一時間も話を聞いていて、一体何が言いたいのか?さっぱり判らなかったので、思わず結論として何が言いたいのか?と声が出そうになったほどだ。
なるほどこれでは国民の期待を一身に背負ったにも拘らず、あっけなく政権の座から落とされた理由も納得できたし、もう二度と返り咲くことも出来ないであろうと想像もつく。
尤も、政権下にあった当時に民主党代表の発言や行動には呆れ返ったものだが、頭から尻尾までこの程度の能力では国費の無駄遣いも甚だしい。
 その後に懇親会が開かれることになっていたが、式次第を見ると労働組合の代表者挨拶などが記載されていたので、気が重くなりそのまま帰路に着いた。

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「ちょっと一息の18」

 16日までは余裕があると思っていたのに、またスポンサー広告を貼り付けられてしまいました。
実は以前、歯周病の治療を半年間かけて行ったのですが、治療の効果が現れないので諦めて右上奥歯を1年ほど前に抜歯しました。
しかし、抜歯したにも拘らず治療後の傷が癒えず、痛痒さも取れないので、治療を続けていたのですがレントゲンでの異常は見つからず、医師に相談してもはっきりとした返事が返ってこない状況であった。
 三週間前に高校の同級生がひょっこり尋ねてきてくれたので雑談をしている中、親知らず(歯)を移植して使っている話を聞いた。
私も抜いた歯の傷が癒えたら入れ歯かインプラントを・・・と思っていたので、その施術をしてくれたという医師を紹介してもらい訪ねてみた。
診察を受けた結果は、レントゲン写真を見ても異常は見つからないけれども、1年が経っているにも拘らず、抜歯後の傷が癒えていないのに加えて膿が出ているから大きい病院に行きCT検査を受けてみたほうが良いとの結論を出された。
やはりそうなのか・・・幾らなんでも1年も経って傷が癒えないのはあまりにも不思議だと思っていたので、紹介状を書いてもらった市民病院の医師を尋ねて診察を受けた。
やはりレントゲンでは異常が見つからなかったが、傷が癒えていないのと膿が出ていると言うことでCT検査を受けたら、なんと上顎骨と歯茎の間に病巣らしきものが映っていて、恐らくこれが原因であろう・・・と言うことで早々に手術の日程を決めて5月の30日に手術を受け、一週間ほど寝込んでおりました。
病名は上顎骨骨髄炎と記載されていたが、悪いことにその菌が親知らず(歯)にまで及んでいいたので親しらずの抜歯までする羽目になってしまった。
今日で手術後10日余りが経つけれどもまだ痛みが少し残っており、悪いことに口が大きく開かなくなってしまったのです。
通常人の口は大きく開けると前歯の上下間で4㎝ほど開くのだそうだが、現在の私は2.5㎝しか開かないので、食べ物に苦労している。
今以上口を大きく開けようとすればとても痛くて開くことが出来ずに困っています。
医師にはいずれ元通りになるのなら辛抱しますが、何か変ですよね・・・と言ってみるが、明確な返答は返ってこない。
現在手術の際に取り除いた病巣を病理検査に出していて診断書には「上顎腫瘍」の疑い有りとされているので結果待ちとなってはいるが、さて、この後如何なることになるのやら・・・。

さて、今回のブログ更新遅れの言い訳はこの位にして、前回の続きを少し書きます。
偶然ではあるが、前回のブログを書き終えた後に買い置きしていた本の1冊を手に取りを読み始めたら、本の題名は「薬剤師は薬を飲まない:宇多川 久美子 著」であった。
もう読み終えたのだが、内容は私が書いたブログのものとほとんど同じであった。
やはり「薬」は怖いのだ。良ければ一読されることをお勧めする。
 次回は「副作用」について書いてみたいと思っています。

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「ちょっと一息の17」

 人間ドック協会の発表によると、今回健康の目安とされている血液成分などの基準値の見直しを行った記事を目にした。
私には持病があり、月に1回だが定期的に薬をもらう為に診療所へ通っている。
以前にもお話したと思いますが「大腸潰瘍(クローン病)」「痛風」「慢性副鼻腔炎術後性膿庖」「尾骶骨疲労骨折」と「ヘルニア」五つの病気持ちである。
このうち「大腸潰瘍」と「痛風」の薬を常飲しているのだが、心情をお話すれば「大腸潰瘍」の薬はただ単に「気休め程度」のものとしか捉えておらず、飲むのも気が進まないのだが、まあ仕方なく・・・。
と言うのも、この「大腸潰瘍」は原因不明で発症し治療方法も無いと医師から聞かされてはいるので、症状の記憶を辿ってみると、小学生の頃に罹患していたと思われ、それから六十余年が経過した今でも年に数回程度だが腸閉塞のような感覚の痛みが起こる。
痛みが続く時間は短くて数十分、長くとも数時間で治まるもので、痛みはその時により様々ではあるが、軽い痛みで済むようなものから脂汗が出るほどに苦痛を感じるものまでがある。
病原菌やウイルスによるものではないと言うことなので、治療方法が無いというのも頷けるが、対処の方法が無いのだから、効かないであろうと思っている気休めの薬を飲むことにして諦めている。
 また「痛風」はよく贅沢病だと揶揄されるものだが、実際はとんでもない誤解である。
原因は明らかに人の体質や資質によるもので、何を食しても「痛風」になると言ってよいと思う。
最も食していけないものとしては「鰹ぶし」「青魚の干物」の類で「痛風」の原因となる「プリン体」を極めて多く含んでいると言うことなので、肉より魚貝類の方が「プリン体」の含有量は多い。
「鰹ぶし」などは日本料理に全てと言ってよい位に使用されているし、鰯や鯖などは庶民の魚として名を冠しているが、これらは「プリン体」の塊で、明らかに贅沢な食材では無いはずだ。
「プリン体」を体内に取り込むと「尿酸」を作り、これが「痛風」の原因となるようですが、私の体質は何を食しても体内で多量の「尿酸」作るようなので対処のしようが無い。
ただ「尿酸」は尿に含まれて排出される性質があるらしく、私は若い頃から「頻尿」体質で体がこの体質に対抗してくれているのだと自覚している。多量の水分を採っているわけでもないのに、三十分間隔位で排尿が起こることもしばしばあるので、自然(体の仕組み)とはある意味恐ろしいものだと思う。

これらの持病の中で痛みの順位を付けるとすれば一番は「ヘルニア」である。
この痛みは足を切り落とそうか、首でもくくろうかと思わせるほどの痛みで、初めて救急車の世話になる羽目になった。
その次は「慢性副鼻腔炎術後性膿庖」でこれも相当に痛む。
顔が腫上がり何とも言えない強力な痛みが鼻横の内部から起こるのだから手の下しようが無い。
あまりの痛さに畳針のような長い針で突いて膿庖を破裂させようとやってみるが中々上手くゆかずいつも難儀している。
ただこの膿庖は薄い膜だと思われ、4~5日で自壊するのだが、それまでがとてつもなく痛い。
この二つに比べれば「痛風」の痛みなど大した痛みには感じられないもので、まあ痛いことは痛いが、歩くに不自由はするけれども我慢できない痛みではない。
あと「尾骶骨疲労骨折」については今更予防も出来ず、いずれ下半身不随になるのであろうと思われるが、その時なってから対処する以外に方法が無いので、今は考えないことにしている。

なぜ今日はこのような話になってしまったのかといえば、健康・病・薬について一言を呈したかったからなのですが、いつもの悪い癖で長い前置きになってしまいました。
 以下私が診療所の医師や調剤薬局の薬剤師と会話をするときの内容である。

医師「川田さん血圧が、下のほうが少し高いですね」
私「どの位ですか」
医師「上は良いですが下が98ですから・・・薬飲みませんか?」
私「その位なら大したことはないし、出来れば早く逝きたいので飲みません」
医師「でも、ぽっくり逝ければ良いけれど、半身不随になることもありますからね~飲まれたほうが良いと思いますよ」と盛んに薬を押し付けようとするが、きっぱりと断っている。

薬剤師「この薬は・・・で・・・に効く薬です一日1回服用してください。それからこちらの薬は・・・」
    と薬の効能と飲用回数に加え過去に経験した副作用に関する体質などを聞いてくる。
私「解かりました。でも鎮痛剤は要りません。我慢できない痛みとは思えないので飲みませんし、そもそも薬は細菌を殺す以外のものについては効かないと考えているので・・・」と返せば
薬剤師「あっ、そうですその通りです。では鎮痛剤は止めておきましょう」
私「申し訳ないですね。売り上げを阻害するようなことを言いまして・・・」
薬剤師「いえ、飲まれない薬をお出ししても意味がありませんから大丈夫ですよ」
と、いつもこのような会話になるのです。

私は病原菌が人の体に住み着いて悪さをしているのなら薬で治すことが出来るが、生活習慣病のような病?は薬で治ることはないとの信念があるからである。
例えば「結核・コレラ・チフス・マラリア」などの細菌による病は薬で菌を殺せば必ず完治する。
しかし「血圧・糖尿病・通風・脂肪肝」の類については薬で治るものではない。
薬で正常値と言われている数値に近づける効果はあるが、傷んだ体の機能を回復させる効果はない。
人の体は宇宙や地球の仕組みと一緒で自然に調和を保とうとするもので、数値が異常に逸脱して急激に生命を脅かす危険がない限り薬など服用するもではないと考えている。
生活習慣病の類は長い間の不摂生や個人の体質によるところが大きいものだと思っているので、薬を常飲して数値を下げたり上げたりしているうちに体はこう考える「何かしら別な作用が働いてくれているのなら敢えて調和を取らなくて良いのだろう・・・」そうなると体が持つ本来の機能そのものが失われ、本末転倒な事態が起こるに違いないと考えている。
 医師と製薬会社は売り上げ向上のために正常値と呼ばれている平均値を作り治らない病?に対して薬を処方してきた。
しかし今回この平均値が大幅に見直されて今まで高血圧と言われていた人が正常値の範囲となり、病ではなくなるのだから、これをどのように捉えるかと言う事である。
医師に騙されて(ちょっと言い過ぎかも・・・)健康を心配する患者?は薬を飲まされていたと言うことになるから、やれやれである。
細菌に感染しない限り薬は服用するものではないし、それ以外の病は薬では治らないということを自覚しなければ医療費は増大の一歩を辿り、結局我が首を我が手で絞める状況から脱出できない。
医学知識の乏しい私でもその位のことは理解が出来るのだから、騙されないようにしましょう。
でも、事故による処置や脳腫瘍など外科手術の有難さを否定するものではありません。

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「ちょっと一息の16」

 韓国で修学旅行の生徒を乗せた船が沈没し、多数の犠牲者と行方不明者を出している。
実は日本でも同じような事故が昭和三十年にあった。
私がまだ小学生で低学年の頃ではあるが、うっすらと記憶があったので当時の事故のことを調べてみた。
 船名は「紫雲丸」で当時の宇高連絡船(岡山県宇野港と香川県高松港を結ぶ)である。
事故が起こったのだから、それには必ず人による過失か何らかの原因があるはずだが、今回の事故と共通している原因の一つは共に「濃霧」によるものだ。
自然が起こす現象を甘く見た結果や、慣れによる過信もあったのであろうと想像するが、私のブログは事故の原因や究明ではなく、別な視点で捉えての話である。
 韓国で起きた事故の船長はいち早く救助船に避難したそうだが「紫雲丸」の船長は退船勧告を拒否し、船と共に運命を一にしている。
また、紫雲丸乗組員の懸命な浸水防止活動や救助活動に加え、修学旅行を引率していた教員の中には一旦別な船に避難しながらも教え子の救助に向かう為に再び紫雲丸に戻り一命を落とした方までいるのだ。
今から約六十年前の出来事ではあるが、当時の日本人の持つ志と責任感の強さに敬服する。
しかし、現在欧米思考と化した日本で、もし同じような事故が起きたらどのような結果となるのであろうか・・・。
 それにしても、韓国の若い女性乗務員は自身が泳げないにも拘らず、救命胴衣を子供たちに配り続け一命を落としたことは気の毒でならないが、このような気高き人物が韓国にいることは人類の誇りでもある。
人間という生き物は土壇場になるとその人物の本性が顕わになるもので、幾ら能力の差があるとは言え、
高給を食んでいた船長と薄給であったと思われる女性乗務員のことを思うと胸が痛むし、この世の不公平を嘆かずにはいられない。
加えて、この遭難海域には急げば日本から数時間で到着できる距離だ、日本の救援要請を断った韓国政府の対応にも疑問が残る。
現場での指揮系統や船舶の混雑を回避したかったのであろうとは思うが、この様な国に日本が非難されてはかなわない。
いずれの国においても国民の中には立派な人物がいるのに、為政者たちはそうでもないようですね。

 今日はもう一つ明治時代の古い話になるが、田中正造(今年で没後百年になります)の記述の一部をご紹介してみたい「田中正造文集(岩波文庫)」。
「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」とあり、「古来の文明を野蛮に回らす。今文明は虚偽虚飾なり、私欲なり、露骨的強盗なり」と唱え、地位や財産を投げ打ち国会議員を辞職してまで、足尾銅山の公害で苦しむ人達と共に政府と企業を相手に戦った人物である。
100年も前に述べられた言葉であるにも拘らず「  」内の言葉は今も歴然と的を射ていると思われ、当時欧米の植民地政策に対抗するためであったとは言え、富国強兵の名の下に行われた多くの政策事業や軍需産業の育成は恐らく今の中国と同じような状況下だったのだろう。
歴史的な事実背景から鑑みると、何が正しいとか誤りであるとかは無いようで、ただ凡人は時代と言う流れに逆らえないが故に、為政者はその舵取りを決して誤ってはならないものなのだ。
以前このブログで紹介した「出光 佐三」や、今回の「田中 正造」氏の先見の明に耳を傾けよ!百年も前に述べられた言葉が今でもピタリと当て嵌まるではないか!目を醒ませよ為政者たち。
 5千万円や8億円の野郎共(まだ表に出ていない奴等がどれほどいるか不明だが)恥ずかしくはないのか!と思うけれど、今の日本で生活していれば、自分の権利の主張が社会的意義や正義感に勝るのだから全くお粗末な国に成り果てたものだ。

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