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建築家 潤 の『独断と偏見』

「酔龍の独り言:その027」

                [ 脱炭素社会の二 ]


 そこで、電気が無ければ生活が出来ないようになってしまった現在の社会において、大きな問題が山積している中とは言え、発電に関しての最良策が見つからない状況下でありながらも私達市民が出来ることでは何があるかを考えてみた。
ざっと思いつくだけでも余りにも多くがあり、数枚に及ぶページになりそうなので、掻い摘んでお伝えしてみたいと思います。
私は建築設計を生業にしているので建物に関することで言わせてもらえれば、まず①マンションなどの共同住宅に於いて、屋外のアプローチと玄関廻り・屋外階段や屋内階段に加えて開放廊下の照明が常時点灯や常夜灯となっていて、不要と思われる照明が明々と灯されて電気を垂れ流している(これらは熱感知や煙感知のスイッチに連動させれば解決できるのだがねぇ。また中には法をも変えなければならない難題が含まれてはいるけれど工夫は出来ると思っていますが、硬い頭脳の官僚が相手ですから・・・)。
②誰も使用していないのに廻り続けているエスカレーター(事故などを考慮してのことだと思われるけれど、ある意味過保護となっていないか。中には人を感知して作動する連動型もあるようではあるが、まだ工夫が出来るのではと思っています。)
③新しく出来た「建物省エネ法(建築基準法です)」による建物内の断熱能を高め密閉化を促進してエネルギー効果を高め、熱損失を少なくする(これではエアコンの冷暖房を使いたい放題でいいよと言っているようなもので、節電を推奨しているわけではないように思える)。
そして、その反面「24時間換気(これも建築基準法です)」の法がそのまま残っていて
ハウスシック症候群対策と石油やガスによる暖房時の一酸化炭素・二酸化炭素中毒の防止の為に換気扇による換気を義務付けられている。
つまり「断熱性能を高めた高気密化の建物にしろ!」と法で定めながら、一方では「健康のために十分な換気を行え!」と法で縛っていて、まるで股が裂けるような法律が同居しているのだからねぇ東大を出た優秀な頭脳が考える内容がこの程度では笑ってしまう。

 またゴミに関して言えば「生ゴミ」の処理は焼却炉で焼却処分しているので、水分を多量に含んだ野菜の切れ端や果物の皮などを完全に焼却するには大量の石油を必要とする事位は少し考えれば主婦だって想像がつくというものであるが、殆どの人は何ら処理を施さないまま生ゴミとしてゴミ置場に搬出しているようである。
私事で恐縮ではありますが、私の省エネ・節電生活の一端をご披露させてもらいます。私は生ゴミを全てバルコニーで乾燥させてから後に可燃物としてごみ出しをしています(この方法はかつて新聞の投書欄で見つけて直ちに納得し、それ以来ずっと続けています)。
5月の下旬から10月の下旬頃までは直射日光が半日以上当たればバナナやオレンジの皮など、からからに乾いて重量を感じないほどに軽くなりますから、焼却するに少ない石油で済むであろうと思います。
乾燥用の受け皿には100円ショップで購入した30㎝×50㎝ほどの大きさのプラスチック製のトレイを利用して日の良くあたる場所に置いておくだけである(ただし冬場と雨降り曇天時は乾燥がとても遅く乾燥用トレイが数枚必要になります)。
 本来生ゴミは土に埋めて処理するのが最良の方法(土の中のバクテリアがタンパク質を分解して肥土にしてくれます)なのですが、マンション住まいではそれが叶わないので、不本意ながら乾燥に頼るほか術が無いのです。
 それでも日本中の主婦達が同じことをしてくれれば多くの熱量と二酸化炭素の排出を減らすことが出来ると思いますよ。

 その他ではエアコンは夏場の就寝時に1時間程利用するだけで、冬場に使うことはありません。
私の生活の主流は座椅子を併用した炬燵派(大きめの炬燵1.8m×0.75mを家具職人さんに造ってもらい使用しています)なので、食事・読書・テレビ観戦・洗濯物たたみ・アイロン掛けなどにも使用していますから椅子を使用しない分、部屋が広く使えています。
通年して私の一ヶ月の電気代は冬場が二千円前後で夏場が三千円前後です。
皆さん驚かれますが、こまめに電気は入り切りをしていますし、無駄な電気は使用しません(特に洗濯の乾燥機は浴室の機能の一部として取り付けられていますが使用したことはありませんし、食器乾燥機も装備されていますが一度も使用したことはありません)。
洗濯物は天日干しを基本としていますが、降雨時や曇天時は止むを得ず室内干しにしています(自然の恩恵を受けているので一年を通して梅雨時期が一番辛い季節です)。
 ガス代にしても電気代と同じで冬場が三千円前後で夏場が二千円前後です。
もう一つありまして、それはガス給湯器の使い方です。
お湯を使う時には給湯菅に残っている最後のお湯も無駄にしません。
給湯器の電源を切った後も給湯器から蛇口までの給湯管の中にはお湯が残っています。
お湯を使いながら後どの位でお湯が不要になるか・・・を見定めてから、給湯器の電源を切ります。
そうすると、給湯管に残っているお湯を使い切ることが出来ます(私の場合は約五秒間)。
一日僅か五秒ですが月にすれば150秒になり1年間にすると1800秒(30分)になるので、この工夫を怠れば蛇口から出ているお湯を30分間も垂れ流していることになりますから、これを考えると誰でも無駄だと思うでしょう。
高々一日五秒のちょっとした気配りで外国から輸入している天然ガスや石油を節約でき、地球温暖化防止に貢献できることになります。
私は吝嗇家ではありませんが、無駄が大嫌いなので、会社も自宅も肌理細やかな気配りをしながら無駄の無い生活を心掛けているだけです。
結果的には僅かなことかもしれませんが地球温暖化防止に役立っていると思っています。

雑学を一つ
私の朝食は果物だけで季節の果物を数種類少しずつ頂いています。
林檎や梨・桃は1個を7回に分け、苺や枇杷などは1粒か2粒、トマト・西条柿・柑橘類は半分、バナナも半分、メロンの部類は1週間で食べ切り、サクランボは数粒で、葡萄類のデラウエアは1房を半分にし、巨峰・マスカットの類は5~6粒を食するようにしているので、必然的に毎朝生ゴミが出るのです。
余談ですが果物は柑橘類・バナナ・葡萄にメロンの類を除いて全て皮と一緒に食しています。
果物の一番美味しいところは実と皮の間だそうで、食べて一番美味しい時期は腐る一歩手前が定説のようです。
ある葡萄(巨峰)生産農家を営む方の話とその映像をテレビで観ました。
「葡萄が一番美味しいのは実と皮の間でのぅ~こうやってわしらは食べよるんじゃ」と言いながら葡萄を口に運びモゴモゴさせて皮と身を葡萄畑に吐き出した。

 前回書きました、使用不能になった太陽光発電の産業廃棄物ですが、最近では発電用のガラス表面に付着している重金属(?)などの有害物質を除去する企業の紹介が週刊誌の記事に出ていました。
現在これらを処理できる企業はとても数が少なく、除去処理には多くの時間が必要だから太陽光発電の廃材が敷地内に山積み状態となっているとの記事内容だったので、一日も早く根本的な処理方法開発や処理工法の改良が待たれます。

文がやたらと長くなってしまい何が本質なのか解かり難い内容になってしまったことお詫びいたします。





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「酔龍の独り言:その026」

                [ 脱炭素社会の一 ]

 地球温暖化の元凶は二酸化炭素(CO2)だと二酸化炭素が地球上で指名手配されている。
では二酸化炭素は何故生じるのか?から捉えて検証してみたいと思います。
二酸化炭素はC(炭素)とO(酸素)が燃焼の過程を経て結びつき二酸化炭素(CO2)
になるのですから「もの(可燃物)」を燃やせば必然的に二酸化炭素が発生するということになります。
 現在世界が目指しているのは二酸化炭素の減少だけれども、二酸化炭素を減少させることが解決ではなくて、火力を使い大量の熱を放出していること自体が元凶であると私は考えているので、熱源を減少させることが真の解決に結びつくと思っています。
ただ、熱源を発生させる副産物として生じる大気中の二酸化炭素量が容易に測定できる為にその量を測定して減少の目安とし論じていると言うことでしょうが主客が転倒しているように思います(二酸化炭素は燃焼だけで生じているわけではない)。

 人間は住まいの中で灯りと暖をとるために古代より横穴式住居や竪穴式住居の内外で火を熾して生活を続けてきたのですが、時代を経るごとに火の扱う量が大きくなって行き、現在に至っては扱う火の使用量が膨大になったため地球を取り巻く大気温度が上昇を続けていること以外にないと思います。
 普通に考えてみて、世界中を走っている「車」と「飛行機・船舶」等が使用しているガソリンや軽油に重油と火力発電に主として使用されている「石炭・天然ガス」などが発生させている熱量は恐ろしいほどの量であることは私のような門外漢でも想像がつく。
これほどの熱を地球上に放出し続けているのだから、さぞ地球も暑かろう・・・人間の体温が上がるのと何ら変わりは無く、地球が体調不良になっていると言うことですよ。
 しかし、国は植物による光合成(二酸化炭素を吸収して酸素を作り出す)の仕組みがあるので、植林をも推奨しているようだが、ここには大きな勘違いがあることに気付いてはいない。
地球上から二酸化炭素を多少なり減少させたとしても、今と同じほど熱量を放出し続けていては何ら効果があるわけではないと私は考えている。
つまり減少させるのは燃焼に伴う副産物である二酸化炭素ではなくて、地球上に放出している「熱量」でなくてはならないはずである。

 別次元の話になりますが、現在地球上には77億を超える人口がいます「他の生物(特に動物)を数に入れると天文学的な数になろうか・・・」。
この総人口と生物が呼吸により排出している二酸化炭素と熱(体温が放出している)の量をどのように捉えるのかは誰も論じていない。
車・飛行機・船舶などは動いている時にのみ二酸化炭素と熱を放出しているけれど、人間と生物は起きていても寝ていても命ある間は二酸化炭素と熱を放出し続けているのだから、これも相当な量になると考えられるけれど、これに対する解決策は全ての生物を死滅させる以外に無いので、議論の対象にはなりませんが、間違いなく熱と二酸化炭素を排出していることは紛れもない事実である(であれば人口増加も地球温暖化の一因かも・・・)。

話を元に戻します。
では何故このような地球環境に陥ったのかといえば、人間の欲から発した結果であることに間違いはありません。
ちょっとした「便利さ」と「快適さ」の追求がこのような環境を作り出してしまったことに異論はないでしょう。
英国発祥の産業革命以来それまでには考えられなかった生活に便利な道具や機械類に加え多種類の乗り物が出現してきたのです(僅か250年前からのことです)。
ごく簡単な流れで言えば蒸気機関(黒船・汽車)の発明から始まり石油による内燃機関(エンジン)を経て現在は電気が主流となっています。
蒸気機関は水蒸気による力を利用する仕組みですから水を沸騰させなければなりません。
その為に石炭を燃やしていましたし、内燃機関は可燃物である石油を用いて大きな力を生み出す仕組みで共に大量の熱と二酸化炭素を排出し続けてきました。
では電気はと言うとこれが少しややこしいのですが、電気の生産には①ダムを建設し水の落差による力(重力)を利用して直接発電機を作動させ電気を作る水力発電。②火力を利用して電気を造る火力発電(石油や石炭で水を沸騰させてタービンを介し発電機を廻す仕組みだからこれは一種の蒸気機関かな)。③原子力を利用して行う原子力発電(核融合で生じる高熱で水を沸騰させての発電だから仕組みは火力発電と同じでこれも蒸気機関かも)。④太陽光発電(太陽の光と熱を電気に変える仕組み)。⑤風力発電(風の力を利用し巨大な羽を廻して直接発電機を作動させ電気を作る仕組み)。⑥潮流発電(現実には実用化されていないようですが、潮の満ち干で生じる巨大な海流の力を利用して電気を造る)などが考えられていますが、この内で②の石油や石炭を使う火力発電が主として二酸化炭素を大量に排出するという理由で地球温暖化の元凶として槍玉に挙げられているのだけれども、二酸化炭素は発生させないにしても莫大な熱を直接放出しているのは原子力発電も然りである。
 全く熱源を使用しないで発電できるのは①の水力発電と④の太陽光発電に⑤の風力発電である。
⑥の潮流発電も熱源は不要なのだが、干潮・満潮時には海流が起こらず発電が出来ない時間帯が生じるという不具合が災いするのだと言われているのは、交流電気は直流電気と違い蓄えることが出来ないために、実際に使用されている電気量に合わせて発電量を調整することが出来ないからだそうです(航路を塞ぐことに加え漁業補償の問題もあります)。
では④の太陽光発電が一番良いではないかということになるのですが、太陽光発電に使用されている機器に含まれている素材が不要になると、とんでもない産業廃棄物となってしまうと聞き及んでいる。
放射能に匹敵するとまでは言わなくても処理に困っているのが現状のようです(このことを正確に報道している報道機関はないので、これまで太陽光発電設置を煽ってきた政府に阿いているのでしょうか)。
今日聞いたのですが、東京都が一定規模以上の建物建設の際に太陽光発電の設置を義務付ける方向を打ち出したとか・・・一時的には電気はそれで何とかなるかもしれないけれど、後に降りかかってくる廃棄物の処理は東京都内や国内で出来るのかな?。
 また安全と言われてきた③の原子力発電ですが福島の原発事故はまだ記憶に新しいし、米国のスリーマイル島にロシアのチェリノブイリの事故では地域一体が使用不能の土地と化してしまっている(世界中では本当に多くの原発事故を起こしていますが、これも詳しく報道されないのは政府が原発を推進しているからかな)。
そういう意味では原子力発電は二酸化炭素こそ排出しないけれど、大量の熱を放出しますし、一旦事故を起こすと放射能を除去できる能力をまだ人類が持っていないのだから手の施しようがない現状(放射能の影響を受けないところまで逃げるのみ)では、国が推奨するほどの良き発電方法とはとても言えないと思う。

 文が長くなりますので以下次回の更新に致します。





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「酔龍の独り言:その025」

                [ 18歳からの成人 ]

 令和四年四月一日より成人年齢が二十歳から十八歳に引き下げられた。
日本における「成人」の扱いとしての歴史を遡ると、奈良時代には既に「成人」の儀式が行われていて、地域によっては儀式の様式は少し異なっていたようですが、日本におけるその儀式は通称「元服(頭に冠を載せる儀式)」と呼ばれ、年齢は十三歳頃からのようであった。
 「元服」の儀式は江戸時代まで続いていたが、明治時代(明治九年)になってから国は「成人」としての取り決めを年齢で二十歳になった時と定め、それ以降約140年間続いていたけれど、此の度その年齢が引き下げられた。

 成人年齢が引き下がられた理由は、諸外国では成人年齢を十八歳と定めている国が多いからであるとか、政治に関心を持ってもらいたい、民法(様々な契約事やクレジットカード作成が親権者の同意なくして自分の意思で出来るようになる)を学んで欲しいなどと言っているようであるが、今一つ決定的な理由に欠けるような気がしてならない。

 しかし「成人」と言いながら飲酒や喫煙に公営賭博は二十歳になるまで禁止とは一体どういうことなのか。
飲酒・喫煙は健康被害を考慮しての禁止であり、公営賭博はギャンブル依存症を防止するためだと言うのだから「成人」の意味をどのように捉えてよいのやらさっぱり解からない。
選挙権と契約事だけの「成人」で、飲酒・喫煙・賭博に関しては「未成年」ですからねぇ何とも都合のよい「大人」作成劇だと思えてならないが、唯一女子の結婚年齢が十六歳から男子と同じ十八歳に引き上げられたことは納得が出来る。
と言うのも、人は脳が考えたことを体に指令を出して行動しているのだから「成人」として扱う部分は「脳」が「成人」としての資格?を有するほどに成長しているか否かが問題とならなければならないはずである。
果たして現在に於ける幼稚な十八歳の「脳」がその域に達しているのかと言われれば私は「否」である。
 
 自分のことで恐縮だが、二十歳の頃(まだ大学生2年生)を振り返ってみると、何ともお粗末な知識と能力しか持ち合わせてなくて、政治・経済を含めて「社会の仕組み」や「法」に関しては全く無知のままであったことを思い出します。
親に甘え、守られ保護されながら、更に社会にも甘えてきた結果ですから恥ずかしい限りです。
その原因は何かといわれれば「教育」の欠陥であると言う意外にないと言いたいのですが、仮に「教育」が十分であったとしても受け取る側の「子供」の「能力」がまだ理解できる水準に達していないだから「十分な教育そのもの」が行われたとしても無作為に終わることは容易に想像できる。
 つまり人の「脳」は知識を学び理解力を深めながら成長して発達するもので、その栄養素となるものは「ことば」であり「情緒力」だと考えています。
だから「脳」と「体」の成長と社会との係わり合いに「調和」が取れる頃になって始めて「人」は「成人」とみなされるべきであろうが私の持論なので、その年齢は三十代中頃にならなければ難しいように思えるから、「成人」は三十五歳辺りが妥当と思われるけれど、今の社会通念上では余りにも乖離が大き過ぎて現実にはそぐわずただの空論になってしまいます。

再び私事になりますが、平成元年から平成十八年まで私立大学の非常勤講師を務めた時の経験からお伝えすると、二回生(二十歳前後の生徒達)を教えていたけれど年を追うごとに学生の「知識」と「理解力」が低下してきて「ことば」の共有が難しくなって当惑した記憶がある。
私が大学生の時を振り返ってみて恥ずかしいと思う遙か下層の位置に彼らの「意識」があり、まるで中学生か!と思えるほどの感覚であった。
そのことを思い出しながら十八歳の「成人」は果たして妥当なのであろうかの疑問だけが心に澱む。





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「酔龍の独り言:その024」

              [ 銀行・コロナ・ロシア ]

 通信販売で購入した事務用品の支払いをする為に、払い込み用紙を持って郵便局の窓口に出向いた。
釣銭が出ないように払い込み用紙と支払い金額丁度の金額を差し出したところ「払い込みには手数料が必要です」と言われた(以前は小銭貯金をしていたけれど、硬貨が50枚以上になると手数料が必要となったので、出来るだけ釣銭を持ち帰らないようにしている)。
「えっ何にそれ!以前はそのようなことなかったけれど」と言うと「それが・・・今年の1月(と言われたように記憶している)から支払い手数料が掛かるようになったんです。
郵貯銀行の取引口座があれば、それから支払うことが出来ますので、それであれば手数料は掛かりません」と言われたので「何で?」と聞き返すと「国の方針によるキャッシュレス化です」と返事が返ってきた。
僅かな金額の手数料ではあるが、無駄な経費を使うことには罪悪感が伴うので、仕方なくカードを手渡して支払い処理をして貰ったけれど、その処理に随分と時間が掛かっていたので、キャッシュレス化に伴う効果は時間の無駄使いであることを認識しました。
 払い込み票を返してもらった後に、職員に向かって壁に張ってある「すべてはお客さまのために」の文を指差し「こう書いてあるけれど、硬貨の入金で手数料が必要になって、払い込み票でも手数料が必要になるのでは [すべてはお客さまの負担のために ] と書き換えてもらわなくてはねぇ。」と嫌味を言うと「虐めないでください。」との返事が返ってきたので、笑いながらその場を後にした。
 そして、後日確定申告による所得税の追加支払いに出向いたところ、支払い手数料は不要だと言われたので、思わず先日言われたキャッシュレス化は何処に行ったのだろうと思ってしまい、日本国政府は何と都合の良いことをするものだとつくづく感じました。

 キャッシュレス化に伴うことについて付け加えれば、二年後には一万円札と5千円札が新札に切り替わり、旧紙幣との交換時には個人番号の提示が必要で、一定の猶予期間を過ぎれば、今まで使っていた紙幣は使えなくなるらしいとの情報を得ている。
と言うことは、一旦国民のタンス預金を含めた疚しい金や反社会勢力が隠し持っている金を全てあからさまにしようとしている目論み以外にその目的は無かろうとの本質が垣間見える。
しかし、反社会勢力に所属している者にも個人番号は振られているのだろうか?銀行口座を作らさない相手ですからねぇ(これだけは明らかに基本的人権違反だと思っています)。
それとも、前述したように都合の良いところだけはお構いなしの政策となるのだろうか。
 国が本当にキャッシュレス化にしたいのなら新札を発行する必要など有るまい。
キャッシュレス化とは現金を扱わないようにすることですよねぇその方針を出しながら、片や多大な経費を掛けて新札発行ですからねぇ、どうやら国という人格には顔と口が沢山あるように思えてなりません。

 また令和4年4月1日より全ての銀行において、同一銀行間取引であれ、他銀行宛であれ、振り込み金額の如何にかかわらず振り込み手数料が必要となる。
いずれの銀行も年間に数十億円から100億円以上の利益を出しているにも拘らず、まだ広く浅く金を巻き上げようとしている姿勢はどのような贔屓目で見ても納得は出来ない。
日銀がマイナス金利の方針を出しているからとか、多大な経費が掛かるからだとか、超低金利下では集めた金の貸し出し先が無いからなどの言訳をしているようだが、やはり庶民としては言いたい「すべてはお客さまのために」と言いながら実情は「すべてはお客さまの負担のために」ですよねと。

 新型コロナ感染者の劇的減少を見ないままに蔓延防止策が解除された。
早期に経済復興の道筋をつけたい思惑と補償金の膨れによる財政圧迫の歯止めを掛けたいのが本根であろうことは容易に推察できる。
しかし、どのように考えてみてもワクチンに関しては効果が無いように思えて仕方がない。
一回目のワクチンの接種者は国民の85%で2回目が75%であるにも拘らず、その後コロナウイルスが新株に変異したからというだけで、以前のコロナ感染最大感染者数を上回る感染者を生んでいて、大きく減少する気配を見せていない。
 3回目のワクチンは新株に変異したウイルスに効果のある新型のワクチンなのでしょうか?それとも以前のワクチンと同じものでしょうか。
もし、以前のワクチンと同じものなら効くわけがない(時間が経つと効果が薄れるとか言われているようだが、1年足らずで効果が無くなり感染するようなものでは本来ワクチンとは言わないものでしょう)。
まぁ結局アメリカの製薬会社に莫大な国民の税金を支払い、医者とアクリル板製造会社を潤わせただけで終わりそうな気配を感じているコロナ騒動に思えて仕方がありません。

ロシアはまだウクライナへの矛先を収めようとしないまま1ヶ月以上が経過した。
これを見ていると三国志の物語の中にある「曹操の鶏肋」の話と重なって見えます。
益なき戦いを続けているプーチンは西側諸国からの経済封鎖による圧力の中で矛先を収め引き返せば、何故ウクライナに攻め入ったのかと軽蔑されるであろうし、仮にウクライナ全土を占領しても、あれだけの都市機能を破壊した後の復興を誰が行うのか、誰が復興の資金を出すのかを考えると後悔の念が渦巻いていることであろう・・・行くも地獄、引くも地獄とは正にこのこと指していると思う。
尤もプーチンは「三国志」など読んではいないだろうから、歴史から学んでいない愚者と言うことでしょうかね。





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「酔龍の独り言:その022」

              [ 産地偽装・熊本産アサリ ]
テレビや新聞の報道で知ったのだが、市場に出回っている「熊本産アサリ」と表示されているものの殆どが中国産や朝鮮産であったという(産地偽装となるのでしょう)。
記憶が定かではありませんが、熊本県が年間に出荷しているアサリの総出荷量は二千五百トン近くあるようで、その内で本当の熊本県産アサリは僅か二十数トンであると数字が表示されていた。
またこのような状態は三十年以上に渡って続けられて来たと言うのだから開いた口が塞がらない。
恐らく熊本県漁協の上席の方と思われる方による話であろうことは容易に想像がつくけれど、結果的には日本国内の漁協に拠る組織ぐるみであったことに疑いの余地はない。
 中には他県で輸入されたアサリが熊本県を経由せずに「熊本産アサリ」と表示されて出荷されていると言うのであるから、これには熊本県漁協は腹の虫が治まるまい。
その上、その風評被害で他の魚介類を含めた価格は暴落し、全く売れなくなったと言う。

 何故このようなことが起こるようになったかについては、どうやら根深い問題が複数あるようであるが、第一として取りあげられるのは消費者庁と農水省による不可解な「生鮮魚介類の生産水域名の表示のガイドライン」ではなかろうかと思われる。
 魚介類の原産地は生産水域名(又は養殖地名)を記載することが原則となっているようだが、生産水域名の記載が困難な場合は、例外として生産水域名に代えて水揚げした港名又はその属する都道府県名を記載することができる。となっている。
 前文の中の「生産水域名の記載が困難な場合」とは一体なにを意味するのか?何が根拠となるのか全く解からない。
その上、外国から輸入した魚介類を一定期間日本国内で育てることにより「国産」の表示が可能であるとも聞いている。
日本国内で「国産」が重宝されるには訳があり、中国産や朝鮮産は土壌の汚染に加え水質の汚染が甚だしいことについて、これまでに新聞やテレビなどで、どれほど報道されてきたことかについては今更言う事でもあるまい。
 土壌汚染と水質汚染による生鮮食料品を恐れてのことであることに間違いはなかろうと思っているけれど、汚染されたと思われる国や地域で数ヶ月から数年間育てられた生鮮食料などが僅か数週間程度の国内飼育で、それに含まれている可能性がある人体に悪影響を及ぼすような重金属や化学物質が除去されるとはとても思えないが、仮にそうだと言うのなら、その汚染された物質がこの世から消え失せ、無くなる事はないのだから、日本国内の土壌や海・河川に流れ出て、日本国を汚染し続ける事に繋がるのではないかの疑問が残る。
そして、その流れ出た残留物質は日本国内で生産される生鮮食料品に生育過程で吸収されて再び消費者の口に入る悪循環となりはしないか。

 また、牛肉に関しては「和牛」と「国産牛」の二種類の表示がある。
一般の消費者は共に「日本の牛」であると思って購入していると思いますが、これにも大きな「霞ヶ関偽装?」がある。
恐らく法文に定義されていることからであろう「和牛」とは日本国内で生まれ、日本国内で育てられた牛のことを指し「国産牛」とは海外で生まれた牛でも一定期間日本で過ごしていれば「国産牛」として表示できるそうである(黄色部分:子牛から育てられたとは書いてない)。
 この違いを知っている一般消費者がどれほどいるだろうか?恐らく皆無であろう。

これに加えて「原産国」という表示も然りである。
「原産国 日本」と表示されていれば、日本産であろうと誰もが想像すると思われるが、原材料が外国産(汚染された土壌や海に河川を持つ国を含む)であっても、最終的に加工された場所が日本であれば「原産国 日本」と表示しても良いのだそうだ。
 一体このからくりとも思える表示方法は何なのであろうか?いかにも官僚のやりそうなことだと、もう怒りも湧いてこないが、消費者を馬鹿にしているにも程がある。
法律用語の「和牛」と「国産牛」の違いを理解している一般の消費者がいるとはとても思えない。
 だから、官僚達は無知で馬鹿な国民達と鼻で笑っているのだろうが、一般の消費者が絶対に知らないであろうと思われることを解かっていながら、このような表示を認めていること自体を考えると、本当に官僚達は日本国と日本国民の為に働いているのだろうか?と
思ってしまうのです。

しかし「恥」を知っていたかつての日本人であれば「産地偽装」など決してしなかったであろうと思われるし、官僚が作成した法文がそれを上手く誘導するような内容となっていては本末転倒な話ではないか。





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