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建築家 潤 の『独断と偏見』

「酔龍の独り言:その027」

                [ 脱炭素社会の二 ]


 そこで、電気が無ければ生活が出来ないようになってしまった現在の社会において、大きな問題が山積している中とは言え、発電に関しての最良策が見つからない状況下でありながらも私達市民が出来ることでは何があるかを考えてみた。
ざっと思いつくだけでも余りにも多くがあり、数枚に及ぶページになりそうなので、掻い摘んでお伝えしてみたいと思います。
私は建築設計を生業にしているので建物に関することで言わせてもらえれば、まず①マンションなどの共同住宅に於いて、屋外のアプローチと玄関廻り・屋外階段や屋内階段に加えて開放廊下の照明が常時点灯や常夜灯となっていて、不要と思われる照明が明々と灯されて電気を垂れ流している(これらは熱感知や煙感知のスイッチに連動させれば解決できるのだがねぇ。また中には法をも変えなければならない難題が含まれてはいるけれど工夫は出来ると思っていますが、硬い頭脳の官僚が相手ですから・・・)。
②誰も使用していないのに廻り続けているエスカレーター(事故などを考慮してのことだと思われるけれど、ある意味過保護となっていないか。中には人を感知して作動する連動型もあるようではあるが、まだ工夫が出来るのではと思っています。)
③新しく出来た「建物省エネ法(建築基準法です)」による建物内の断熱能を高め密閉化を促進してエネルギー効果を高め、熱損失を少なくする(これではエアコンの冷暖房を使いたい放題でいいよと言っているようなもので、節電を推奨しているわけではないように思える)。
そして、その反面「24時間換気(これも建築基準法です)」の法がそのまま残っていて
ハウスシック症候群対策と石油やガスによる暖房時の一酸化炭素・二酸化炭素中毒の防止の為に換気扇による換気を義務付けられている。
つまり「断熱性能を高めた高気密化の建物にしろ!」と法で定めながら、一方では「健康のために十分な換気を行え!」と法で縛っていて、まるで股が裂けるような法律が同居しているのだからねぇ東大を出た優秀な頭脳が考える内容がこの程度では笑ってしまう。

 またゴミに関して言えば「生ゴミ」の処理は焼却炉で焼却処分しているので、水分を多量に含んだ野菜の切れ端や果物の皮などを完全に焼却するには大量の石油を必要とする事位は少し考えれば主婦だって想像がつくというものであるが、殆どの人は何ら処理を施さないまま生ゴミとしてゴミ置場に搬出しているようである。
私事で恐縮ではありますが、私の省エネ・節電生活の一端をご披露させてもらいます。私は生ゴミを全てバルコニーで乾燥させてから後に可燃物としてごみ出しをしています(この方法はかつて新聞の投書欄で見つけて直ちに納得し、それ以来ずっと続けています)。
5月の下旬から10月の下旬頃までは直射日光が半日以上当たればバナナやオレンジの皮など、からからに乾いて重量を感じないほどに軽くなりますから、焼却するに少ない石油で済むであろうと思います。
乾燥用の受け皿には100円ショップで購入した30㎝×50㎝ほどの大きさのプラスチック製のトレイを利用して日の良くあたる場所に置いておくだけである(ただし冬場と雨降り曇天時は乾燥がとても遅く乾燥用トレイが数枚必要になります)。
 本来生ゴミは土に埋めて処理するのが最良の方法(土の中のバクテリアがタンパク質を分解して肥土にしてくれます)なのですが、マンション住まいではそれが叶わないので、不本意ながら乾燥に頼るほか術が無いのです。
 それでも日本中の主婦達が同じことをしてくれれば多くの熱量と二酸化炭素の排出を減らすことが出来ると思いますよ。

 その他ではエアコンは夏場の就寝時に1時間程利用するだけで、冬場に使うことはありません。
私の生活の主流は座椅子を併用した炬燵派(大きめの炬燵1.8m×0.75mを家具職人さんに造ってもらい使用しています)なので、食事・読書・テレビ観戦・洗濯物たたみ・アイロン掛けなどにも使用していますから椅子を使用しない分、部屋が広く使えています。
通年して私の一ヶ月の電気代は冬場が二千円前後で夏場が三千円前後です。
皆さん驚かれますが、こまめに電気は入り切りをしていますし、無駄な電気は使用しません(特に洗濯の乾燥機は浴室の機能の一部として取り付けられていますが使用したことはありませんし、食器乾燥機も装備されていますが一度も使用したことはありません)。
洗濯物は天日干しを基本としていますが、降雨時や曇天時は止むを得ず室内干しにしています(自然の恩恵を受けているので一年を通して梅雨時期が一番辛い季節です)。
 ガス代にしても電気代と同じで冬場が三千円前後で夏場が二千円前後です。
もう一つありまして、それはガス給湯器の使い方です。
お湯を使う時には給湯菅に残っている最後のお湯も無駄にしません。
給湯器の電源を切った後も給湯器から蛇口までの給湯管の中にはお湯が残っています。
お湯を使いながら後どの位でお湯が不要になるか・・・を見定めてから、給湯器の電源を切ります。
そうすると、給湯管に残っているお湯を使い切ることが出来ます(私の場合は約五秒間)。
一日僅か五秒ですが月にすれば150秒になり1年間にすると1800秒(30分)になるので、この工夫を怠れば蛇口から出ているお湯を30分間も垂れ流していることになりますから、これを考えると誰でも無駄だと思うでしょう。
高々一日五秒のちょっとした気配りで外国から輸入している天然ガスや石油を節約でき、地球温暖化防止に貢献できることになります。
私は吝嗇家ではありませんが、無駄が大嫌いなので、会社も自宅も肌理細やかな気配りをしながら無駄の無い生活を心掛けているだけです。
結果的には僅かなことかもしれませんが地球温暖化防止に役立っていると思っています。

雑学を一つ
私の朝食は果物だけで季節の果物を数種類少しずつ頂いています。
林檎や梨・桃は1個を7回に分け、苺や枇杷などは1粒か2粒、トマト・西条柿・柑橘類は半分、バナナも半分、メロンの部類は1週間で食べ切り、サクランボは数粒で、葡萄類のデラウエアは1房を半分にし、巨峰・マスカットの類は5~6粒を食するようにしているので、必然的に毎朝生ゴミが出るのです。
余談ですが果物は柑橘類・バナナ・葡萄にメロンの類を除いて全て皮と一緒に食しています。
果物の一番美味しいところは実と皮の間だそうで、食べて一番美味しい時期は腐る一歩手前が定説のようです。
ある葡萄(巨峰)生産農家を営む方の話とその映像をテレビで観ました。
「葡萄が一番美味しいのは実と皮の間でのぅ~こうやってわしらは食べよるんじゃ」と言いながら葡萄を口に運びモゴモゴさせて皮と身を葡萄畑に吐き出した。

 前回書きました、使用不能になった太陽光発電の産業廃棄物ですが、最近では発電用のガラス表面に付着している重金属(?)などの有害物質を除去する企業の紹介が週刊誌の記事に出ていました。
現在これらを処理できる企業はとても数が少なく、除去処理には多くの時間が必要だから太陽光発電の廃材が敷地内に山積み状態となっているとの記事内容だったので、一日も早く根本的な処理方法開発や処理工法の改良が待たれます。

文がやたらと長くなってしまい何が本質なのか解かり難い内容になってしまったことお詫びいたします。





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「酔龍の独り言:その026」

                [ 脱炭素社会の一 ]

 地球温暖化の元凶は二酸化炭素(CO2)だと二酸化炭素が地球上で指名手配されている。
では二酸化炭素は何故生じるのか?から捉えて検証してみたいと思います。
二酸化炭素はC(炭素)とO(酸素)が燃焼の過程を経て結びつき二酸化炭素(CO2)
になるのですから「もの(可燃物)」を燃やせば必然的に二酸化炭素が発生するということになります。
 現在世界が目指しているのは二酸化炭素の減少だけれども、二酸化炭素を減少させることが解決ではなくて、火力を使い大量の熱を放出していること自体が元凶であると私は考えているので、熱源を減少させることが真の解決に結びつくと思っています。
ただ、熱源を発生させる副産物として生じる大気中の二酸化炭素量が容易に測定できる為にその量を測定して減少の目安とし論じていると言うことでしょうが主客が転倒しているように思います(二酸化炭素は燃焼だけで生じているわけではない)。

 人間は住まいの中で灯りと暖をとるために古代より横穴式住居や竪穴式住居の内外で火を熾して生活を続けてきたのですが、時代を経るごとに火の扱う量が大きくなって行き、現在に至っては扱う火の使用量が膨大になったため地球を取り巻く大気温度が上昇を続けていること以外にないと思います。
 普通に考えてみて、世界中を走っている「車」と「飛行機・船舶」等が使用しているガソリンや軽油に重油と火力発電に主として使用されている「石炭・天然ガス」などが発生させている熱量は恐ろしいほどの量であることは私のような門外漢でも想像がつく。
これほどの熱を地球上に放出し続けているのだから、さぞ地球も暑かろう・・・人間の体温が上がるのと何ら変わりは無く、地球が体調不良になっていると言うことですよ。
 しかし、国は植物による光合成(二酸化炭素を吸収して酸素を作り出す)の仕組みがあるので、植林をも推奨しているようだが、ここには大きな勘違いがあることに気付いてはいない。
地球上から二酸化炭素を多少なり減少させたとしても、今と同じほど熱量を放出し続けていては何ら効果があるわけではないと私は考えている。
つまり減少させるのは燃焼に伴う副産物である二酸化炭素ではなくて、地球上に放出している「熱量」でなくてはならないはずである。

 別次元の話になりますが、現在地球上には77億を超える人口がいます「他の生物(特に動物)を数に入れると天文学的な数になろうか・・・」。
この総人口と生物が呼吸により排出している二酸化炭素と熱(体温が放出している)の量をどのように捉えるのかは誰も論じていない。
車・飛行機・船舶などは動いている時にのみ二酸化炭素と熱を放出しているけれど、人間と生物は起きていても寝ていても命ある間は二酸化炭素と熱を放出し続けているのだから、これも相当な量になると考えられるけれど、これに対する解決策は全ての生物を死滅させる以外に無いので、議論の対象にはなりませんが、間違いなく熱と二酸化炭素を排出していることは紛れもない事実である(であれば人口増加も地球温暖化の一因かも・・・)。

話を元に戻します。
では何故このような地球環境に陥ったのかといえば、人間の欲から発した結果であることに間違いはありません。
ちょっとした「便利さ」と「快適さ」の追求がこのような環境を作り出してしまったことに異論はないでしょう。
英国発祥の産業革命以来それまでには考えられなかった生活に便利な道具や機械類に加え多種類の乗り物が出現してきたのです(僅か250年前からのことです)。
ごく簡単な流れで言えば蒸気機関(黒船・汽車)の発明から始まり石油による内燃機関(エンジン)を経て現在は電気が主流となっています。
蒸気機関は水蒸気による力を利用する仕組みですから水を沸騰させなければなりません。
その為に石炭を燃やしていましたし、内燃機関は可燃物である石油を用いて大きな力を生み出す仕組みで共に大量の熱と二酸化炭素を排出し続けてきました。
では電気はと言うとこれが少しややこしいのですが、電気の生産には①ダムを建設し水の落差による力(重力)を利用して直接発電機を作動させ電気を作る水力発電。②火力を利用して電気を造る火力発電(石油や石炭で水を沸騰させてタービンを介し発電機を廻す仕組みだからこれは一種の蒸気機関かな)。③原子力を利用して行う原子力発電(核融合で生じる高熱で水を沸騰させての発電だから仕組みは火力発電と同じでこれも蒸気機関かも)。④太陽光発電(太陽の光と熱を電気に変える仕組み)。⑤風力発電(風の力を利用し巨大な羽を廻して直接発電機を作動させ電気を作る仕組み)。⑥潮流発電(現実には実用化されていないようですが、潮の満ち干で生じる巨大な海流の力を利用して電気を造る)などが考えられていますが、この内で②の石油や石炭を使う火力発電が主として二酸化炭素を大量に排出するという理由で地球温暖化の元凶として槍玉に挙げられているのだけれども、二酸化炭素は発生させないにしても莫大な熱を直接放出しているのは原子力発電も然りである。
 全く熱源を使用しないで発電できるのは①の水力発電と④の太陽光発電に⑤の風力発電である。
⑥の潮流発電も熱源は不要なのだが、干潮・満潮時には海流が起こらず発電が出来ない時間帯が生じるという不具合が災いするのだと言われているのは、交流電気は直流電気と違い蓄えることが出来ないために、実際に使用されている電気量に合わせて発電量を調整することが出来ないからだそうです(航路を塞ぐことに加え漁業補償の問題もあります)。
では④の太陽光発電が一番良いではないかということになるのですが、太陽光発電に使用されている機器に含まれている素材が不要になると、とんでもない産業廃棄物となってしまうと聞き及んでいる。
放射能に匹敵するとまでは言わなくても処理に困っているのが現状のようです(このことを正確に報道している報道機関はないので、これまで太陽光発電設置を煽ってきた政府に阿いているのでしょうか)。
今日聞いたのですが、東京都が一定規模以上の建物建設の際に太陽光発電の設置を義務付ける方向を打ち出したとか・・・一時的には電気はそれで何とかなるかもしれないけれど、後に降りかかってくる廃棄物の処理は東京都内や国内で出来るのかな?。
 また安全と言われてきた③の原子力発電ですが福島の原発事故はまだ記憶に新しいし、米国のスリーマイル島にロシアのチェリノブイリの事故では地域一体が使用不能の土地と化してしまっている(世界中では本当に多くの原発事故を起こしていますが、これも詳しく報道されないのは政府が原発を推進しているからかな)。
そういう意味では原子力発電は二酸化炭素こそ排出しないけれど、大量の熱を放出しますし、一旦事故を起こすと放射能を除去できる能力をまだ人類が持っていないのだから手の施しようがない現状(放射能の影響を受けないところまで逃げるのみ)では、国が推奨するほどの良き発電方法とはとても言えないと思う。

 文が長くなりますので以下次回の更新に致します。





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「酔龍の独り言:その025」

                [ 18歳からの成人 ]

 令和四年四月一日より成人年齢が二十歳から十八歳に引き下げられた。
日本における「成人」の扱いとしての歴史を遡ると、奈良時代には既に「成人」の儀式が行われていて、地域によっては儀式の様式は少し異なっていたようですが、日本におけるその儀式は通称「元服(頭に冠を載せる儀式)」と呼ばれ、年齢は十三歳頃からのようであった。
 「元服」の儀式は江戸時代まで続いていたが、明治時代(明治九年)になってから国は「成人」としての取り決めを年齢で二十歳になった時と定め、それ以降約140年間続いていたけれど、此の度その年齢が引き下げられた。

 成人年齢が引き下がられた理由は、諸外国では成人年齢を十八歳と定めている国が多いからであるとか、政治に関心を持ってもらいたい、民法(様々な契約事やクレジットカード作成が親権者の同意なくして自分の意思で出来るようになる)を学んで欲しいなどと言っているようであるが、今一つ決定的な理由に欠けるような気がしてならない。

 しかし「成人」と言いながら飲酒や喫煙に公営賭博は二十歳になるまで禁止とは一体どういうことなのか。
飲酒・喫煙は健康被害を考慮しての禁止であり、公営賭博はギャンブル依存症を防止するためだと言うのだから「成人」の意味をどのように捉えてよいのやらさっぱり解からない。
選挙権と契約事だけの「成人」で、飲酒・喫煙・賭博に関しては「未成年」ですからねぇ何とも都合のよい「大人」作成劇だと思えてならないが、唯一女子の結婚年齢が十六歳から男子と同じ十八歳に引き上げられたことは納得が出来る。
と言うのも、人は脳が考えたことを体に指令を出して行動しているのだから「成人」として扱う部分は「脳」が「成人」としての資格?を有するほどに成長しているか否かが問題とならなければならないはずである。
果たして現在に於ける幼稚な十八歳の「脳」がその域に達しているのかと言われれば私は「否」である。
 
 自分のことで恐縮だが、二十歳の頃(まだ大学生2年生)を振り返ってみると、何ともお粗末な知識と能力しか持ち合わせてなくて、政治・経済を含めて「社会の仕組み」や「法」に関しては全く無知のままであったことを思い出します。
親に甘え、守られ保護されながら、更に社会にも甘えてきた結果ですから恥ずかしい限りです。
その原因は何かといわれれば「教育」の欠陥であると言う意外にないと言いたいのですが、仮に「教育」が十分であったとしても受け取る側の「子供」の「能力」がまだ理解できる水準に達していないだから「十分な教育そのもの」が行われたとしても無作為に終わることは容易に想像できる。
 つまり人の「脳」は知識を学び理解力を深めながら成長して発達するもので、その栄養素となるものは「ことば」であり「情緒力」だと考えています。
だから「脳」と「体」の成長と社会との係わり合いに「調和」が取れる頃になって始めて「人」は「成人」とみなされるべきであろうが私の持論なので、その年齢は三十代中頃にならなければ難しいように思えるから、「成人」は三十五歳辺りが妥当と思われるけれど、今の社会通念上では余りにも乖離が大き過ぎて現実にはそぐわずただの空論になってしまいます。

再び私事になりますが、平成元年から平成十八年まで私立大学の非常勤講師を務めた時の経験からお伝えすると、二回生(二十歳前後の生徒達)を教えていたけれど年を追うごとに学生の「知識」と「理解力」が低下してきて「ことば」の共有が難しくなって当惑した記憶がある。
私が大学生の時を振り返ってみて恥ずかしいと思う遙か下層の位置に彼らの「意識」があり、まるで中学生か!と思えるほどの感覚であった。
そのことを思い出しながら十八歳の「成人」は果たして妥当なのであろうかの疑問だけが心に澱む。





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「酔龍の独り言:その024」

              [ 銀行・コロナ・ロシア ]

 通信販売で購入した事務用品の支払いをする為に、払い込み用紙を持って郵便局の窓口に出向いた。
釣銭が出ないように払い込み用紙と支払い金額丁度の金額を差し出したところ「払い込みには手数料が必要です」と言われた(以前は小銭貯金をしていたけれど、硬貨が50枚以上になると手数料が必要となったので、出来るだけ釣銭を持ち帰らないようにしている)。
「えっ何にそれ!以前はそのようなことなかったけれど」と言うと「それが・・・今年の1月(と言われたように記憶している)から支払い手数料が掛かるようになったんです。
郵貯銀行の取引口座があれば、それから支払うことが出来ますので、それであれば手数料は掛かりません」と言われたので「何で?」と聞き返すと「国の方針によるキャッシュレス化です」と返事が返ってきた。
僅かな金額の手数料ではあるが、無駄な経費を使うことには罪悪感が伴うので、仕方なくカードを手渡して支払い処理をして貰ったけれど、その処理に随分と時間が掛かっていたので、キャッシュレス化に伴う効果は時間の無駄使いであることを認識しました。
 払い込み票を返してもらった後に、職員に向かって壁に張ってある「すべてはお客さまのために」の文を指差し「こう書いてあるけれど、硬貨の入金で手数料が必要になって、払い込み票でも手数料が必要になるのでは [すべてはお客さまの負担のために ] と書き換えてもらわなくてはねぇ。」と嫌味を言うと「虐めないでください。」との返事が返ってきたので、笑いながらその場を後にした。
 そして、後日確定申告による所得税の追加支払いに出向いたところ、支払い手数料は不要だと言われたので、思わず先日言われたキャッシュレス化は何処に行ったのだろうと思ってしまい、日本国政府は何と都合の良いことをするものだとつくづく感じました。

 キャッシュレス化に伴うことについて付け加えれば、二年後には一万円札と5千円札が新札に切り替わり、旧紙幣との交換時には個人番号の提示が必要で、一定の猶予期間を過ぎれば、今まで使っていた紙幣は使えなくなるらしいとの情報を得ている。
と言うことは、一旦国民のタンス預金を含めた疚しい金や反社会勢力が隠し持っている金を全てあからさまにしようとしている目論み以外にその目的は無かろうとの本質が垣間見える。
しかし、反社会勢力に所属している者にも個人番号は振られているのだろうか?銀行口座を作らさない相手ですからねぇ(これだけは明らかに基本的人権違反だと思っています)。
それとも、前述したように都合の良いところだけはお構いなしの政策となるのだろうか。
 国が本当にキャッシュレス化にしたいのなら新札を発行する必要など有るまい。
キャッシュレス化とは現金を扱わないようにすることですよねぇその方針を出しながら、片や多大な経費を掛けて新札発行ですからねぇ、どうやら国という人格には顔と口が沢山あるように思えてなりません。

 また令和4年4月1日より全ての銀行において、同一銀行間取引であれ、他銀行宛であれ、振り込み金額の如何にかかわらず振り込み手数料が必要となる。
いずれの銀行も年間に数十億円から100億円以上の利益を出しているにも拘らず、まだ広く浅く金を巻き上げようとしている姿勢はどのような贔屓目で見ても納得は出来ない。
日銀がマイナス金利の方針を出しているからとか、多大な経費が掛かるからだとか、超低金利下では集めた金の貸し出し先が無いからなどの言訳をしているようだが、やはり庶民としては言いたい「すべてはお客さまのために」と言いながら実情は「すべてはお客さまの負担のために」ですよねと。

 新型コロナ感染者の劇的減少を見ないままに蔓延防止策が解除された。
早期に経済復興の道筋をつけたい思惑と補償金の膨れによる財政圧迫の歯止めを掛けたいのが本根であろうことは容易に推察できる。
しかし、どのように考えてみてもワクチンに関しては効果が無いように思えて仕方がない。
一回目のワクチンの接種者は国民の85%で2回目が75%であるにも拘らず、その後コロナウイルスが新株に変異したからというだけで、以前のコロナ感染最大感染者数を上回る感染者を生んでいて、大きく減少する気配を見せていない。
 3回目のワクチンは新株に変異したウイルスに効果のある新型のワクチンなのでしょうか?それとも以前のワクチンと同じものでしょうか。
もし、以前のワクチンと同じものなら効くわけがない(時間が経つと効果が薄れるとか言われているようだが、1年足らずで効果が無くなり感染するようなものでは本来ワクチンとは言わないものでしょう)。
まぁ結局アメリカの製薬会社に莫大な国民の税金を支払い、医者とアクリル板製造会社を潤わせただけで終わりそうな気配を感じているコロナ騒動に思えて仕方がありません。

ロシアはまだウクライナへの矛先を収めようとしないまま1ヶ月以上が経過した。
これを見ていると三国志の物語の中にある「曹操の鶏肋」の話と重なって見えます。
益なき戦いを続けているプーチンは西側諸国からの経済封鎖による圧力の中で矛先を収め引き返せば、何故ウクライナに攻め入ったのかと軽蔑されるであろうし、仮にウクライナ全土を占領しても、あれだけの都市機能を破壊した後の復興を誰が行うのか、誰が復興の資金を出すのかを考えると後悔の念が渦巻いていることであろう・・・行くも地獄、引くも地獄とは正にこのこと指していると思う。
尤もプーチンは「三国志」など読んではいないだろうから、歴史から学んでいない愚者と言うことでしょうかね。





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「酔龍の独り言:その023」

                 [ ロシア感 ]
 ロシアがウクライナに攻め込んで二週間以上が経ち世界中が大変な混乱に陥っている。
本当に筆舌につくし難い非道な行為である(と言いながら文にしています)が、思い起こせば大東亜戦争(第二次世界大戦)の折に日本の敗戦が濃厚となった時、日ソ中立(不可侵とも言われている)条約を締結していたにも拘らず、一方的に中立条約を破棄して日本の敗戦が決まると同時に日本に対して宣戦布告を行い、北方領土四島に攻め込み占領した。
 そしてそのまま北海道まで占領の触手を伸ばそうとしたようだが、米国の威嚇に負けて断念した経緯があると、ある歴史書で読んだ記憶がある。
 また日本が敗戦となった後には満州国にも攻め込み多くの日本人を虐殺した上、財産を略奪し婦女子への陵辱は日常的に行われていたと当時満州国から命からがら帰国した多くの引揚者が語っているし、更に逃げ遅れた日本軍将兵や男(その数は数十万人に及ぶ)はシベリア開発の為に抑留させ奴隷に近い扱いで強制労働に就かせ、女は慰安婦として連れ去られたと聞いている(その間に死亡した日本人は四万人を超えていると言われている)。
 この件に関して以前ロシア側は表向き謝罪をしたようであるが、強制的に連行した日本人は戦闘中の「捕虜」であり「抑留者」ではないなどと言葉を巧みにすり替えて正当化を図っている。

 このような過去の経緯から考えて、今回のウクライナ侵攻を見てみると、当時日本へ対して行った行為と殆ど同じように思えてならない。

 地図上で見るとロシアとウクライナの国境の長さは他の隣接国と比較しても長いように見える。
だからウクライナがNATOに加盟すると戦略的見て脅威と感じたのであろうし、自由主義圏の思想がロシア国民に浸透することを恐れたのではないかと思われる。
元々が兄弟に近い従兄弟関係のような間柄の国同士であるから、いつまでも良き緩衝地帯であって欲しいと思っていたはずだから、NATO加盟は裏切り行為のように受け取ったのではなかろうか。

しかし、そのようなことだからと言って自国の都合を押し付けての侵略行為は許されることではない。
今回も「一般市民は殺さない」「軍事施設しか攻撃しない」と公言しながら病院・学校・
住居などを攻撃して多くの市民を殺害しているし、使用禁止の兵器まで使用しているとの報道を見ている(この国との約束事は決して当てしてはならないと肝に銘ずるべきである)。
挙句の果てに原子力発電所を攻撃(一歩狂えば核兵器使用と同等の被害を生む可能性がある)して占拠し、国民の生活基盤である施設をも狙って破壊している。
国民の側からもうこれでは生活できないから「降参する」の声を出させようとしている魂胆は明白であるが、仮にウクライナを占領した後に瓦礫と化した街と国の復興をどのように考えているのだろうか?資金を何処から捻出するのか、まさかウクライナ国民を使って奴隷的強制労働させる気ではあるまいか。

 軍事力から見て子供と大人の差があるほどに圧倒的に有利なロシアがウクライナを攻めあぐねているのはウクライナ側が善戦している証であろうと思われる中、小型の核兵器使用を匂わせたりしながら降伏を催促しているけれど、国際連合軍でも参戦しない限り(参戦したら第三次世界大戦になる可能性大きいので、各国は支援をしても参戦ができないことをプーチンは見越しているのだろう)、何時まで持ち堪えられるかは不明である。
 プーチンもここまで抵抗できるとは思っていなかったのではなかろうか、直ぐに白旗を揚げるだろうと高を括っていたに違いなく思われるが、思いもかけず世界中から非難が集中して、もはや振り上げた拳の落としどころが見つからなくなっている。
この侵略行為を止めることが出来るのは軍部か市民による軍事的政権交代でも起きない限り難しいのかも知れません。





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「酔龍の独り言:その022」

              [ 産地偽装・熊本産アサリ ]
テレビや新聞の報道で知ったのだが、市場に出回っている「熊本産アサリ」と表示されているものの殆どが中国産や朝鮮産であったという(産地偽装となるのでしょう)。
記憶が定かではありませんが、熊本県が年間に出荷しているアサリの総出荷量は二千五百トン近くあるようで、その内で本当の熊本県産アサリは僅か二十数トンであると数字が表示されていた。
またこのような状態は三十年以上に渡って続けられて来たと言うのだから開いた口が塞がらない。
恐らく熊本県漁協の上席の方と思われる方による話であろうことは容易に想像がつくけれど、結果的には日本国内の漁協に拠る組織ぐるみであったことに疑いの余地はない。
 中には他県で輸入されたアサリが熊本県を経由せずに「熊本産アサリ」と表示されて出荷されていると言うのであるから、これには熊本県漁協は腹の虫が治まるまい。
その上、その風評被害で他の魚介類を含めた価格は暴落し、全く売れなくなったと言う。

 何故このようなことが起こるようになったかについては、どうやら根深い問題が複数あるようであるが、第一として取りあげられるのは消費者庁と農水省による不可解な「生鮮魚介類の生産水域名の表示のガイドライン」ではなかろうかと思われる。
 魚介類の原産地は生産水域名(又は養殖地名)を記載することが原則となっているようだが、生産水域名の記載が困難な場合は、例外として生産水域名に代えて水揚げした港名又はその属する都道府県名を記載することができる。となっている。
 前文の中の「生産水域名の記載が困難な場合」とは一体なにを意味するのか?何が根拠となるのか全く解からない。
その上、外国から輸入した魚介類を一定期間日本国内で育てることにより「国産」の表示が可能であるとも聞いている。
日本国内で「国産」が重宝されるには訳があり、中国産や朝鮮産は土壌の汚染に加え水質の汚染が甚だしいことについて、これまでに新聞やテレビなどで、どれほど報道されてきたことかについては今更言う事でもあるまい。
 土壌汚染と水質汚染による生鮮食料品を恐れてのことであることに間違いはなかろうと思っているけれど、汚染されたと思われる国や地域で数ヶ月から数年間育てられた生鮮食料などが僅か数週間程度の国内飼育で、それに含まれている可能性がある人体に悪影響を及ぼすような重金属や化学物質が除去されるとはとても思えないが、仮にそうだと言うのなら、その汚染された物質がこの世から消え失せ、無くなる事はないのだから、日本国内の土壌や海・河川に流れ出て、日本国を汚染し続ける事に繋がるのではないかの疑問が残る。
そして、その流れ出た残留物質は日本国内で生産される生鮮食料品に生育過程で吸収されて再び消費者の口に入る悪循環となりはしないか。

 また、牛肉に関しては「和牛」と「国産牛」の二種類の表示がある。
一般の消費者は共に「日本の牛」であると思って購入していると思いますが、これにも大きな「霞ヶ関偽装?」がある。
恐らく法文に定義されていることからであろう「和牛」とは日本国内で生まれ、日本国内で育てられた牛のことを指し「国産牛」とは海外で生まれた牛でも一定期間日本で過ごしていれば「国産牛」として表示できるそうである(黄色部分:子牛から育てられたとは書いてない)。
 この違いを知っている一般消費者がどれほどいるだろうか?恐らく皆無であろう。

これに加えて「原産国」という表示も然りである。
「原産国 日本」と表示されていれば、日本産であろうと誰もが想像すると思われるが、原材料が外国産(汚染された土壌や海に河川を持つ国を含む)であっても、最終的に加工された場所が日本であれば「原産国 日本」と表示しても良いのだそうだ。
 一体このからくりとも思える表示方法は何なのであろうか?いかにも官僚のやりそうなことだと、もう怒りも湧いてこないが、消費者を馬鹿にしているにも程がある。
法律用語の「和牛」と「国産牛」の違いを理解している一般の消費者がいるとはとても思えない。
 だから、官僚達は無知で馬鹿な国民達と鼻で笑っているのだろうが、一般の消費者が絶対に知らないであろうと思われることを解かっていながら、このような表示を認めていること自体を考えると、本当に官僚達は日本国と日本国民の為に働いているのだろうか?と
思ってしまうのです。

しかし「恥」を知っていたかつての日本人であれば「産地偽装」など決してしなかったであろうと思われるし、官僚が作成した法文がそれを上手く誘導するような内容となっていては本末転倒な話ではないか。





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「酔龍の独り言:その021」

               [ 新型コロナ感染記 ]
 新型コロナに感染していましたので、その顛末をご報告します。
1月14日(金)の朝から何となく体調(腹具合)が思わしくないような感じがしていましたが、余り気にも留めずにそのまま出社して仕事をしていました。
ところが午後になってから、やはりお腹の調子が少し悪いように感じたので「今日は午後から自宅静養するので帰ります」と社員(取締役)に告げてそのまま自宅で睡眠・静養していたところ、夜になって念のためにと思い体温を測ると37.5度であった。
少し熱があるのか・・・と思ったけれど、大して気にも留めず、夕食を取りそのまま就寝した。
 翌朝15日(土)目が覚めると何となくだけれど、いつもと違って少し体調が思わしくないような気がしたけれど、お湯を沸かしてコーヒを淹れて口にしながらテレビをつけ、新聞を手に取って耳と目で朝の最新情報収集に意識を集中させながら体温計を脇に挟んだ。
数分の後にピピッと音が鳴ったので体温計を見ると40度近い熱があった。
「はて?40度近い熱があるのに関節の痛みも無ければ特別にしんどさも感じない・・・これは一体なに?」と思いながら、取敢えず熱があるので寝ておこう・・・とその日は一日中寝て過ごした(その間、目が覚める度に何度か体温を測ってみたが、いずれも37度~38度の微熱であった)。
 16日(日)の朝になって体温測定をしたところ36.5度の平熱となっていたから、
「昨日の高熱は何だったんだ!?」と思いながらも体調が格段に悪くも無く、食欲が無くなっている訳でもないから不思議な思いにかられていたけれど、何となく体調感覚がいつもと少し違うような感じがあったので、用心の為に外出を控えて自宅にて静養していた。
 17日(月)の朝に取締役社員から「体調が悪いので休ませて欲しい」と電話が有ったので急いで身支度を整えて出社したのだが、その日はほんの少し体調が悪いような違和感があったけれど、何かをしていれば感じない程度のことであった。
 18日(火)の朝には再び取締役社員から連絡があり「新型コロナに感染していました。PCR検査で陽性反応が出ました」とのことだったので「十分静養するようにして下さい。家族の方は症状がありますか?」「家族はこれから検査を行う予定です」との遣り取りの後に仕事場に出向いた。
昼前に取引先の部長さんが訪ねてきたので会食を共にしながら、取締役社員がPCR検査で陽性反応が出た事を告げ、私自身が濃厚接触者である事を知らせておいた。
その時の私は熱があるわけでもなく、格段に体調が悪いなどの自覚は全く無かったけれど、
何か普段と少し違って、ほんの少し違和感があるかな?程度のことであったから、特段気に掛けるほどのことは思っていなかったけれど、あれでも・・・と思い、新聞に記載されている広島市の新型コロナ感染相談室(24時間対応と書かれている)に何度も電話をしたけれど、込み合っていて全く繋がらないので諦めた。
 19日(水)になって「でも、若しかしたら・・・の思いが脳裏をかすめて、検査した方が良いかも・・・」と事務所と同じ階にある内科の診療所を尋ねて検査をして貰うことにした。
「実は、社員(取締役)がPCR検査で陽性反応が出たので一応検査を受けようと思って・・・」
と告げると「社員(取締役)さんはうちでワクチンを2回接種済みですよね」と言うので「そうです。ここでしてもらっています」「そうでしたか・・・ではちょっと熱を測りますよ・・・36.4度ですか・・・平熱ですねぇ。息苦しいとか何か症状はありますか?」「いや、特段そのようなことはありません。咳と痰はよく出ますが、普段からタバコを吸っているのでねぇ~まあ何時もよりは少し多いかなと言ったところでしょうか」との問診の後に「取敢えず検査しましょう」と検査器具を取り出して「ここに唾液を入れて下さい。底の窪んだところへ1/3位入れて下さい」と言いながら絵が描いてある紙切れを出して、ばつの悪そうな感じで見せてくれたのだが、何と!そこには梅干やレモンの絵が描いてあったので思わず笑ってしまった。
「検査の結果で陽性反応が出れば真夜中でも必ず連絡しますので、連絡先はここで良いですか」と私の携帯電話の番号が書いてあるところを指差して言うので「間違いありません。では宜しくお願いします」と支払いを済ませて診療所を後にし、事務所に戻って雑務を処理して自宅で静養することにした。
結局その日は診療所からの連絡は無く、連絡が有ったのは翌日の朝であった「川田さん○○です。残念なお知らせですが陽性反応が出ました。こちらから保健所に連絡を入れますので必ず保健所から連絡が来ると思いますから対応して下さい」とのことであった。
やれやれである。振り返ってみても何処で感染したのか全く見当が付かない。
大勢での会食などして無いし(最も飲食店が開いていないので外食など出来るわけもない)、
バス通勤の途中か?事務所ビルのエレベーターの中か、それとも洗面所や便所に行く途中の廊下か?又はコンビニ店か?会社を訪ねてきた保険会社の人か?と考えても思い当たる節が全く無いのである。
しかし既に感染をしているのだから今更どのように考えてみたところで始まらない。
翌日には事務所に出向き玄関扉に「新型コロナ感染予防の為22日まで自宅待機にしています」と連絡先の携帯電話番号を書いて張り紙をしておいた。
取り急ぎ、濃厚接触者と思われる方々に直ぐ連絡を入れて感染していたことを告げ、検査を行うように依頼したところ結果的には誰も感染していなかったので安堵した。
 1月22日と29日には神戸の会社から社員教育の講演を依頼されていたので、直ぐに感染の事実を伝えて延期してもらうことにした。
誠に申し訳ない限りである。
そのようなことで自宅での静養を余儀なくされましたが、保健所からの電話はなく、陽性が判明してから2日後にSMS(ショートメール)が入ってきてURLへ接続して対応するようにとの内容であった。
私の携帯は未だにガラパゴス携帯で、メールアドレスも無ければメモリーカードも無いので、対応が出来ない旨の内容を何度もSMSで返信するも全く返事は無くて、同じ文面が何度も繰り返されてSMSへ入ってくる。
何だ!一斉送信を繰り返してしているだけなのか・・・そもそもスマートホンを国民全員が所持している訳でもなかろうに・・・と不満が募ったがどうしようもない。
二日後にはSMSも入ってこなくなった(保健所も諦めたのであろう)ので、こちらも捨て置いた。
 感染が判明したので感染拡大をするわけに行かないから、自宅に篭もり静養をする中で
困ったのが食料である。
3~4日は昨年末に頂いた歳暮の冷凍食品で食い繋いでいたところ、感染を心配してくれた方々から何度も玄関先に多くの食品が届けられたのは本当に助かった。
咳と痰が何時もより少し多く出る以外は熱も無かったので全くの無症状と言って良いのでしょうか・・・ほんの少し通常時と違って、何処がと言うわけではないような違和感がある気がする程度のことだったので、テレビのBSで過去に放映された古い番組を録画しておき、それを見ながら時間を過ごしていたけれど、兎に角良く寝ていました。
これほど寝られるものか・・・と当の本人がびっくりで、知人からは「休養しろと言うことですよ」と慰めてもらいましたが、少々退屈な日々を過ごしました。
 感染が判明してから十日が経った頃に給与やその他の支払日が来るので、コロナ感染は私的なことだが、私的なことで多くの方に迷惑は掛けられない。
会社に出て、全ての支払いをATMで済ませて、再び診療所を訪ねた。
「もう一度検査をして貰えませんか?」「いや、感染が判明してから10日を過ぎればもう後は感染拡大の予防を心掛けて通常生活をして下さい」と言うである。
「それはそうでしょうが、他の人に感染させない為にも再検査をしたいのですが・・・」
と言っても「だから、もう保健所は手が回らなくて、そうして下さいとの一点張りなんです。心配なら保健所の電話番号をお教えしますからそちらに電話してみて下さい」と電話番号を書いたメモ用紙を渡されたので「いや、何度も広島市の新型コロナ対策相談室に電話を入れましたが全く繋がらなかったのでダメだと思います」と返すと「この電話番号は必ず繋がりますから・・・」と言うので、メモ用紙を貰ってから事務所に戻り玄関扉の張り紙を(1月31日まで自宅待機)に書き換えて帰宅した。
 2月1日(火)になって私も取締役社員も仕事に復帰しまして、空白の十日間を埋める為に話をしながら今後の対応について協議していたところ12:30を過ぎた頃になって扉のノック音がして誰かが訪ねてきた「こんにちは、ちょっといいですか」「はいどうぞ」と言いながら出てみると斜め向かいの内科診療所の院長である。
こちらの方が驚いて「どうされましたか?」と聞く始末である。
「いや、その後川田さん保健所に電話されましたか?」「いいえ、もう感染判明から10日が経とうとしていたので連絡しませんでした。連絡しても同じ事を言われると思ったので・・・」「そうですか△△さん(取締役社員)はどのようでしたか」と聞いてくるも「一通り感染してからの経緯を簡単に説明する」と「そうですか、患者さんで子供さんが感染していたからその扱いをどうしようかと思い、その後の保健所の扱いがどんな様子であったのかを聞こうと思って」と言うのである。
「先ほど話したように、特別に何かを指示された・・・と言う事はありませんでした」「そうですか、いや有難うございました」と言いながら帰って行ったので、二人とも思わず顔を見合わせて「なに!これ、医者が患者を訪ねてきて保健所の対応を聞くなんて考えられない。逆じゃないの」と思わず笑ってしまった。

 こうして新型コロナから脱出できた二人ですが、その後は何事も無く業務を遂行しています。
 しかし、昨年の12月には日本中で感染者が0の日が続いていたのに、この爆発的感染は一体どうしたことか。
アメリカから高額のワクチンを購入して日本人の80%がワクチンを接種済みであったにも拘らず、毎日各都道府県で過去最高の感染者を記録している。
ワクチンは効かなかったと言うこと以外になかろうと思う。
コロナウイルスが新種に変化したから・・・と言うのは言い訳に過ぎないと思う。
結局新型コロナウイルス自体の実態がよく判らないままにワクチン開発を行い、十分な検証がなされないままワクチン接種を始めたと言う事でしょう。
ここまで新型コロナウイルスに振り回されたのでは、もう人間の対応の方が愚かであったことと反省して、視点を換えての対策を考え直す時期であろうと思う。
政治家と役人に加えて日本医師会の方々の頭の中が硬いからねぇ~きっとこのまままの状態が続いて行くのでしょう。





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「双龍物語:第六章・思春期の五」

 今年も年の瀬を迎え何かと慌ただしくされている事と思います。
十二月に竣工建物が五件重なり、思うようにブログの更新が出来ませんでした。
今年最後の更新になりますが、皆様良き年末年始をお迎え下さるようにお祈り申し上げます。  

               「双龍物語」思春期の五

 いよいよ明日は柳井高等学校の入学式の日を控えて、潤は親から預かったお金で通学用の定期券を求めに大畠駅に向かった。
これまでは小中学校の通学は徒歩であったが、明日からは汽車通学である。
何となく少し大人に近づいたような気もして気持ちが昂ぶったりしたものだが、その反面悪童の高校生もいるという話も聞いていたので何となくそのような連中と関わり合わなければよいが・・・と虐めにあった中学生生活を思い出しての不安が心を過っていた。
そして翌日いよいよ初登校の朝となり、駅の直ぐ近くにある我が家に中学校の同級生達が次々に一緒に行こうと誘いにやってきた。
みんなそれぞれ揃いの学生服と校帽を身に纏い布製の手提げ鞄を持って、いざ出陣である。
改札口に立つ駅員に定期券を見せて階段を上り、向かい側にある山陽本線下りのプラットホームに出ると柳井高校と柳井商業高校・柳井学園へ通う同級生達に加え、他の中学校からであろう見知らぬ顔の学生服とセーラー服の集団がそこで汽車を待っていた。
この三校ともそれぞれ制服が違っていたので見知らぬ顔でも何処の高校へ通っているかの判別は直ぐについた。
周囲を見渡すと人の顔とは面白いもので、男では人の良さそうな顔・なにやら病弱げな顔・真面目そうな顔・見るからに悪そうな顔・勉強ができそうな顔・気の弱そうな顔が判別でき、女では美人だと感じる顔・意地の悪そうな顔・何とも言えぬ色気を感じさせる顔・大人しそうな顔・余りにも気の毒だと感じるような顔が一目で判別できたので心に留めておいた。
(しかし、こうして人の顔ことばかりを書いている潤の顔は一体どのように見られていたのかについては、自分で自分の顔の判断は出来ないので、後になるときっとお伝えする機会が来ようというもの、そのときまでお待ち下さい)
通学は汽車に乗って僅か二駅目なので所要時間十数分であったが、車内は殆ど学生ばかりで通学列車とはこのようなものなのかと感じた思い出でがある。
 柳井駅に着いて列車から降り、改札口を抜け一路学校を目指して皆が黙々と歩いて行く集団の中に混じって、通学路を覚えなければ・・・との思いから周囲の町角や特徴のある建物を見渡しながら徒歩十分余りで学校に着いた。
校門では数名の先生と思われる人物が「祝い・入学式」と書かれた看板の傍に立って入学式場である体育館の方向へ誘導案内をしていた。
式場に入ると想像していたより生徒が多いのにびっくりして、一体何名いるのだろう・・と思ったものだが、式場の入り口ではクラス分けがしてある用紙を手渡されたので、自分の名前が書かれているクラスの番号表示の列に並び、同じ中学からの同級生が何名いるのか用紙の中にある名前を探しながら式の開始を待っていたのだが、次々に生徒が入ってくる中で誰に言われたわけでもなく自然と背の低い順に前の方から列が出来上がって行く光景には少し驚かされたが、考えてみれば背の高い人の後ろに立とうものなら前を見ても背の高い人の背中しか見えない羽目になるから自然とそうなるか・・・。(後になって判ったことだが、一クラスに四十数名いて合計十一クラス [ 家政科を含めて ] あったのだから一学年で五百名近くが入学していたことになる)。

 やがて入学式が始まり、式次第に則り来賓の方々や校長・教頭の退屈な祝辞と学年主任からの注意事項が終わり、新入学生徒の中から選ばれた代表が「宣誓」を読み終えて式は終了した。
そして、割り当てられた教室への移動となったが、祝辞はきっと名言に近いものであったであろうと想像するけれども、来賓を含めた方々の話の内容を全くと言っていいほど覚えていない。
話をする方は幾ら慣れているとは言え、それなりに考え抜いた末の内容であろうに・・・何と失礼なことであったと少し反省しているが、考えてみれば高校生に生りたての脳ミソの中は児童のものとそれほど変わるものではない。
と言うのも、日常生活では親に守られ保護されている上に、国語の授業では受験用の学問を教わるばかりで、日本人でありながら、ちゃんとした日本語が話せず、まともな文も作れないのだから、ある程度の人生経験を積んできた大人の言葉など理解が出来るはずもない(決して居直たり、自分の無能さを擁護する訳ではありませんが、残念ながら話の内容を理解できる水準に達していなかったと言うことだと思っています)。
でも、若しかすると本当につまらない内容であったが為に記憶に無いのでは・・・の想いも捨てきれない自分の心があります(何せ、俺は地方の名士であり、この肩書きは凄いだろう・・・と言いたい方々の話ですからねぇ)。

そして、担任の先生に引率されて割り当てられた教室へ向かって皆が移動を始めたので、長い渡り廊下を歩きながら後を付いて行った。
当時、柳井高等学校の校舎は鉄筋コンクリート造三階建ての新しいものと、木造二階建ての古めかしい校舎が百メートルはあったかも知れないほど離れて配置してあり、その双方を渡り廊下が繫でいて、どうやら古い校舎の方へ向かっているようであった。
また渡り廊下の両側には木造平屋の職員室・音楽教室・柔道場・体操教室などが配置されていたが、いずれも戦前からあったと思われるような雰囲気を持った由緒ある?施設であった。
古い校舎に引率されて、担任から「ここが皆さんの教室です」と案内され、教室入り口の上部を見るとそこには室名札が出ていて「1‐9」とあったので、自分は一年生の九組だと理解した。





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「酔龍の独り言:その020」

 どのように考えても新型コロナウイルスが収束している状況は不思議で仕方がない。
医療関係者もその原因は良く解からないと言っているようですが、喜ばしい不可思議な現象が続いています。
一説ではワクチンによる効果ではなかろうか、いや日本人のほぼ全員が几帳面にマスクを着用し、手指の消毒を行っているからであると言われているようだが、ことワクチンの接種に関して言えば日本は他国に比べて出遅れていたし、現在でも2回目を終えた接種率は75%程度だと聞き及んでいるにも拘らず、ここ最近では日本国の半数以上の県が感染者ゼロの状況を呈している。
ワクチン効果だとするなら、他国など早くからワクチン接種を行っていて、接種率も日本より高いにも拘らず感染者は増加しているし、減少していても日本に及ばないのは何故かの疑問が残る。
 コロナ感染は「飛沫感染」「空気感染」「接触感染」などが主な感染経路であると考えられているが、マスクの着用や手指の消毒だけで起こる減少とはとてもではないが考え難い。
世界中を見ても日本だけが特異な現象を呈しているようで、同じ東洋人でありながら、最も日本に近い国の韓国では国民のワクチン接種率が高いにも拘らず感染者は増加している。

 早く収束したその原因は数千年に及ぶ食生活(習慣)が育んで作られてきた体質ではなかろうかと私は思っています(医学知識の無い者が何を言うか!と言われそうだがねぇ)。
肉食を主とした国の感染が未だに収まらず、菜食を主として来た日本人のみが早く収束したこと以外に考えられない。
一時的には感染が拡大したけれども、それは欧米の食生活が大東亜戦争後に日本に普及し始めて現在に至っているからであって、初期の段階では感染拡大を呈したけれど、日本人の持つ深いところの体質をコロナウイルスが好きになれなかったのではないかと考えていますが、 まぁこれはただの戯言と聞き流して下さい。 

しかし、振り返れば菅前総理はとても気の毒である。
もう少し総理の椅子にしがみ付いていれば、コロナ感染の数は激減したのだから、その成果?を喧伝することが出来て、困ったような顔をしなくても済んだのではなかろうか。
その反面、棚から落ちてきたボタ餅を食べることが出来たのは岸田現総理である。
先の衆議院選挙では予想に反して単独過半数を確保して自信満々といったところだろうが、こと広島での評判はすこぶる悪い。
その理由は忘れもしない世間を騒がせた河井案里前議員に関する選挙の顚末による。
当時の選挙に於いて広島には古参の議員(名前は書きません)が立候補を表明していたにも拘らず河井案里が割って名乗りを上げた。
広島の自民党県連は票が割れて共倒れになるのではないかと心配して、蜂の巣を突いた様な騒ぎとなって何とか調整を図ろうとしている中で河井案里立候補の件を岸田議員に頼み込んだところ「わしに任せ!総理と話をつけてくる」と安部元総理の下に行ったそうだが、安部元総理から「君、そんな事を言うようだったら次(総理)は無いよ」と言われ、すごすごと引き下がって来たのだと言われているのです。
見た目だけは菅元総理より見栄えは良さそう(菅さんごめんね)だが、この経緯から推し測ると中身(人としての質)は如何なものかと思ってしまう。
いくら常に総理の鞄を持ちのイエスマンであった案里の夫から甘言を持って頼まれたとは言え、自民党では永年功績があった人物を差し置いての選挙資金の額などを考えると、例え総理が嫌いな相手であったとしても、それとこれとは別な次元で捉えなければならないことと思うが、権力を手に収めると思い上がりが一層強くなるものなのでしょうかねぇ。
そして、選挙違反と多額の選挙資金提供で大問題を起して河井夫婦共に議員辞職となって今では元の選挙区を歩けないほどに評判を落としてしまった。
全て世間を舐めて己の欲が引き起こした結果であろうと言う以外にないのだが、その陰の張本人は未だに花見の宴も森蕎麦と加計蕎麦事件の件もうやむやにしたままで、明治維新の際に大役を成し遂げた長州人の姿勢とはとても思えないので、ただゝ残念でならない。
とは言いながら、戊辰戦争に於いては薩摩・長州が会津を攻める際に起こした非道なる強奪・強姦・殺戮(金目の物は全て奪い尽くし、婦女子は老婆を除いて処女は一人もいないと言われた)を起こしていて、新政府となった後も井上馨は民間の尾去沢銅山を権力で略奪するなどの悪行を重ねている(共に歴史教科書には記載はありません)ので、先ほどの長州人と言ったのは取り消し、前文の長州であれば花見の宴や森・加計蕎麦事件など人が一人亡くなっているのに・・と思えども、気にもされないことなのであろうか。

 私は選挙に関して言えば支援は好きではないけれど(数年前に亡くなった元山口県知事・山本繁太郎氏の支援を最後に止めようと思っていた)、今回の衆議院選挙では柳井高等学校同級生の息子が立候補したので進んで支援を引き受けた。
奇しくも元河井案里議員の選挙区なので、さて自民党に対する風当たりが強いからどうしたものか・・・と思案している中、暫くすると中国ブロックの比例代表での出馬となった報道を聞いて安堵し、それなら幾らでも票を集められる自信があるから仕事を半分に減らして尽力した。
しかし、初めての立候補だから比例代表では一番下位となるのでは・・・の心配を他所に比例一位での報道があったために安堵して、本人を呼び10名ほど集めて「叱咤の会」と称してこれからの議員活動に於いて真(誠)の国民の声を聞く会を開いた。
その一週間後に見事当選したので、本人にメールで次のような文章を送っておいた(原文のまま)。
林ちゃんへ当選おめでとう。
比例区1番目だから100%当選だったけれど、昨日の選挙速報と今日の新聞の写真を見て嬉しくなりました。
後は、今まで以上に「先生!先生!」と言われるでしょうが「驕ることなく」先輩議員達に「諂うことなく」国民の代表として「国」と「国民」の為に力を注いで下さい。
それから千代田町に行ったら「ヤマオー事務機の社長・大山和典」さんが訪ねて行くと思います。
お母さんの淑子さんと柳井高校同級生でとても親しい間柄です。
今回の当選をとても喜んでいて、喜びのメールが入ってきました。

それでは、今後のご活躍を期待しています。



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「双龍物語:第六章・思春期の四」

 この頃には中学三年生になっていた潤は志望校を県立柳井高等学校普通科に的を絞り高校受験を控えていたから、それなりに気ぜわしい日々を送っていた。
勉強(学問)が好きでなかった潤の成績は同学年生徒百八十名中十五番前後であったように記憶しているが(定かではない)、担任の先生は親に「今のままでは柳高(りゅうこう・柳井高等学校の略称)の合格は難しいと思われるので、もう少し頑張ってもらわないと・・・」と話をしていたようなので、親からはもっと勉強しろとハッパを掛けられるのだが、この中学校における過去の記録では大体三十名程度が柳井高校に合格しているようなので合格が難しいと言うことはなかろうと高を括りながらも不安を払拭できるほどの自信もなかった。
それなりに勉強をしながら、いよいよ受験の時期が迫って来た頃になると親が「潤坊どこか滑り止めを受けちょかんでええんか?」と聞いてきたので「どうしようかのぉ~(柳井高校が)通らんとは思うちょらんのじゃが、一応高水(南岩国にある私立・高水高等学校のこと)を受けちょこうか・・・」と返事をして、そこを受験したように思うのだが、はっきりした記憶は無い。
 柳井・岩国地区では進学校として県立柳井高等学校と岩国高等学校が肩を並べていて、県立の商業高等学校や工業高等学校を除けば、その次が高水高等学校と続き、他は柳井学園高等学校と徳山地区にある桜ヶ丘高等学校があった(共に私学である)。
潤自身は学校に優劣をつけていることに少し抵抗があったけれども、世間の共通認識として浸透していたようで、確かに眉をひそめるような生徒が多くいたことも事実であった(今は偏差値と言う尺度で優劣を判断しているようですが、私は未だに偏差値の意味が良く判っていません)。
 そのようなことがありながら、潤は柳井高等学校を受験して合格した。
親や親戚・近所の人達も喜んでくれたので、取り敢えず一安心と思っていたところへ誠が「潤坊お前蓄膿症(慢性副鼻腔炎)の手術をしとけ。蓄膿症だと勉強の集中力を欠くと言うからのう。
春休みの間に手術をしといたらええんじゃないか、岩国にええ医者がおる言うて聞いちょるけぇそこで手術せえ」と言い出した。
子供に選択肢は与えられていないのだから、仕方なく納得したところ数日後には岩国市にある耳鼻咽喉科の診療所に連れて行かれて診察を受け、その日に手術の日取りまで決められてしまった。
診察を受けた時に医師が「膿の色が白いので通常より悪性と思われるから、悪いところの骨を一部削り取るような手術になりますが、局所麻酔をかけるのでそれほど痛くはないでしょう」と言うのだが、骨を削ると言うのだから痛くないことはなかろう・・・と思ったけれど今更どうしようもない。
手術前日の夕刻から入院させられ診療所二階にある病室で術前術後の注意事項など一通りの説明を受けたが、まだ中学三年生の潤にはよくわからなかった。
その日は不安ながらも良く眠れたように記憶しているけれど、翌朝早くに若い看護婦見習いが病室にやって来て「今から手術を行いますので一階に下りて下さい」と呼びに来た。
時間を考えると一般診察の前に手術を行う予定を組んでいたようで、もうまな板の上の鯉状態である。
手術室に案内され、手術台に寝かされて鼻と口の部分に穴が開いている白い布を顔に掛けられてから手術開始となった。
医師からは「麻酔を打つからそのうち眠くなるよ」と言われ、看護婦から「口を開けて下さい。今から麻酔しますね」と言われたので、口を大きく開けると上顎から鼻の方へ向けてかなり太い注射針を差し込まれたので、それは相当に痛かったけれど上顎の骨を突き抜けるほどの注射針を何箇所も差し込まれる内に麻酔が効いてきたのだろう、段々と痛みを感じなくなった頃に上唇と歯茎の間を切開し、上唇を引っ張るようにして大きい手術用の開口部を作ったようであった。
その後暫くは炎症を起こしている副鼻腔内の膿を取り除き、消毒している様子が伺われたけれど、突然ノミを叩くような音と共に激痛が鼻の奥に走った(炎症を起こしている部分の骨にノミを当てハンマーで叩きながら削っている)。
最初は我慢が出来たが繰り返し々削られると、もう我慢の限界を超えて思わず「痛~い!」と削られる度に何度も悲鳴を上げた。
余りにも潤が喚くので医者が「少し静かにせぇ、手術にならん」と小言を言ったが「痛いもんは痛いんじゃ!」と潤が叫ぶと「もう一寸じゃけぇ我慢せぇ」と相手にもしてもらえず手術は潤の叫び声と共に続行され「よし、これで終わりだ」の声で切開した口の中を縫合して一時間程の手術は終了した。
看護婦に体を支えられながら二階の病室に戻りベッドで横になったが顔の中がズキズキと痛んで中々寝付けなかった(それはそうだろう、朝起きて直ぐの出来事である眠れるわけはない)。
それでも痛みを我慢しながら夜には眠ってしまったが、朝起きて洗面所で鏡を見ると顔全体が倍近くに腫上がっていて、とても自分の顔とは思えないほどになっていた。
病室へ戻ったところへ看護婦が朝食を持ってきてくれ「口の中を切っているから二,三日は流動食ですよ」と言いながら重湯に近いおかゆを机の上に置き「ゆっくり食べて下さいね」と言いながら病室を出る間際に「昨日は痛かったんじゃぁ、大分喚いていたからね」と言うので「痛いなんてもんじゃなかった。本当に痛かった」と不自由な口でモゴモゴ言うと「まあ骨を削るんじゃけぇ痛かったんじゃろうねぇ~、でも直ぐに治るから」と言って病室の扉を閉めた。
術後の診察では経過は良好だと言われ、痛みは三日ほどで治まって食事も普通食となったけれど、今度は退屈の虫が騒ぎ始めて、本を読んだりしながら時間をつぶしていたのだが、外出を禁止されているので、やはり時間を持て余していた(折角鼻の中がきれいになったのだから、外に出て汚れた空気の埃などで菌を貰うと又再発しかねないと外出禁止の釘を刺されていた)。
診療所の傍にはドブ川よりは少しきれいで小鮒が泳いでいる水路があったから、退屈しのぎにこの辺りを散策すれば気も紛れるのに・・・と思えたが断念せざるを得なかった。
時間を持て余しながらの入院生活もあと数日となった頃に看護学校に通っている看護婦見習いと看護婦さんが「潤ちゃん(この頃には名前で呼んでもらえるほど親しくなっていた)今度の土曜日の午後岩国城へ行ったことがないんなら一緒に行く?」と誘ってくれたから二言返事で「うん行く行く連れてって」と言ったのだが誘ってくれた看護婦の方が「先生から外出はダメだと言われているからどうかなぁ~」と言いながらも「もう退院が真近だから大丈夫か・・・じゃぁ行こう」となって、土曜日の午後診療所の玄関扉を閉めた後に初めて岩国城への細い登山道を歩いて登った(ロープウエーもあるのだが、出来るだけ人との接触を避けようと徒歩登山となったのである)。
そこからは瀬戸内海と岩国市内が一望でき、米軍岩国基地の中までも手に取るように見える見晴らしの良い場所だったから、歩いて登ってきた甲斐があったというものである。
そして城の中に入って展示してある刀剣や火縄銃と歴史的な遺物を見ながら初めての岩国城見学を終え、帰り道も登山道を歩いて下り、平場にある吉川公園を散策して帰途に着いた。
翌日は日曜日だから診察はないし、何もすることが無いので退屈であるが、月曜日は退院の日なので待ち遠しいばかりの一日となった。
待ちに待った月曜日になって朝一番の診察を受け、いよいよ退院となったが、支払いについては何も言われなかったので、手術代と入院・診療費用は誠が会社の帰りに支払う予定になっていたのであろうと思われる。
看護婦さん達にお礼を言った後、診療所を後にして岩国駅まで徒歩で向かい、国鉄山陽本線下り線に乗り大畠に向けての家路に着いた。
と言う事で、中学校の卒業式には出席できなかったけれど、家に帰ると同級生が卒業証書と記念品を家に届けてくれていた。

 退院をしてから早々に柳井市にある学校の指定店に行き、制服と校章のついた制帽を買って貰ったのが何だか嬉しくて、まだ正式には高校生ではないのだけれど外出する時には制帽を被って出かけたものである(少し誇らしい気持ちがそうさせたのであろう・・・可愛いものである)。
高校の入学式までにはまだ少し日にちがあったので、やっと志望校に合格できた嬉しさと何とも言えないような安堵感を感じながら、これから始まる高校生活の不安と希望が入り混じった複雑な心境の中、仲の良かった同級生達とよく集まっては下らない話をしていた。



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