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建築家 潤 の『独断と偏見』

「窮屈になった日本~その101」:調和の取れた社会へ  その56

 1月16日に取り敢えず引越しを終え、十数箱のダンボールに詰めた生活用品を取り出して整理収納を終えるまでに2週間程度かかりましたが、何とか通常生活が出来るまでに持ってゆくことが出来ました。
過ぎてしまえば・・・のことになりますが、この年になって、引越しは気力と体力が必要なのだとつくづく思い知らされました。
前回の引越しは60歳の時だったのですが、今回ほどの苦痛?を感じた記憶がありませんから、十年の歳月が体の衰えに加え、気力を削いできていたのだろうと感じた次第です。

 さて、このひと月の間で世間を騒がせた件を先に考えますと、まず一つが千葉県や東京都で防潮堤扉などに描かれた「ねずみ絵の落書き」についてです。
どうやら「バンクシー」と言う世界的に有名で正体不明の画家が描いたのでは・・・と言われながら真偽のほどは定かではないという状況下、扉を外して保管しているとの報道を耳にした。
この人物は以前に作品がオークションで高額落札された時に自動シュレッダーで絵の半分を裁断する仕掛けをしていた人物だということで一気にその映像が世界中に流れ一躍時の人となった経緯があり、世界中を歩き回り壁等に落書きをしているようですから、とても悪戯好きな人物であろうとの想像がつく。
ここで、何に故に行政は扉を外して保管したのだろうとの疑問が湧いてくる。
バンクシーの作品なら高額で売れる?から、世間が騒ぐ種になりそうだからその防止のため?でしょうかねぇ、でも移設費用は税金ですよね。
これがバンクシーを真似て書いた絵の上手い者のいたずらだったらどうする?行政なら誰が描いていようが、落書きは落書きだから消すべきであろう(当然職員の手で)。
如何に著名人が描いたものであっても公共施設に描いたものは落書きであり、著名人が旅館や飲食店を訪れた時などに店主の要望を受けて描かれたものとは訳が違う。
これが古刹の壁や塀に描かれたものであったらどのように扱かっただろうか?同じ外国人観光客が書いた、いたずら書きは「落書き」だが、著名人が描いたものは「芸術的」扱いとなり、許されるのかねぇ、どちらも同じ軽犯罪ですけど。
この風潮こそが今の社会を病ました病巣の部分でもあると思えてならず、著名人を持て囃しすぎで、何をしても許され、賞賛されるような偏った意識を造り出している元凶は報道者にあるのではなかろうか。
「騒ぐ」ことは多くの人の興味対象であることは理解できるが、本質の部分を捉え、見極めてから「騒ぐ」材料を提供するべきで、報道者は「質を見極めた」後でなければ世間に公表するべきではないと思うがねぇ、節操が無く薄っぺらな正義感や人道主義を大上段に振りかざし、報道の自由を盾に世間を混乱させるようでは報道者魂を疑いたくなる。
 続いては誰もが「またか・・・」と思ってしまう厚労省の行った統計詐欺である。
今も盛んに野党が追及していて、厚労大臣の資質を問うだとか、アベノミクスへの忖度だとか、結局のところ総理や大臣・官僚への個人攻撃ばかりを行っているから何が目的なのか訳が解からない。
大臣や総理の首を取ってみたところで、別の首に代わるだけで、同じことの繰り返しだ。
そんなこと解かっているはずなのに、揚げ足取り発言の予算委員会は野党に於いて長年に渡り脈々と受け継がれて、茶番劇として聞いているに於いては面白いが、国を想い、国民のことを想うことが本来の仕事のはずだから的外れも甚だしい。
それに、官僚や役人の不誠実な業務実態を一々大臣の責任にされては大臣も堪ったものではなかろう。
それに加え明石市の市長発言が社会問題にされ、気の毒としか言いようがありません。
これも本質に於いては同じで、役人の不誠実な仕事実態を「叱った」だけであり「叱った内容」には少し問題があったにせよ、それほどまでに怒りがこみ上げてくる役人の業務実態の方を何故大きく責めないのだろうか。
市より用地買収の纏めを依頼されながら、何年も経過しているにも係らず相手方と価格交渉すらしていなかった業務実態は問題視された市長発言より罪が大きいと私は考える。
税金で禄を食みながら、何ら仕事をしていない実態を野放しに出来る役所体質こそが、この社会を窮屈にし、民間を苛める体質の元凶であると言っても過言ではない。
今こそ官僚や役人に於ける公務員法を抜本改正する時期ではなかろうか。
民間では罰が課される内容でも、役人や官僚にはお咎めなしのような甘い体質を厳しく糾弾し免職に出来るような法が必要ではないかと考える。
何か官僚が問題を起す度に聞いてきた総理や大臣の発言は「信頼の回復をすることが急務であり・・・」が常套文句であるが、今だ嘗て信頼が回復されたことは一度も無いのではなかろうか。
だから、心から国を想い国民のことを想うと言うのなら、野党の皆さん公務員法の改正に手をつけなさいよ、そうしなければいつまでもいつまでも今までと同じ予算委員会を繰り返すようになりますよ。
問題の本質は公務員や官僚の不誠実な業務からでしょう、それに端を発した表面事象ばかりを追いかけていたのでは本末転倒、めくらましから抜け出られませんよ。
考えてごらんよ、優秀で聖人君主のような人物が国会議員になろうとするはずも無く、今までどれだけのお粗末な議員を見てきたことか、という事は追求している議員の資質も似たり寄ったりであろう事は容易に想像がつくので、私の提言が叶うことなどないでしょうね。
また報道によると、戦後最大の景気回復が続いているということのようですが、一般の国民には全くその実感が無い・・・と多くの声を取り上げ、市民が節約に節約を重ねて遣り繰りしている話も沢山映像で流れていたので、これも統計詐欺の一種でしょうか。
大企業と役所のみの調査に基づいた調査結果なら頷けなくもないが、何せ(好景気である)根拠を提示しないでの結果発表ですからねぇ、どのような発表だって出来るんですよ。

 では本題の「車は既に時代遅れ」について書きます。
本気で書けば、とても長い文になりそうなので、要点だけ述べてみます。
今テレビの宣伝で流されている映像には食品・衣類・携帯電話・薬・化粧品・住宅・車などがありますが、食品を除けば、依然として車の宣伝は多いと感じる。
十年前あたりから「若者の車離れ」が言われているけれど、若者はある意味時代の先駆者であって、時代の流れを察知するのに敏感であるのかも知れない。
車の便利さを否定するつもりは無いが、既に自家用車に限っては時代遅れと言ってもよい。
戦後好景気の波に乗って3C(車・カラーテレビ・クーラー)を手に収めることが希望であった時代もありました。
当時は自家用車を持つことが憧れで、道路には車も信号機も少なくて、確かに便利さを十分に享受できた時代であったと思う。
その後は車の所有が急激に増え続け、街中は車だらけとなってしまい、運転しながら車の多さを嘆き、不平不満を口にするが、自分が乗っている車も渋滞を引き起こしている車であることを忘れてしまうほど自己中心的な思考に支配されるようになっている。
勿論信号機の多さは昔に比べると何倍いや十倍以上に増えているのではないかと思えるほどの多さであるから、街中において信号機に捉まらずに3分走れる道路など今はなかろう。
つまり、自家用車はもう便利ではなくなってきた乗り物なのですよ。
欲しいものはインターネットや通販で申し込めば、宅配便が自宅の玄関まで届けてくれるので、車を使い遠くまで買い物に行く必要がなくなってきたから、宅配便は急激な伸びを見せた。
アメリカや中国のような広大な国土を有するなら、まだ自家用車の利用価値は大きいと思えなくもないが、車の走行は道路と言う平面上を交差する仕組みだから、数が増えてくれば便利さには必ず限界が来る それが今である。
近年ドローンと言う(まだ乗り物にはなっていないが)機械が急激に普及し始めてきた。
ある意味無限の高さと広がりの空間を行き来できる改良小型ヘリコプターでしょうかね。
現在軽量のものなら運ぶ事が出来るのだから、何れは重いものまで運ぶ事が出来るようになるまでにはそれほどの時間は掛るまい。
ドローンタクシー・ドローンバスは遠い未来のことではなくなっているのではないでしょうか。
飛行機とは違って空中静止が出きる・ヘリと違い大騒音を出さないなど利点も多く考えられ、製作費用や交通整備などまだ課題も多かろうと思うけれど、必ずその日はやってくると信じて止まない。





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「窮屈になった日本~その100」:調和の取れた社会へ  その55

 明けましておめでとうございます。
本年も拙い文ですが、書き続けようと思っていますので宜しくお願いいたします。

 さて、昨年のことになりますが12月21日朝、東京八王子市在住の妹のところに身を寄せ、介護を受けていた母親が95歳で現世を離れました。
突然発生する相続や田舎にある家屋の電気・ガス・水道・造園業者・NHKなどの廃止や変更手続きの対応に加え、相続に関する必要書類の作成を司法書士に依頼し、税理士にも相談しなければならず、慌ただしい年末でした。
ただ相続については生前に「遺言公正証書」を作成し、憂いの無いようにしておいたので、
揉め事はないのだけれど、多くの書類と手続きには悩まされます。
それに12月14日突然の腹痛(20代の頃よりある持病のようなもので、数ヶ月に1・2度、腸閉塞のような激痛が就寝時に起こり、大体小一時間程度で痛みは治まるのだけれども、今回は軽い痛みが一時間おきに続き診療所で診察を受けた)で、その診療所で処方された薬を飲んで二時間が経過した頃に大量下血が始まったので、痛みに加え下血とくれば、これはただ事ではない。
下血をビニール袋に取って再度診療所を尋ねて状況を説明し、内視鏡による腸内検査が直ぐにできる医院の紹介をして貰い受診し、検査をしてもらったところ、大腸内はただれ、おびただしい出血で哀れな姿を呈していた。
病名は「上虚血性腸炎」ということであったが、薬による出血ではないかと疑っている。
この数十年間同じ様な激痛を何十回となく経験しているけれども下血は初めてで、この痛みで診療所を尋ねたこともなく、薬も飲んだことがないからだ。
そんなこともあり、面倒なことが重なるものだ・・・と思っていたのだが、実はまだもう一つ同時に面倒な引越しを抱えていて、この16日に住まいの引越しをします。
昨年の4月に新築分譲マンションの購入契約を済ませていて、この年末頃になって売買の決済や引渡し・入居手続き等など本当に面倒臭いことが重なってしまいました。
引越し先は広島市でも同じ中区なのですが、住まいから会社までの距離は現在が徒歩5分のところなのに、引越しすれば徒歩25分(実際に歩いてみて時間計測してみました)となるので、少し気が滅入っています。
 ここで、建築の設計者が何故分譲マンション?と自問自答したくなるような行為をしてしまったか・・・については、諸説があり詳しいことは割愛させてもらいますが、広島市の中心部に一軒家の自宅を構えることとなれば、ゆうに億を越える金額を必要とするから無理の限度をはるか超えてしまう。
私は若い頃より土地や家など欲しいと思ったことは一度たりとも無いのだが、年を取ってくると若い時とは違って様々ことを一つ一つよく考え、それ相応の答えを出しておかなければならない気持ちが自然と湧いてくるようになった。
それは、死期が遠くにあるものではなく、現実のものとして認識しなければならなくなってきたと言う事以外にない。
しかし、いつかは訪れる死の導きの日が特定できない以上、日々衰えてゆく体の機能と体力で如何にこれからの生活を維持してゆくのかを考えると、気は滅入るが避けては通れず、団塊の世代が今抱える共通の面倒臭い通過点であろう。
田舎には私一人が住むには広すぎる大きな家がありますが、現在の環境では「車」が無くては生活が成り立たないほど近隣には店舗がない(今日本の田舎は殆どこの状況下にある)。
今はまだ車の運手は出来るので、今なら田舎に住むことは可能だ、しかしいくらインターネットが使えるからといっても田舎に戻れば仕事の関係の成立が難しくなるから、今その選択肢は考えられないし、何れそう遠くない日に車の運転が困難となる日も来よう・・・。
そう考えると、年を取って徒歩圏内で自活できる場所(生活必需品の調達・医療など)を求めようとすれば、やはり街中のマンションということになるでしょうかねぇ。
それと、借家で死ねば大家に迷惑が掛かる(独り者だから死んだ後の発見はいつになるやら・・・)ことなどを思えば、苦渋の選択であったことをお伝えしたい。
という事で、年末にブログ更新が出来なかった言い訳と、私がブログの原稿を書き上げても私自身の力(能力)ではインターネット上のブログに掲載する術がないので、仕事始めの日まで待って社員の力を借りなければ掲載できない実態を暴露しまして納めます。

という事で、重ねて本年も宜しくお願い致します。


急遽言い訳のブログに変更しましたが、次回は間違いなく時代遅れの産物「車」について書こうと思っています。







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「窮屈になった日本~その99」:調和の取れた社会へ  その54

 依頼が重なりそうなので、今手懸けている物件の図面を急いで描き上げねば・・と思っていたところ、案の定スポンサー広告を貼り付けられました。
今から書きます。
 久し振りに「養老猛」氏の著書を読み、感動感激の想いに包まれながら、我が身の不勉強を恥じ、勉学を積み上げてきた方と、いい加減な人生をやってきた差は歴然としたものがあるものだと、今回もつくづく思い知らされました。
氏の表現は魔球表現となっていて、普通に読み流すと何だか意味が良く判らないと言う人も多いようですが、本質はど真ん中のストライクなのに一見暴投に近いような表現をするものだから、本質が見え難くなり、はぐらかされた様に感じるのでしょうか。
 しかし、政治家や官僚などの批判は魔球的表現で見事に本質を突いているのに、文字を目で追っているだけでは、批判文に読めないところが凄いところなのでしょう。
私など単純馬鹿で、直球しか投げられないから、彼の書いた文を読むと落ち込んでしまいます。
 まぁ東大卒と工大卒(広島ではこう言うと・広島工業大学を指します)の差は僅か漢字で一文字、平仮名でも一文字しか違わないのに随分と差があるものだと、更に落ち込み溜息が出ます。
尤も生れ落ちた時の能力と弛まぬ努力の結果が現れていると言うことだと思いますが、仮に氏が工大卒(物足らなく思われるはずですが)であったとしても現状と代わらぬ活躍をしているであろうことは容易に想像できるし、私が東大卒(入学すら叶わないことです)であったとしても、やはり現状は変わらなかったでしょう。
でもこうして多くの方にその思考と表現を示していただけることは有難い事で、現代に生まれてよかったと感じる次第です。

 さて、ゴーンと頭を叩かれた日産の最高責任者ですが、就任当時から経営手腕を買われて、2兆円の負債を乗り越え、黒字会社に立て直した功績は見事だと、経済界での評価が高かったようですが「一将功なりて万骨枯る」の諺にもあるように、協力業者(俗に下請け業者)を泣かし、切捨て、惨い仕打ちを行って来た結果であることは容易に想像がつく。
血も涙もない仕打ちが経営で出来るのなら、別にゴーンでなくても誰でも出来る。
日本には古くから商売の原則の部分である「三方良し」がある(今は廃れてしまったかな)。
「店良し」「客良し」「世間良し」で、商売を繁栄・継続させる秘訣のような3文であるが、ここに「社長良し」の言葉は無い。
 戦後日本経済が発展し、経済大国とまで言われてきた頃までは何とかこの3文を掲げていた経営者がいた事であろうと想像しているが、ことここに至って経済が行き詰まり、でも利益を上げなければ・・・と大手企業は「自分だけ良し」を決め込んで、協力業者を苛め、利益の追求を行っている。
でも、誰の為に?利益を出さなければならないのか解かっているのでしょうかね。
彼らの答えは一様に「株主のため」と言うのでしょうし、学校でも社会に出てからもそう教え込まれてきて、ある意味洗脳されているからです。
ここに経済が行き詰まった原因があることに気付いているサラリーマン経営者はまずいないであろう。
金が金を生む社会構造など基本的に間違った社会構成で、これは一昔前に欧米がやっていた奴隷制度と何ら変わりはなく「主人だけ良し」の価値観であるからこのような状態が長く続くわけがない。
 今の法の下で違反せずに経営が出来るのは「役所」と「大企業」だけで、そこには「三方良し」はなく、「自分良し」があるだけである。
さてこれからどのような社会が出現するのか何とも不気味な気がしないでもない。
次回は時代遅れの産物「車」についてにしてみようと思っています。







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「窮屈になった日本~その98」:調和の取れた社会へ  その53

 今巷の話題で賑やかしいものと言えば、ハローウインと野球の日本シリーズでしょうか。
それと、陸上で日本新記録を出した選手に支払われる報奨金がなんと!1億円だって。
更に消費税10%と言ったところでしょうか。

 まずハローウインについてですが、31日を待たずして、早くも数日前から東京渋谷の交差点では仮装した輩が騒ぎ始めているとか・・・の報道を聞いて、日本人は本当に心が希薄になったものだと思わざるを得ない気持ちになってしまいました。
31日当日は機動隊まで導入して渋谷の交差点を警備するようで、また多くの税金が機動隊隊員の懐に転がり込むことになるので、財源難の折、少しでも減らせないものかねぇ~。
しかし、そのようなことは別にどうでもよいのですが、神道・仏教が大半を占める日本国で、現在はキリスト教徒が行っているよく解からない祭り(異教徒ケルト人による起源の祭り)にハローウインの意味も知らず参加して騒ぐ日本人の何と多いことか!「チコちゃんに叱られます」よ。
野球の熱狂的信奉者とは中身の部分では少し違いはあるけれど「集まって騒ぐ」事に関して同じである(きっと騒ぐ本質の部分や理由は何でもよいのでしょう)。
欲求不満の捌け口なのでしょうか?それとも集団の中に混じっての擬似一体感で孤独を紛らわす自己欺瞞なのか、己の能力でもって社会の中で脚光を浴びることが出来ないから、兎に角、目立つ行動をする欲求に駆られるのか(それも集団でなければ行動しないこと)については心理学者でない私には詳しく分析する力は無いが、はっきり言って異様であり、異状に感じる。
自分だけが楽しめれば他人にかける迷惑も集団の中にいるから薄れるのであろう、車両を倒してその上に乗って騒いだり、飲食物の残骸を路上に放置したりで、まるで暴徒と化している連中が中にいる事はとても残念なことではあるが、これが現実の日本だ。
 己の人生を切り開き、生き抜いて行くには「心の中での価値観の構築」が欠かせないのに、それは放っておいて、目先の欲と楽なこと楽しいことへのみ心を向かわせていれば、「価値観の構築」など出来ようはずもない。
でも、社会全体が金儲けの為に「(不幸に繋がる)スマートホン」や「ゲーム」を売り「簡単借入金融」を世に蔓延させてその手助けまでして「日本の若者の心」を育てなくしたのだから、この様な現象は自然に起きることなのかもしれませんし、悪いことに政府や霞ヶ関がその後押しをしている感すらある。
そう言う私も若い頃は同じようなものであったかもしれませんが、集団で事を起す、集団の中に混じって行動する(何らかの行事などは除きます)ことはしなかった。
何故なら「恥ずかしい」と言う意識があったからに他なりません。
何が恥ずかしいかって?その部分が「心の中での価値観の構築」だとおもっています。

 陸上の高々日本新記録(失礼かな)で報奨金1億円とはふざけた話であるし、報奨金は政府から支給された振興金で賄われていると思うので、国民を馬鹿にした金額となってはいないだろうか。
学校を出て社会で苦労を重ね40年余り働いても1億円を一度に手にできる機会はまず当選しない宝くじに当選する以外ない。
日本新記録を馬鹿にするつもりもなく、揶揄したいわけでもなく、ただ報奨金の額が余りかけ離れた金額となっていないかと思うだけです。
近年スポーツ選手の懸賞金や賞金・年俸が桁違いに高額となっていることに警鐘を鳴らしておきたいのです。
中には「感動した」「勇気を貰った」などの言葉をよく聞きますが、「感動した」「勇気を貰った」後、ご自分の中に何が芽生え、貰った勇気で何をするつもりなのか、何をしたのかの話を聞いたことがないから、一時の快楽に近い気分を味わっただけで終わっているのかも知れませんね。
そうであれば、別にスポーツでなくてもよくて、きっと対象としては何でもよいのでしょう。
という事で、このようなことは日本を良き将来へ誘導できる道標にならないと思うのですが、私は相も変わらずこのような直球表現しか出来ないので、明らかに勉強不足だと思っていますし、自覚もあります。しかし如何せん理系出身ですので、お詫びします。

 あと消費税10%と久し振りに読んでいる「養老猛氏」の新書を読んだ感想と所感を書くつもりでいましたが、仕事が重なって忙しくなりそうなので、準備のため今回はこれでマウスを置きます。

段々と寒くなってきましたので、風邪など召されぬよう気を配ってお過ごし下さい。







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「窮屈になった日本~その97」:調和の取れた社会へ  その52

 前回は弁護士泣かせと言われる摩訶不思議・難解極まる建築基準法の一部を垣間見て頂きましたが、この道40年余り取り組んできた私が未だに良く判らないのですから、一般の方にとって、建築家とは一体何の仕事をしているのだろうかと思われたのではないかと想像しています。

 さて、1ヶ月が経つのが早くて、急ごしらえのブログ更新です。
今話題になっている「ふるさと納税」について、何やら総務省と地方自治体とが揉めているようですね。
行政の上下で揉めているのは面白いやら可笑しいやらで、内心面白がっているのですが、しかし、この本質を覗いて見ると、やはり行政はいい加減だな~と思えてきます。
そもそも総務省が言っていた「ふるさと納税」の定義そのものが曖昧で、細かな決め事までしていたわけではないようです。
お互い行政同士という甘え事もあってのことだろうと想像しているが、ここに至って、返礼品について総務省が地方行政に噛み付いてきているのだから、おかしな話で、地方財政を助けようと始めたはずの「ふるさと納税」だが、何ともお粗末な結果になろうとしている。
 まず納税者である国民の側に立ってみてみれば「毎年々税を納めれども何ら見返りがある訳でもなく(失礼、目に見える目先の見返りのことです)、年々様々な納税の額は上がるばかりで行政対応が良くなっている実感などない」と言ったところでしょうか。
そこに「ふるさと納税」が現れ、「ふるさと納税」にして税を納めれば、税額の控除が受けられる上に、返礼品が貰えると言う事なのですから多くの人が飛び付いた。
 地方自治体からみれば、東京以外は年々人口が減少し、高齢者は増加して、財政は窮屈な状況が続いている中で、総務省主導で願ってもない財源が転がり込んでくるようになったのだから、返戻品を高級なものにすればするほど「ふるさと納税」は増えると考えるのは自然であろう。
ある意味「ふるさと納税」を集めようとして返礼品過当競争が生まれてしまった。
これが総務省にとっては面白くないのですよ、そもそも本質から離れた状況が起きているから返礼品を「ふるさと納税額」の3割以下にしろ、そうしなければ「ふるさと納税」を認めないと恐喝してきたのだから、さてどうしたものでしょうかねぇ~。
元々返礼品の額は「ふるさと納税額」の3割以下と決まっていた訳ではないようですし、先ほど書いたように細かい決めごとなど無かったようですから、今になって何で?と感じている自治体も多かろうと思う。
総務省が自治体に対して忖度した結果でしょうが、例え行政とは言え財源に関しては違法でさえなければ、やりたいだけやるが本音でしょう。
総務省が本気で地方の財源を助けたいのなら、補助金を交付するのではなく、財源のいずれかを手放して渡してやれば済むことなのに、利権は手放さないよねぇ~結局都合のよい餌を少し撒いて、嬉しいだろうと恩着せがましくしてはいたが、結果その状況が気に入らないと言っているのですから、お節介が過ぎる。
高額な返礼品が良いとは思えないけれど、その返礼品で製造業者・生産者は潤い、消費税が国に入るのだから、決して悪いことでもなかろうと思えるのだけれど、国や議員連中は一方的な見方しか出来ない人種の集まりだから仕方がないか・・・やれやれ。
 
「ふるさと納税」が発表された時に私は「ふるさと納税」とは生まれ故郷(出生地)・田舎に対して過疎化が進み財源が乏しくなってゆくだろうから、それを助けようとするのが本質だと思っていたのだが、生まれ故郷(出生地)・田舎とは全く関係の無い全国何処の自治体にでも「ふるさと納税」が出来ると言うのだから、これが出来るのなら「ふるさと納税」ではなく「返礼品納税」としなければならなかったのではないだろうか。
ここがそもそも間違いの原点であると考える。

霞が関の役人は、学問は優秀であったかも知れないが、その他のことに関して本当に優秀なのか否か疑問だらけである。

今週末には、また大型の台風が日本列島を直撃するような気配です。
これ以上の被害は願い下げですが、大きな被害が出ないことを祈るばかりです。







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「窮屈になった日本~その96」:調和の取れた社会へ  その51

 前回のブログで建築物の高さについては定義があり、その内容を今回お伝えしようと考えて構想を巡らせていたのですが、高々「建物の高さ」程度のことについてご説明をしようとすれば、余りにも複雑で難解極まりない内容となりそうなので、一文に纏めるのではなく、ブログの最後に少しずつお伝えしたいと思います。

 それにしても、何ともお粗末な行政機関であろうと皆様も溜息をついておられることと思います。
何の話しかと言えば、身障者雇用促進法に関する行政のお粗末極まりない対応である。
嘘のような話に聞こえるけれども、これが事実のようですから、やはり日本の行政は腐っていると言っても非難される事はあるまい。
約三分の二の省庁でこの法律に該当しない者を身障者に含めて定数に達しているとしていた件で、その極めつけは、裁判所を含めた司法関係までもが含まれているとか・・・を聞くと行政そのものは法を守る意識は無いのではないかとさえ思えてくる。
 中には「(法の)意味が良く判らなかった」を理由として挙げていたところもあったりしていたようですが、しかし行政側にはこの法に違反していたからと言って罰則規定がないのだから何をか言わんやである、この法に限らず民間に対しては「その様な言訳は決して許されず、厳しい罰則が科せられる」。
これは一体何を意味するのでしょうかねぇ、またその真意は何処にあるのでしょうか?。
まさかとは思うが、行政は絶対に法に触れるような過ちは犯さないと言う自負から来ているのだとすれば、とんでもない思い上がりである。
これまで行政は矜持を忘れ、いや棄去り、どれほどの失態を繰り返してきたかを思い起こして欲しい。
言訳と逃げ場がなくなれば、その度ごとに、いやいや頭は下げるが、罰が伴わないのだから一向に悪い意味での役人根性と性根が良き方向に向かわない。
「喉もと過ぎれば熱さを忘れ」の諺のように少し時間が経てばまた容こそ違えども、同じようなことを繰り返してばかり来ている。 
 話は少し逸れるが、日本における時代劇の長寿番組は今まで数多くありました。
代表的なものは「水戸黄門」を始めとして、大岡越前・鬼平犯科帳などが挙げられるが、全ての話の筋道は行政側が人の情と心を慮り「勧善懲悪」を描いた作品である。
だから多くの国民の支持を得て数十年に渡り放映されてきたものである。
今だって日本国民は「勧善懲悪」を心から望んでいるのに、これを裁く側が「勧悪懲善」に近いことばかりを行っているのでは、何とも情けない状況を通り越えていると言わざるを得ない。
「勧善懲悪」とは「強き(行政・政治家)を挫き弱き(善良な国民)を助ける」の意味に近いと思っているが、全く真逆な情況を呈しているのだから開いた口を塞ぎようがない。
年金・雇用を始めとして数々に渡り、民間をはるかに凌ぐ厚待遇が得られるように巧みに法を改悪して身の保全を図ってきた経緯をどのように抗弁できるのだろうかと思うのだが、当然の権利と思っているようですから、蛙の面に小便ですかね。
 自らが「国の為・国民の為」に働くのだと手を挙げておきながら、いつの間にかその手を下げて「我が省庁の為・自分の生活の為」に変えてしまった罪は大きいと思う。
自分で稼がない連中なのだから「税の重み」を考えて襟を正して頂ければ有り難いと思うのだが、どうやら彼らは襟のない衣類を着用しているようですね。
兎に角、政治家・官僚を含む役人・大企業は国民の手本となるべき立場だと思うのだが、近年彼らは反面教師に成り下がっているのだから、国が乱れても不思議ではあるまいて。

 では「建物の高さ」について少し触れてみます。
「建築物」の高さについては、建築基準法(以降 [ 基準法 ] と記載します)施行令第二条1項六号で定められていて、[ 建築物の高さ ] 地盤面からの高さによる。ただし、次のイ、ロ、又はハのいずれかに該当する場合においては、それぞれイ、ロ又はハに定めるところによる。

と明記されていますが、この但し書き部分のイ、ロ、ハは文面が複雑な上、専門用語が多く、とても難解なので一般の方に説明をしようとすれば、数十ページを必要とするほどの内容になりそうで割愛しますが、仮に数十ページを使って説明しても、はたして御理解頂けるかどうか、不安な気持ちになるような内容のものです。
さて、建築物の高さはどうやら、地盤面から測定するようですが、ここで [ 建築物 ] とは一体何か?と言うことが次の課題になるのです(不思議なことを言っているように思われるでしょうが、これが基準法なのです)。
[ 建築物 ] は基準法第一章第二条(用語の定義)1項一号に次のように定められています。

土地に定着する工作物のうち、屋根及び柱若しくは壁を有するもの(これらに類する構造のものを含む)、これに付属する門若しくは塀、観覧のための工作物又は地下若しくは高架の工作物内に設ける事務所、店舗、興行場、倉庫その他これらに類する施設(鉄道及び軌道の線路敷地内の運転保安に関する施設並びに跨線橋、プラットホームの上屋、貯蔵槽その他これらに類する施設を除く)をいい、建築設備を含むものとする。

以上、法文をそのままを記載しましたが、間違いなく日本語では書かれてはいますが、読んでみて理解できましたか?。
恐らく何が言いたいのか、何を伝えたいのかが良く判らなかったのではないでしょうか。
次は前文にありました 土地に定着する工作物のうちの [ 工作物 ] とは一体何ぞや?。
と言うことになりますから、基準法ではこの [ 工作物 ] を次のように定義しています。
基準法施行令第九章 工作物(工作物の指定)第百三十八条1項一号から第百四十四条の二の四に至るまで事細かに記載がありまして、前文を記載するには無理がありますから、生活に馴染み深いものだけ抜粋して記載してみます。

煙突、広告塔、高架水槽、擁壁その他これらに類する工作物で法第八十八条第一項の規定により政令で指定するものは、次に掲げるもの(鉄道及び軌道の線路敷地内の運転保安に関するものを除く。)とする。

一 高さが6mを超える煙突(支枠及び支線がある場合においては、これらを含み、ストーブの煙突を除く。)

二 高さが15mを超える鉄筋コンクリート造の柱、鉄柱、木柱その他これらに類するもの(旗ざお並びに架空電線路用並びに電気事業法第二条第一項第十条号に規定する電気事業者及び同項第十二号に規定する卸供給業者の保安通信設備用のものを除く。)

三 高さが4mを超える広告塔、広告版、装飾塔、記念塔その他これらに類するもの。

四 高さが8mを超える高架水槽、サイロ、物見塔その他これらに類するもの。

五 高さが2mを超える擁壁。

2項一号 昇降機、ウオーターシュート、飛行塔その他これらに類する工作物で・・・と延々に続いて記載されていますが、以下割愛します。

ここで本日の纏めをしてみますと、建築物の高さは地盤面から測定する。
「ということは、建築物でないものは地盤面から測定しない」ということになりますし、「門、塀などは、建築物に付属していなければ [ 建築物 ] ではない」と言うことです。
でも建物が建っている敷地に門や塀を造るとこの門や塀は [ 建築物 ] となります。
つまり、空き地などに門だけを造ったり、塀を造るのは [ 建築物 ] ではないという事ですから、その高さは地盤面から測る必要はないということになるのですが、ここで、プール上に造ってあって、倒壊した補強CB塀は建築物か、それともただの塀かということについての検証をしようとすれば、まず屋外プールは建築物か否かが争点になります。
しかし、屋外プールについて、更衣室などが付属していれば建築物になると考えられますが、単独での屋外プールは建築物に該当せず、工作物にも該当しないのではないかと思われます。
しかし、小学校という建築物に付属しているプールが建築物でも工作物でもなければ、それに付属する補強CB塀はただの塀と考えても良いと思われますが、この補強CB塀はあくまでも小学校という建築物に付属しているものだと考えれば、この補強CB塀は建築物となりますが、プール上に造られていて、土地に定着しているわけでないからやはり、建築物の定義から外れるとも考えられる。
という事で、何とも不思議な論争と見解をしなければ解決がつきそうもない事柄なのです。
高々プール横に造った補強CB塀の高さが [ 建築物の高さ ] となるや否やで、はっきりとした回答が見出せず基準法には本当に泣かされます。
当時地震直後の報道を聞いて、以上の事柄が頭に浮かんで「ウン?」と思ったのです。
でも、こんな高さ解釈論争などほんの序の口ですからねぇ~、弁護士が基準法は判らないという一端を垣間見ていただきましたが、下らないと言えば下らないし、定義だから大事な事柄だといえばその通りだし、面倒臭くて厄介な仕事の割には社会的地位と報酬に恵まれない嫌な仕事に就いたものだと嘆きたくもなります。

お詫び:書き出しでは [ 建築物の高さ ] について、ブログの最後に少しずつお伝えを・・・としていましたが、途中で止めると、もっと判らなくなりそうなので、一気に書き上げてしまいました。








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「窮屈になった日本~その95」:調和の取れた社会へ  その50

 例年なら梅雨が明けた途端に早朝よりクマゼミがけたたましく鳴くのですが、今年は蝉の声が聞こえなくて、もしかすると豪雨で地中の幼虫が溺れたか窒息したのかも・・・と思っていたところ、7月最後の週当たりからやっと鳴き始めたので、安心しましたが、今は毎朝五月蝿いこと五月蝿いこと、暑さを上乗せしてくれています。

 先月起きた豪雨災害の復旧が終わらないうちに「後戻り台風21号」がやってきまして、二次災害を心配しましたが、中国地方に上陸した時には、とても台風とは思えないほどに雨風共穏やかで拍子抜けした感がありました。
子供の頃より室戸台風・伊勢湾台風など大型台風の記憶は多く残っていますが、通常の台風なら南方で発生して北方向へ抜けてゆくものです。
しかし一旦は通常の動きをしておきながら、関東沖海上途中で東から西へ向かって後戻りするかのように動き始め、東海・近畿・中国・九州まで移動してきた台風を見たのは始めてで、呆れてしまうような動きを気象庁は気圧の配置による影響だと報道していましたが、それにつけても最近の気象は何もかもが異常だとか、想像を超えたとか、観測史上初めての言葉をよく耳にするけれど、自然に対しては異常という言葉・想像という言葉は及ばないのが自然であることを忘れているからこのような言葉を報道するのでしょうが、自然に
対して、地球の歴史から鑑みると人間が観測してきた僅かな期間を平均値で捉え、考えているからこの様な言葉が出てくるのだと思われますが、やはりこれも人間の驕りでしょう。

 前回のブログでコンクリートブロック塀の高さについてお伝えしましたが、建築物の高さについては定義があり、その内容を今回お伝えしようと思っていたところ、世間が騒いでいる「LGBT(性的少数者)よく意味がわからない表現ですけれど」と「医大」の件について私なりの見解を述べてみたいと思いますので、コンクリートブロック塀の高さについては「くたばれ建築基準法」編で後日お伝えしようと思います。

 自民党の女性議員が発言した「生産性がない性的少数者に税金を投入すべきではない」旨の週刊誌記事が世間を騒がせている事の発端のようですが、確かに一方的な問題発言だと思います。
でも私が言う一方的発言の内容は「差別」「偏見」とかではなく、税金を投入するべきでなければ、彼らからは所得税も消費税も徴収するべきではない(取るものは取っておいて、保障をしないは、明らかに片手落ちだ)。
それに言葉尻を捕まえれば、生活保護を受けている者や生産に従事していない高齢者や未青年にも同じことが当て嵌まるから、そのことには触れていないので、明らかな「差別」発言だと思われるので、これは謝罪に値する発言である。

 また文科省次官候補官僚の収賄事件から端を発した問題で、裏口入学に関する件について、世間では公平な入学試験が行われていると思っていたのにとか、女性差別発言が大半を占めているようですが、日本は公平な社会だと信じている人達にとっては、確かにその通りで、試験に挑んで不合格になった学生や浪人生も同じことで、さぞ悔しい想いをしていることだろうと思う。
しかし、昔から私大の医学部に関しては「寄付金の額」で入学が決まることも多く(尤も、最後に医師国家試験があるので余りにも学力の低いものは対象外だったと想像するが)、一般の私立大学でも学長・理事長・教授枠というものがあって、それぞれ2~3名程度の裏口入学者枠を有していることなど世間常識でもある。
人が作る社会では人間関係や学校・企業間の関係などからこのようなことは必要悪?とも言える事だが、大学に限らず世間一般で通常に行われていることの一部でもある。
この様なことは、人生を長く生き抜いてきた人にとって何度か経験したことはあるはずで、別段不公平と言うものでもなかろうと思うし、当事者も犯罪の意識は無かろう。
その冴えたるものは、企業の縁故採用ではなかろうか(実は役所でも多く行われている)。
企業の採用試験だって公平であるべきだが、これに関して余り騒がれることがないのは何故だろう?基本的仕組みは同じである。
大学では裏口入学は駄目だと言い、企業の裏口入社は容認できるは、これも片手落ちである。
 将来の医師を目指して果敢に医大を目指す若者達にとっては辛い事だろうが、人が作る社会の仕組みは理想や清らかさだけでは成り立たないものでもあるし、「水清ければ、魚棲まず」の諺もあるように、犯罪でなければ容認しているのが、人の社会である。
でも、清らかな水に棲む魚も人も居るのですが、魚に関して言えば「山女・岩魚」など重宝されるけれども、こと人に関しては貧乏くじを引く部類に入れられてしまう傾向があります。
あるテレビ番組を見ていて、この件に関して現役の女医兼タレントの発言を聞きましたが、女性や三浪以上の受験生の採点を減点しているのは全ての私大医学部がやっていることで、ある意味仕方がないことだとの発言でした。
と言うのも、公平に試験の採点を行い入学させれば、大半を女性の合格者が占め、将来は日本中が「眼科」と「皮膚科」ばかりになってしまうという現実的な分析発言でした。
女医は離職率が高く、外科医になりたがらないとか、出産・子育てで医療から離れるとかの意見も多く、ある意味人の社会にとって必要悪なのかも知れません。
大きなお腹での手術は無理で、出産により医療を離れれば、困るのは多くの患者であり、急な代わりは至るところに居る人に代わって貰って勤まるものではない。
 男女平等の社会は基本的人権や命の尊さなどに於いてのみ語られるものであって、男と女の社会生活の役割の違いにまで言及すべきことではない。
男には「生理痛」はないし「乳は出せない」のだから子育てに限界があるので、それぞれ役割が違うことを認めなければ真の男女平等とは言えないのではないかと思う。
世間の似非人権者達がよく口にする「男女平等」は味噌糞一緒の話に近い。








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「窮屈になった日本~その94」:調和の取れた社会へ  その49

 猛烈な雨で日本中を水浸しにして、多くの死傷者を出した今回の豪雨ですが、何とも言い難いと言うか、恐ろしい自然の力を見せ付けられた一週間でした。
治水については、古き時代より為政者が己の責務として取り組み、金銭・労力を注ぎ込んできたけれども、思い通りに結果が出ずに苦しめられ続けてきている。
昔に比べれば材料・技術・力学など驚くほどに向上した現在においても今回のような惨状を避けることが出来ないとは、為政者を含めた人間の驕りと油断であろうか・・・と思ってしまう。
 
 欧米では洪水(確か道路冠水10㎝~30㎝程度だそうで、日本なら床下浸水と言って、洪水とは言わない)など起こらないと言われてきたが、最近では洪水が頻繁に起こるようになった(とは言っても高々30㎝です)そうです。
今回日本では2階建ての屋根の高さまで水かさが増して、まるで津波かと思わせるほどの水量でした。
これらの原因を気象庁は「数十年に一度あるかないかの大雨です警戒が必要です」と雨が降り始め、被害が出始めてから何度も警報を出すのだから、既に遅し!の感です。
確かに洪水の原因は大雨なのだから原因と言えば原因だが、そもそも的が外れている。
原因として考えられるのは①道路を全て油で固めてしまい(アスファルト舗装)土の保水量が不足している。②戦後行政主導の植林事業で広葉樹を伐採して杉と檜に植え替えたことによる山林の保水量の不足。③人間が熱を使い過ぎることによる多量の水蒸気製造。④地表地盤面の経年劣化などが考えられるが、①②③は全て人間の都合で行われてきたことによる自業自得の結果によるもので、④につては、山林の裾野近くまで開発を繰り返してきた経済優先の驕りであることに気付いて無いだけであろう。
それにしても、自然の力は何とも恐ろしく強大な破壊力を持つものだとつくづく思い知らされ、愚かで思い上がった小賢しい人間をあざ笑うかのようでもある。
先々週は近畿地方を地震が襲い、先週は中国・四国・九州を豪雨が立て続けに襲って来た。
恐らくこれからもまだまだ自然の力を思い知らされることが続くと予想されるが、目先のことしか見えない為政者達では国民を救う事など出来はしないだろう。
しかし、あれほどの雨量が雲になって空中に浮いているのだから、これもある意味凄いことで、私など観念的には理解を超えている現象である。
もともと日本人は生き永らえてきた長い歴史の間に「自然には逆らわず、調和して生きてゆく」ことを学んできた歴史があるけれど、戦後欧米の科学万能主義による「自然は科学の力で持って克服する」を学者や為政者達がこぞって学び、国民を教育し主導してきたから今更ながらの感はあるが、蟻が恐竜に向かって戦いを挑むようなものだと理解しているものは殆ど居なくなったのが今の日本の現状だ。
科学を否定はしないが、万能であってはならないし、経済優先も否定してはならないが、これも万能となってはならない。
何事も万能にすると一時的には良くなったように感じられるが、大きな弊害が後に襲ってくることに気が付かないだけである。

 今回の豪雨がなければ今日は、先の地震で倒れたブロック塀の下敷きになって亡くなった少女の件に触れようと思っていましたので、これから書きます。
地震直後に流された映像には、プール横に設置されていて倒れた補強コンクリートブロック塀(以下補強CB塀と書きます)だった。
この倒れた補強CB塀の下敷きとなって少女が亡くなったと聞いて、何とも気の毒で痛ましく、やり切れの無いような気持ちにさせられてしまったが、不運が時と重なった結果と表現する以外にないような出来事だったように思える。
ただ、倒れた補強CB塀の施工が決められた通りに施工されていたなら、少し法定違反があっにせよ、少女が亡くなることはなかったかもしれないと思うばかりである。
で、何が言いたいのかと言うと、報道者達が口にし、文にした報道内容には間違いがあるので、如何に報道者達が不勉強で、いい加減な報道を繰り返しているかが良くお判りいただけると思います。
別段報道者達の得意中の得意である挙げ足を取る心算がある訳ではありませんが、報道とは「言葉」で持って「真実」を伝える役目と自他共に「自負」している割には、いつもお粗末だな~と思っているのだけれど、今回も正にそうでした。
その内容をご披露しますので、お付き合いの程お願いします。
報道者が興奮気味に大声で口にしていた言葉で、補強CB塀が倒れた道路上に立って「(建築)基準法では地盤面からの高さが2.2m以下でなくてはならないのに、3.3mの高さがあります」を聞いた時に「うん!高さは地盤面からだったかな?」と思い、「また3.4m以内に控え壁を設けなければならいのに、全く設けられていません」を聞いた時は「(映像を見る限りでは)倒れた補強CB塀が6段積みに見えたので6段×20㎝=1.2mだから控え壁は法律的には不要であろう・・・と思えた」がしかし、実際は7段積みで補強CB塀の高さは1.4mあったと言うことでしたので、この部分の報道表現は正しいものでした。
しかし、前段の地盤面からの高さについては、はっきりとした誤りです。
建築基準法 施行令 第六十二条の八には次のように記載されていますのでそのまま原文を掲載します。

補強コンクリートブロック造の塀は、次の各号(高さ1.2m以下の塀にあっては、第五号及び第七号を除く)に定めるところによらなければならない。ただし、国土交通大臣が定める基準に従った構造計算によって構造耐力上安全であることが確かめられた場合にいては、この限りでない。
一 高さは、2.2m以下とする。   [ 地盤面・道路面からとは書かれていない ]
二 壁の厚さは、15㎝(高さが2m以下の塀にあっては、10㎝)以上とする。
三 壁頂及び基礎には横に、壁の端部及び隅角部には縦に、それぞれ径9mm以上の鉄筋を配すること。
四 壁内には、径9mm以上の鉄筋を縦横に80㎝以下の間隔で配置すること。
五 長さ3.4m以下ごとに、径9mm以上の鉄筋を配した控え壁で基礎の部分において壁面から高さの5分の1以上突出したものを設けること。
六 第三号及び四号の規定により配置する鉄筋の末端は、かぎ状に折り曲げて、縦筋にあっては壁頂及び基礎の横筋に、横筋にあってはこれらの鉄筋に、それぞれかぎ掛けして定着すること。ただし、縦筋をその径の40倍以上基礎に定着させる場合にあっては、縦筋の末端は、基礎の横筋にかぎ掛けしないことができる。
七 基礎の丈は、35㎝以上とし、根入れの深さは30㎝以上とすること。

        以上が全文で、これ以外の記載はない。

つまり一号の「高さ」については、何処を基準(何処から高さを測るのか)にするかは触れておらず、基本的にはCBの積み上げ高さを示していると考えられるので、高さに関しては違法ではない可能性の方か高い。
いつも言うように、これほど建築基準法とは不可解な文面が多く、解釈に戸惑うことしばしばなのです。

また、控え壁を設けなかったのは想像の域を出ないが、学校側がプール横を通る子供用の通路巾が狭くなることと、補強CB塀に設けた控え壁の角で子供達の肌が傷つくことを心配した結果ではなかろうかと思った。

しかし、補強CB塀は以外に強度があるものだと思ったことの一つに転倒した塀を見ると、大きく壊れている様子はなく、一部縦に割れている分と頂部の崩壊のみである。
恐らく鉄筋の入れ忘れ、定着不足が原因であろうと思われるが、1.9mの高さから落下した割には大きな損壊がない。
そして何よりの問題は、基礎のアンカー(定着)部分の鉄筋は全て残っていて、補強CB塀の部分だけが定着部分から抜け落ちて倒れていたという事実だ。
基礎のアンカー(定着)部分の鉄筋の長さは映像を見ただけで「明らかに不足しているな」と思えるほど、短く感じた(通常は鉄筋径の40倍以上の長さを取るもの)。
もし、これが通常通りに施工されていれば、控え壁が設けられていなくとも転倒は起こらなかったかもしれないと思えるので、明らかな施工不良である。

と長い話になってしまいましたが、報道内容は大筋では間違ってはいないのだけれど、「地盤面から」と勝手に法文を作成してはいけない。

因みにCB塀の区分をお知らせしておきます。

コンクリートブロック塀   :鉄筋を入れないコンクリートブロック塀のこと
補強コンクリートブロック塀:鉄筋を入れたコンクリートブロック塀のことです。








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「窮屈になった日本~その93」:調和の取れた社会へ  その48

 ウイルス駆除も終わり、6月4日に半年振りのブログ更新、掲載をしましたが、私は半年間ブログ更新を行えなかったので、恐らくブログランキング順位は300位以下であろうと想像していました。
ところが更新した当日には30位で、数日後には3位となり思わず目を疑いましたが、本当に有難い事で、胸が熱くなりました。
これからも時間が許す限り、想いが続く限り書き続けようと決意を新たにしています。
ご支援宜しくお願い致します。

 世界中を騒がせ、鳴り物入りで始まった米朝首脳会談ですが、結果は皆様が想像していた通りで、何ら進展も無く、世界中が期待していた通りの結果を出してくれました。
こうして見ると、もしかしたらアメリカ判「花札」は世界中の期待を裏切らない良い奴かも・・・と思ってもみるが、やはりただの大口を叩く酔い奴なのでしょう。
 そもそも、北朝鮮とアメリカでは国の規模からして大きく異なり、経済・武力など比較の対象にもならないほどに、まぁ天地の差ほどあろうかと思える。
今、日本で流行の将棋の世界に例えるなら、初心者と有段者ほどに力の差が歴然としている者同士が対決する場合は、有段者の方が飛車や角(核)落ちで戦うものだが、アメリカが考える戦い方は、初心者の方に「核」を落として戦えと言うのだから、同じ土俵に立っているとは言えないし、無理難題にも等しい(尤もこれは極一般的な話であれば・・・のことであって、決して北朝鮮の擁護ではありません)。
尤も、この二人は同じ土俵に立つ資格など持ち合わせているとは思えないほど、数代に渡ってあくどい事ばかりを今まで行ってきているから、どのように見たところでチンピラ同士が口喧嘩を行った末に、お互いが対峙して見れば、思惑と思考が交錯して怖くなり、鳴り物入りであったにも係らず、何も鳴らず(喉自慢で鐘一つかな)、期待を煽るだけ煽っておいた末に(これは報道者達が悪いか)お互いが飯食っただけで終わり、期待通りとなっては「何をか言わんや」である。
今になって、それぞれの資質を問うて、様々な問題を解決しようとしても、素地が悪いのだかから、何も始まるわけもなかろう。
 
 国内では「もりかけ」問題は未だ収束せずに尾を引いているが、以前ブログでこの問題に関して苦言を呈したことがあるけれども、その内容は殆ど的外れではなかったように思います。
最近の話で、建築確認申請で次のようなことがありました。
構造計算の内容で、安全のために実際の荷重より少し多めの荷重を採用して計算を行っていたのですが、計算内容に「整合が取れていない」と言い掛かりにも等しいと思えるようなことを言われ始め、止むを得ず指示に従い、その対応に数日を要しました。
結果的な話をすれば、設計図面内容に何ら変わりは無く、重量に関して実情と違うと言うだけの事で、相手の気の済むようにさせられるこの制度、いつまで経っても変わらないと言うより、以前より悪くなっている。
一昔前までは審査する側は「安全か否か」を問うていたのだが、今はそれより「整合が取れているか否か」を問うてくるので、本末転倒な状況と化している。
このような国民虐めや苦役を架すに等しいこの制度には辟易しているところですが、これを思うと、官僚のやる「文書改竄」「資料隠し」など証拠隠滅にも等しいことを行っていても、起訴猶予では国民感情が許すはずが無い。
「弱きを挫き、強きを助ける」官僚・役人の処世術を目の当たりに見せられと、やはり腹も立つし、他には厳しく身内に甘く・・・では国民は政府や役人など誰も信用などしない。
これが世界の経済大国とまで言われた日本の現実の姿ですから、寂しい事この上ないです。
恐らく明治維新の頃より官僚の心に巣食う「朱子学」の悪い部分を切り捨てられないまま来た性であろうと理解はしているが、昔と大きく違うのは「国・国民」を置き去りにしての為政を行っているので、やはり本末転倒である。
世間や庶民のことが判らない霞ヶ関の中は「井の中の蛙」と化していて、お互いが足元すくわれまいと下ばかりを見つめ「空の青さ」をも知らないのであろう。

ブログ更新出来なかった半年の間では、読んだ本に感動し、新しく出合った人の愉快で豪快な話や、身辺状況など追々記載して行きます。







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「窮屈になった日本~その92」:調和の取れた社会へ  その47

 やっとブログが再開できるようになりました。
 昨年末より半年間、当社のホームページが開けなくなり困惑しまして、その訳をお伝えしますので、事の顛末を聞いて下さい。
「下記のブログは昨年末に掲載しようとして書き終えていたものでしたが、掲載しようと思ったところ、ホームページが作動しない・・・何か変だが、多分ヤフーが年末になったので、何か調整しているのだろう・・と余り気にもせず、そのまま数日が経過したのだが、あれっ!でも他の検索は出来るのに、当社のホームページだけが開かないとは・・・これはおかしいぞということになって、調べること数日、ヤフーに問い合わせてやっと問題の病巣が発見できました。
 それはウイルス感染によるもので、余りにも感染数が多く、他の感染を恐れたヤフーが止めたとのことでした。
であれば、こちらに通知でもしてくれていれば、発見と早めに対策の手が打てたのに・・と少々気分の悪い感情が起こりましたが、現在を象徴しているように無責任な大手会社のやりそうなことですから・・・とは言っても、ホームページを早く再開しなければ・・・の想いばかりが心に圧し掛かるので、知り合いの専門家に連絡し、助けを借りて、半年かかりましたが、やっと再開できるようになった次第です。
 私のブログは300編以上あると思いますが、その内の280数件ウイルスに感染していたそうです。
さてここで、このウイルスの正体と言うか、発信先と言うか、一体誰が何の目的で私のブログを狙い撃ちしてきたかを考えて見ましたが、次の事柄以外は想像がつきません。
 愉快犯が面白そうに発信してきた?いやそれは考えられない。
私のブログの内容の殆どは、政治家・官僚・役人・大企業の無責任さ・狡猾さを鋭く?指摘し、なんとかこの日本が世界一良い国になれば・・・の想いから発信を続けてきたのだが、どうやらこれが気に障った処があるようです。
公安?いやテロ支援や日本転覆のような事柄には触れていないのでここではないだろう。
では何処か?と思ってみて、根拠はありませんが、意外と総務省辺りではないかと思っているところです。
中国や朝鮮がこの様な酷いことをやっていると批判している裏で、自らが行っているようでは、やはり私の書き続けてきたブログの中身は的を射ていたと言う事なのでしょう。
 でも、今回のことで多大な出費と時間を要しましたが、これにめげず、時間の許す限りブログ書き続けようと思っていますので、ご支援お願い致します。
ただ、ホームページの掲載写真には現在一部ピンボケが発生していますが、順次校正して行きますので、今暫くご辛抱下さい。

以下、年末に掲載しようとしていたブログです。
 今年もあと数日で終わりを迎えようとしていますが、社会人になってからというもの一年が経つのが早く感じるようになりまして、それから45年余りが経ち、年のせいではないと思うけれど、本当に一年が早く過ぎるような気がしています。
情報が過度に発達したせいもあるのでは・・・と思うこともありますが、こうも毎日々朝から晩まで下らない情報を垂れ流す報道者達とそれを面白可笑しく捕らえ、無責任な発言を繰り返しているコメンテーター達を見ると、日本人の心は希薄になったものだ・・・とつくづく感じるこの頃です。
一昔前なら、低俗なコメンテーターなど社会が受け容れなかったと思うのだが、皆様は如何に感じておられるでしょうか。

 さて、最近特に酷いと感じることは大手企業の嘘吐き体質で、自動車・鉄鋼・家電・繊維・建設と情けない限りである。
以前から本ブログで警鐘を鳴らしていた通りになり、それが表ざたになってきて、戦後日本の製品品質は世界に誇るほどの水準を保っていたにも拘らず、あっという間に失墜させてくれました。
新聞の広告やTVの宣伝では情操豊かに言葉と音楽を使って良質的企業感を謳い上げ、あたかも素晴らしい企業であるがごときと錯覚させて、顧客へと誘導する手法は見事なものだと感心するが、今の企業が言う顧客とは自社にとって都合のよい客のみを顧客と呼び、少しでも疑問を投げかけてくる客、噛み付いてくる客は顧客とは言わないのが本質となっている。
表向きは丁寧親切を装ってはいるけれど、実態は国民を欺き暴利を貪っているのが実態であると言っても過言ではあるまい。
疑問を投げかけてくる客、噛み付いてくる客こそが自社を良き方向に導いてくれる灯台のようなものだと思うが、その意識すら失ってしまっていて、イソップ物語の「裸の王様」の如きに成り下がってしまっているのではなかろうか。

どうして企業の手本となるべき大手企業がこの様な無様な姿を晒すようになったのかと言えば、答えは簡単で、大手企業から創業者が居なくなり、サラリーマン経営者になってしまったことが第一の要因である。
どの大手企業にも「社訓」「社是」などを掲げているが、恐らくそれは全て先代か先々代の創業者が掲げていた絶対目標で、これまで会社全体として厳しく守り抜かれてきた事柄であることに疑いの余地は無い。
しかし、今や「社訓」「社是」は単なる挨拶程度の認識と化してしまっている事と容易に想像できる。
社長は重役の意見を聞き、重役は部課長の意見を聞き、部課長は係長・主任の意見を聞いて物事の判断が行われるのが通常の組織であり、この形態が悪いわけではないが、一番上から下っ端まで全てがサラリーマンと化したこの様な組織となってしまったら悪い情報は決して上には伝わらないし、仮に伝わろうとしても何処かでもみ消されてしまう。
何故そうなるのか?という答えは「社訓」「社是」を企業の理念として本気で貫き通そうとする意思を持った人物がいないからで、ただの飾りとして掲げてあるだけのものになってしまっているからだ。
その上、人は心と能力が育たなければ、ただの無駄飯食いなのだが、大手企業にはこの類の連中が多く巣食って居て、己の無能さを決して知られまいと、あの手この手を使い偽装擬態を巧みに繰り返しながら己と人を欺きながら日々を送っている。
この実態はサラリーマン集団である霞ヶ関を始めとした行政組織も同じ形態であろう。
人だからどのような組織に居ようが「心」と「良き価値観」さえ育っていればその組織が滞り腐る事はないのだが、悪しき欧米の文化「マニュアル」を取り入れてからというもの、自分で良し悪しの判断すら付けられない甘えん坊の坊ちゃん嬢ちゃんばかりが組織の一員となってしまっているので、これから先が思いやられる。
 中小零細企業に於いては仕事で搾取する相手が何処にも居ないのだから「人」が育たなければ直ちに仕事に行き詰まる(社会に貢献できなくなる・お客さんに喜んで貰える仕事ではなくなる)。
だから中小零細企業の経営者は社員を我が子以上に可愛がり育てるのだが、今のような権利主張が許される社会ではこれが中々上手く行かないので、本当に悲哀の物語である。

 これからも、まだまだ大手企業は色々とやらかしてくれるであろう・・・と想像しているが、一日も早く目覚め、日本の良き文化を取り戻さなければ日本の将来など無い。
この様な現象は日本の至るところで姿形を変えて出てきているのだが、根本の部分が同じところから出発していることに気付く人は少ない。

綺麗で見た目だけは良さそうになった日本だが、多くの良きものを絶滅させてきた上の砂上の楼閣にも見える。今年最後のブログ取り収めます。

来年は人の歴史と長く拘ってきた戌の年です。良きお年をお迎え下さい。



平成二十九年十二月二十六日
           日付改め 平成三十年六月4日







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