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建築家 潤 の『独断と偏見』

「酔龍の独り言:その049」

               [ 四月バカ ]

 引き続き業務が忙しくて今月も先月末までにブログの更新が叶いませんでした。
心苦しく思いながら、何とか更新に臨みます。

 さて、今日は1年に一度の「四月バカ(アイプリルフール)」だと言われている日です。
これは西洋からの風習だと聞き及んでいますが、なぜかこの件に関してこれまで検証したことがありません。
ほとんどのことは不思議に思うと調べてみるのですが、あまりにも下らないと思っていたからなのか、云われや由来などについて検証していません。
しかしここで少し冷静になって考えてみると、日本の風習・習慣には例え一日だけであろうと「嘘をついて良い日」などはなかったように思います。
一年で一日だけ嘘が許されるというのは西洋特有のジョークの一環なのかもしれませんが、日本では冗談でも嘘をつくことが良いという日は許されていません。
日本の子供を持つ親はそのように教育していると思っていますが、ふと振り返ってみると、日本でも東京のある一角には一年中「四月バカ(エイプリルフール)」が許されている所があるようで、その地区名は「永田町」と言う特区だそうです。
都市計画区域に「四月バカ特区」と言うのを聞いたことがありませんが、現実には「隠れ都市計画区域」として存在していたのですね。
建築基準法や都市計画法の中にその記述が無かったものですから、これまで気が付かなかったのですが、不勉強を恥じています。 私も八ヶ月後には後期高齢者の仲間入りになるので、少し気に掛けていることの一つに、特に高齢者の不安を煽るような健康食品の宣伝をテレビでよく見かけるようになった。
 宣伝の内容と効果が一致していれば何ら問題は無いと思いますが、中には詭弁に近いものや、無知に付け込んで尤もらしい効果を謳って購買意欲を煽っているのでは・・・と感じているものが多くあります。
 別に販売を妨害しようと思っているわけではありませんので、誤解なきよう聞いて頂けるとありがたいです。
 カルシュウム不足を補うための宣伝が数社から放映されているようですが、一日当たりのカルシュウム不足の量を補いましょうと、不足分の量に足る魚の煎餅を宣伝するのですが、ここまでは何の問題も無いと思っています。
 ただ一日の不足分のカルシュウムと同量の魚に含まれるカルシュウムを摂取しても、そのままカルシュウムが人体の骨になるわけではないよういです。
カルシュウムを体に取り込んでも、とても吸収が悪く、仮に上手く取り込めても日光の力を借りなければ中々骨にならないという話をある医師から聞いたことがあります。
だから、液体のカルシュウムが一番効率が良いとその医師は話していましたが、さておやつ感覚で食して「体に良い」効果がいかほど出るかについては少し未知数かもしれません。
 まあ食さないよりは食した方が良いかも・・・と言ったところでしょうかね。




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「酔龍の独り言:その048」

        [ 異常な値上がりを続けている株価に一言 ]

 業務が忙しくて今月も先月末までにブログの更新が出来なかったことをお詫び致します。
本日やっと依頼されていた案件の一つを解決しましたので更新に臨みますが、まだまだ多くの依頼を受けているので、更新が伸び伸びの状況になりそうです。

 さて、現在本当に「異常な株高」が続いていて、テレビ・新聞ではその原因や今後の見通しなどを、その道?の専門家達が盛んに喚いているようですが、そもそも株価の本当の意味が解かっていれば、このような事態は起こらないはずであるが、欧米化した日本人の心の中に「物と金」ばかりが大きく膨れて居座るようになってからは株価が完全に投機対象になってしまっている。
 本来の株価の仕組みはその会社が保有する「余剰金」や「設備機器を含めた不動産価格など金銭に換算できるもの全て」の総額を発行株数で割った金額でなければならないものなのです。
ただ、製薬会社などで「開発中である夢のような新薬が完成目前である」などの情報や、ある企業で「世界中から欲しがられるような特許の取得」などが予想されると、近未来の莫大な利益が想定されるので株価が上昇するなどと言うことはありますが、今回の異常な株高はそのような事案が無くて株価が上昇しているから「異常」なのです。
 誰かが今以上にまだ株価は上がると思って、高値でも株を買わなければ株価が上がることはありません。だから今の株売買は「投機」なのです。
 もうこれは、かつてのバブルの時に起こった異常な株高と土地価格の上昇と何ら変わりはありません。人は経験を糧にできない愚かな生き者(物かな?)だと自らが証明しているようなものだと思えます。
 そもそも株の売買は商取引ではないのだから、誰かが大きく儲けたということは、いずれ誰かが同じ額だけ大きく損をした人が出るということになるのですが、投機をする人は誰も自分が損をする方の側にはならないと思ってやっているのだから始末が悪い。
 まあ全て「欲」から発した事柄なので如何ともし難いことではありますが、現在では政府がその主導をしているから始末が悪い。
 それはNISA(ニーサ)と呼ばれている「投資」であるが、「投資」も「投機」も言葉が違うだけで中身は同じ博打である。
更に悪いことに、政府はNISAによる利益が一定額以内なら非課税にしてあるからと、国民に向かってNISAを行うように煽っていることである。
昔から日本には「働かざる者食うべからず」の諺がありますが、今の日本の政府は「働く者には課税を!博打で稼ぐ者には褒美を!」へと諺を変えているようです。
 しかしこれが政府の本質であるのなら、どういったことなのか深く考えもせずに出した方針なのだろうから、官僚と議員の知性が知れるというものである。
 極端な例にして考えてみれば直ぐにわかることで、農作物を作っている農家や畜産業に携わっている方達に、魚介類を捕ったり、養殖したりしている第一次産業に従事している人達が、株で稼いだ方が楽で良いからと・・・と考え始めたら、社会の根底が崩れてしまうことになる(現実にはそのようなことは起こらないと思いますが)要素を含んだNISAなるものを褒美まで付け主導してどうする・・・ですよね。
 しかし何故現実にはそのようなことが起こらないかと言うところに、人としての本質が潜んでいるのだけれど、霞が関や永田町に席を置く人にはこれが理解できないから、いつまでたっても日本の国が良い方向へ向かわないのである。
 欧米人にとって「仕事をする=金を稼ぐ」ことであって、まずこれ以外にはない。
いや欧米人だけでなく中国・朝鮮も恐らく同じであろうと考えている。
日本人だけが「仕事をする=自分の能力を高め、心を磨く・(他の人の為になっているので)喜びや幸福感が持てる・矜持を持ってやっている」などの意識を持って仕事をしている人がいる世界で唯一の民族である。
 このように気高き心持っている日本人を貶めるような方向へと平気で導き金銭の損得で煽るお偉い方々ばかりで、本質が見えていないのだから少子化問題・政治資金問題・年金問題・1000兆円を超える国債の返済など山積みの課題など全て金で片が付くと思っているから、いつまで経っても解決など出来るわけがない。
 確かに金だけで片が付くこともこの世には多くあるが、年金の余剰金を株で運用して出た利益は年金の支給額には還元されず、何処となく消えてゆき、損益を出せば国民に年金の保険料を値上げするのだから国民が政府や官僚を信頼できるはずもなかろう。
 このようなことばかりを東大を出た優秀な頭脳が考えているのだから、それを知っている国民は何を、誰を信頼して将来を見据え子供を産めばよいのか?若い人が支払っている社会保険料(年金)は先では破綻することが判っていても少子化のせいにして対策をしない。
かつて恐ろしい額の年金をドブに捨てた官僚達へのお咎めもしないのだから、法がどのようにあろうと国民が将来の為に支払った金ですよ!国民の心には言いようもない不信感が大きく膨れてしまっているので、わずかな金を貰ったくらいでは子供を産み育てる気など起こるまい。
足元と本質を疎かにして、口先で上手く誤魔化し、目先の僅かな金を配ることで諸問題を解決しようとしているのだからお粗末極まりない。
霞が関や永田町に席を置く人の耳には心が付いてないんだよね。




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「酔龍の独り言:その047」

          [ 法とは一体何のためにあるのか ]

 業務が忙しくて先月末までにブログの更新が出来なかったことお詫び致します。
昨日やっと依頼されていた案件の一つを解決しましたので更新に臨みます。

 「大山鳴動して鼠一匹」の書き出しをすれば、誰もが「あ~国会議員連中の裏金問題か」
と思われるほど、あれだけ騒ぎ、騒がれながらも肝心要の議員達を誰も立件出来なかったのだから、検察のだらしなさに日本国民の胸の中には、行き場の無くなった怨嗟の塊が転がり続けているように感じています。
 
 しかし、ホテルなどで集会合を開いて多額の政治資金を掻き集めておきながら、収支報告書に記載していなかったことを「裏金」と表示したのは言い得て妙だとは思うが、これ「裏金」は飽くまで商取引に使われる「言葉」であり、政治活動とは無縁のことだと思えるから、この言葉を使った報道者達には少し疑問を感じるけれど、この状況にぴたりと当て嵌まる言葉が日本語には無いように思えたのですが、しかし良く考えてみると、これは間違いなく「隠し金」と呼ぶ方がしっくりくるような気がします。 
昔の政治家は「政治家になれば、井戸塀が無くなる」と言われたくらい「為政者には性根の卑しい輩がいなかった」ということですから・・・。
状況から考えてみると、これは支援金・寄付金の類のようなものだろうから所得とは言えないのだろうが、感覚的には「所得隠し」近いものと考えてよいと捉えれば、脱税も視野に入れて立件できたのではとも考えてしまうけれど、きっとここで「法」の壁が立ちはだかったのでしょうね。
「所得」の定義・「脱税」の定義など、この世の法は全て「言葉(文)」で人の行動を規制し縛り、その結果に対して罰を加えるものであるから、少しでも言葉の定義から外れれば「法」に触れず立件できないということになる。
しかし、言葉の定義もある意味とても曖昧なものだから、その定義から外れるように解釈することを「法を運用する」と言い、その定義に無理やりにでも当て嵌めようとすることを「法を適用する」と言うのですが、官僚の人事権を官邸が握っている現状では「国民に対しては法を適用し」「国会議員連中には法を運用する」と言う見事な手法を繰り出す頭の良さは流石であり、お勉強が出来る方々のやりそうなことだと感心する。
だけど、根本的に金を「収支報告書に記載しなかった」ことが立件要因なのか「所得隠しのような行為」を言うのか本当のところがよく判らないが、いずれも起訴して罰を下すような大したことではなかったようにも思えるから、結果的に政治不信に対する国民へのガス抜きに使われたように思えてならない。
だから、いっそのこと事件として立件できるか否かに関わらず、このような案件が起こった場合は、検事責任者の名前を必ず報道し、その資質を国民にさらけ出して最高裁の裁判官が受ける国民審査のように国民の審判を受けるような方法を取れば選挙の投票率も格段に上がると思われますので「検事の人事権を国民の手に委ねる」は最高に良い方法と思いますがねぇ。
他には厳しく自分には甘いままで自己規律が出来ず、国民感情を誰も汲み取らない議員を選ぶための選挙などには行きたくないのが日本国民の本音の部分かもしれませんよ。
話が逸れてしみましたので、もどします。
自民党は派閥の解散で本質をすり替え誤魔化そうとしているけれど、集めた金の流れと使途については派閥と何ら因果関係がない。
しかしこの程度のことで立件されそうになって雲隠れしていた議員達も「立件見送り」の報道が出た途端に表に出てくるのだから、臆病者と小心者の裏返しを自らが演じたのだ。
 隠れていた間にはこの政治屋達はさぞ「窮屈な思い」をしていたことだろう。「高々集会合を開いて集めた金を収支報告書に記載しようがしまいが、また何に使おうが大したことではない」と思っていたところ、表に出されてこのようになったのだからねえ。
 次には連座制を導入して法整備を厳しく・・・との声も出ているようであるが、そもそも国民に対しては法整備を厳しくしておいての話だから、何をか況やであるが、議員(官僚を含めて)と言う高尚な役割をこの世で演じなければならない人物が、法整備で縛ってもらわなくては自分を律することが出来ないということでは人物そのものの資質に問題あり以外の何ものでもない。
 しかし霞が関や永田町を養っている一般の日本国民は、今回たまたま起訴されそうになって窮屈さを感じた議員達の「何十倍もの窮屈を日常的に感じながら仕事をして納税を行っている」のに、この議員達は意にも介さないでいるのである。
 そしてこの窮屈の元はこ奴らが国会において承認した「法」によるものである。
「法」は明治維新以降に欧米に倣って作られてからが始まりである。
それまでは恐らく「法」ではなく「お達し」などで江戸庶民に伝えられていたのではないかと思っていて、簡単に書かれた条文のようなものはあったと思われるが、系統だった「法文」のようなものがあったとは思っていない。
しかし、それでも日本の国はちゃんと治まっていたのですから、ある意味日本国民の生活習慣や人柄の良さが上手く国を治めていたと言うことでしょう。
 そこに明治になって突然欧米を真似て「法文」が作られた、そして大東亜戦争後には米国から「法文」を押し付けられたこれが今の日本である。
略奪民族である欧米人(大陸人)とは違って、日本人は法が無くても悪いことなどしなかったのである。
欧米から「法」を無くしたら表は悪人だらけとなり凶悪犯罪が頻発する恐ろしい社会が出現するであろうことは容易に想像がつくが、日本国内から「法」を無くしても、社会全体が悪い方へ大きく変化をすることなどないことも日本人なら想像できるが、欧米人には想像すら出来まい。
だから、日本国内では弁護士が欧米ほど活躍できない理由もここにある。
「法文」よりも人情・同情・ものの哀れ・惻隠の情・助け合いなどが優先する社会を数千年にわたって構成してきているから「法文」が馴染まないのである。
 もうすぐ一万円札から姿を消すことになる「福沢諭吉」翁は「学問ノススメ」の中で次のように言っている「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の部分は特に有名だが、ここだけが切り取られて語られているけれど、そのあとに「と云えり」から始まる続きがあります。
その内容は、だからと言って人の能力や富貴は平等ではないのだから学問を修めて上昇しましょうと言い「政治は国民の上で成り立っており、愚かな人の上には厳しい政府が出来、優れた人の上には良い政府が出来る」と書き残している。
さて、今の日本は「厳しい政府なのか、良い政府なのか」いずれであろうや・・・。
 私などはそのいずれでもなく「愚かな政府」と言いたい。諭吉さんがいた頃は「愚かな政府」など考えられなかったであろう・・・。





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「酔龍の独り言:その046」

          [ 最近の大手企業が言う訳を検証 ]

 今年もあっという間に年の瀬を迎え、残すところ数日となりました。
世界的にみるとロシア・ウクライナの戦争と中東の終わりなき戦争などが人々の心を曇らせていますが、戦争とはどちらかが屈服するまでは決して終わらないものなので、その時を待つ以外にない。
停戦とか調停とかの話が時折持ち上がりますが、戦争の原因となっている根本的解決に至らないままに停戦など行っても一時しのぎで終わり、ちょっとした切っ掛けが生じれば、いずれ戦争は再燃する・・・のは歴史的に見て明らかなことだから、人は幾ら歴史から多くを学んでも成長しない動物であると言うことでしょうかねぇ。
 
さて、今回の本題です最近やたらと企業が行う合理化や値上げの際に使う言い訳が可笑しくて仕方が無いのです。
まるで国民全員が小学生程度の知識と知能しか持っていないのではないかと思わされるほど酷いものが多くなってきたと感じています。
 まず手始めにJRの特急列車で長く親しまれてきた「自由席」をすべて「指定席」にする決定をしたとの報道を聞いた。
その言い訳は
① :全席指定なので前もって並ばなくてよいから時間の節約になる。
② :車掌の人手不足の解消
などが理由のようですが、新幹線も確か「のぞみ」も全席「指定席」にすると聞いている。しかし何故「のぞみ」だけなのか?よく判らないが、想像できるのは長距離を運航(博多~東京)しているからかな・・・と思うけど、本当に乗客の快適性を主体とするのなら全列車を「指定席」とするべきだと思うけれど、「指定席」と「自由席」による運賃の売り上げ比率がよく判らないし経営的判断からきているところに思えるので何とも言えないのだが、何だか言い訳がましく聞こえて、どこか片手落ちのような気がしてならない。
最近は新幹線の車掌による車内検札が行われていないのは「働き方改革」の一巻だと思われますが、車掌は車内の安全と運航を担っている業務だと思っているので、これ両立していますかねぇ。
車内検札の意味は勿論「キセル防止だ」と思われるが、車掌が乗客一人一人の顔を見て切符をやり取りする間に乗客の様子を感じ取ることも業務の一つだと思っていて、少しは車内犯罪の防止や乗客の健康状態の把握も出来ていたと思われまので、今の車掌は車内を回っているだけだから、少し楽をさせているのでしょうか。
尤も近年JRの地方路線では無人駅が多く、駅員が常駐している駅でも夜間になると無人となる駅も多いのです。
だから上手く考えれば「キセル」はやりたい放題の状況下にありますし、実際にやっている知人(70歳超えの女性)もいましたので「いい年こいて、みっともない真似は止めなさいよ。これまで生きてきた誇りまで失うようなことですよ」と嗜めたら止めたようですが、駅員を常駐させると人件費の方が高くつくことも理解できるけれど、犯罪を誘導しているようにも見えるこの方針を如何様に考えたら良いのでしょうか。
こうして思っていることを文字にしてみると全体の内容が何とも曖昧模糊なので、「全席指定」や「検札廃止」などが本当に乗客である国民の為にと思って行ったものなのか否かよく判らない。
いずれJRは全ての列車をバスと同じように「ワンマン化」にしようとしているのではと勘繰ってしまう(車掌は安全な列車の運航や車内の安全を担い、不慮の事故などに対応する重要な職務を背負っていると思うが・・・)。
  
新聞記事を読んでから気になりました。
2025年に開催予定の大阪・関西万博の記事に次のような内容が書かれていました。
記事の見出しは「静けさの森 植樹始まる」です。
見出しを見た途端?なぜ「森」の文字を使ったのだろうか、全くの定義ではないようですが「林」は人が植林をして造ったところで「森」は自然界が自らの意思で造り上げたところ(人の手が及んでいないところ)が通説と言われているのに何故万博の責任者は「静けさの森」とすべて植林で賄うものに「森」の字を当てたのか・・・「森と林」の使い分けを知らなかったのかも、いや知っていて「明治神宮の森(植林で造られた)」の二番煎じをやったのかもしれないが、どちらだろうがこちらはどっちでも良いのだが、見る人が見ればやはり?でしょう。 

 そして郵便料金の値上げである。
葉書や切手など約三割の値上げとなるそうですが、理由はインターネット・スマートフォンなどの影響で手紙や葉書の使用量が半分ほどになり郵便料金部門が初めての赤字を出したからだそうです。
 しかし、うらやましい話で(本音ではうらやましくなど思っていませんけど)赤字になれば直ぐに料金値上げができるのですからねぇ(一般企業では絶対に真似ができません)。
 しかし、10%の消費税上げの際に郵便料金が上がりました。そして続いて「働き方改革」と名を打った「改革?」が行われたようですが、その後どのような状況が生じたのかと言えば「郵便物の配達が以前と比べて倍以上の日数が係るようになりました」。
 しかし不思議なことに「レターパックなどの高額料金のものは依然と同じような日数で届いています」これって「改革?」ですか?郵便局内に掲示されている垂れ幕「お客様のために」の文字がとてもむなしく感じます。
 このような状況下では宅配業者に取って代わられる日も近いことであろうと想像するが、
その時はまた料金の値上げで対抗するのでしょうか・・・どこか視点が違ってないですか。

 最後にとても気になっている案件があります。
 それは宇宙開発に関わる問題で誰もこのことを口にしませんので、私が警鐘を鳴らしておきます。
 私たちが暮らしている地球は無限に繋がっている宇宙の中の一つの星(惑星)です。
惑星ですから近隣の他の惑星や衛星と重力の絶妙な調和を保って軌道を外ずれずに安定して運動を行っていますが、近年の宇宙開発では地球の大気圏外に無数の人工衛星が打ち上げられています、
 この人工衛星や宇宙ステーションの総重量は幾ら位あるのだろうか?地球の重力に影響を及ぼすほどではないのかもしれませんが、では地球からどれほどの重量が地球外に放出されると自転を含んで他の惑星・衛星との重力に影響が出るのか・・・だれか計算している科学者はいるのだろうか・・・人類の驕りもほどほどにして貰いたいものである。

今年最後のブログ更新になります。皆様良いお年を!と言っても、世界中で戦争が継続し、国内では経済感覚と刑法の知識に乏しい永田町の方々に不満を募らせながら養っている日本国民ですから、良い年など来るのでしょうか。





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「酔龍の独り言:その045」

          [ 情報の発達による他人との距離感 ]

 私たち一般人が情報を手にするようになった手段の移り変わりと、その量に加えて情報内容(対象)との距離感について考えてみた。
私が子供の頃を振り返えれば、目や耳に入ってくる情報はと言うと、新聞・ラジオ・周りにいる人物などから以外に情報が入って来ることは無かったし、自ら情報を得ようとしても、その情報はすでに過去のものであり、現時点の現在情報など知り得ようのない時代であった。
かっこいい!芸能人などの情報は雑誌や銀幕の中か映画館に掲げられているポスターを見る以外に手立てがないので、あこがれはとても強く、その距離感ははるかに遠い存在であったし、新聞などに目を落として三面記事を読むと凶悪犯罪者の顔写真と共に事件の内容が大まかに掲載されている程度であった。
つまり日常的に得られるこれらの情報は身近な事柄ではなくて、ある意味遠いところで起こっている事象だから、日常の生活とかけ離れているような捉え方であったと思う。

 それから少し時代が進むとテレビと言う音と映像が同時に流れてくる情報を受けることが出来るようになりと、それはとても衝撃的であった。
 それまでは映画館で映画が上映される前には必ずニュース映像が流されていたのですからねぇ、そのニュースは数か月前のものであってもnews(新しく起こった出来事)だったのですよ。
映画館に行かなければ音声と映像を同時に受けることができなかった状況から、自宅の居間でその日に起こった事件などの出来事を音声と映像で知ることができるようになったのですから、このことを境に日本人の意識が少しずつ変わって行くようになったのではないかと思います。
その意識とは報道内容の出来事や対象人物との距離感が遠くにあった存在から段々と身近に感じられようになり、近年では手を伸ばせば届きそうな位置にいるような錯覚すら起こしているのではと思えてなりません。

最近起こっている事件などから推察すれば、その原因の一つはまず乱れた言葉からです。
「援助交際」「パパ活」などは「売春」ですし「闇バイト」は「仕事内容が強盗・窃盗・詐欺で、状況次第では殺人に発展するような【犯罪】となる一時的な仕事」ですが、全て見ず知らずの相手にスマートホンと言う情報伝達手段を使って誘い、誘われています。
 彼らにはお金に困っている・仕事がなく生活に困っているからが【犯罪】を犯している理由のようですが、彼らに「犯罪」の自覚は無く、軽いノリのような感覚なのでしょう。
 ここで少し話を別な角度から考えてみますと昔から「言葉が乱れると国が乱れる」という格言がありますが、近年正にこれが日本に当てはまると思っています。
 言葉には「力」があり「意味」があり「歴史」もありますが、これを日本では「言霊(ことだま)」と呼び言葉をとても大切に扱ってきました。
 
スマートホンの検索で「詐欺」「強盗」「窃盗」「殺人」要員を求むなどと掲示しても恐らく誰も応募する者などいないのでしょうが「闇バイト」募集となれば手を挙げるものが相当数いるということですから、もしかすると彼らは「闇バイト」を夜間の暗がりの中で土木作業をする仕事のように捉えているのではと思います(冗談です)。
彼らの中では「闇バイト」=「詐欺」「強盗」窃盗」「殺人」と同意語になっていないことが恐ろしいことで、結局言葉が乱れているからでしょう。
「闇バイト」の「本質」は「犯罪」ですが、「闇バイト」の言葉そのものを表面的な形態で捉えると「暗がりの中で作業する仕事のようなもの」ではないか・・・と勝手に思い込むのでしょうかねぇ。
 やはり形態的に「パパ活」「闇バイト」などの言葉を巧みに創って「本質(犯罪)」を誤魔化し、他人だけではなく自分の心の中まで正当化しているのが現在の社会の側面にあります。

 ごく最近の新聞記事です。
・テレビ局の局長が「善意の方々から頂いた寄付」を着服(鳥取県)。
・弁護士が犯罪(詐欺)に手を染め現在保釈中の身であるにも拘らず、別件で留置施設にいる人物との接見中に自分のスマートホンを使って別人と話をさせたという(広島県)。
・大手通信会社の元幹部による多額の詐欺(東京都)
・援助交際を逆手に取った現役警察官幹部の数件の性的暴行(広島県)。
社会的には尊敬されても良いはずの人物ばかりがこのような犯罪に手を染めていることも現実の一面ですが、まさか仕事がなくて・・・生活に困って・・・などの言い訳は通用しませんよね。

情報が氾濫して世界中での出来事(現在では真偽のほどは不明)がすぐに伝わり、かつて遠き存在であった芸能人や、行ったこともない場所の映像をも手軽で日常的に見ることが出来るようになると、人は錯覚を起こす。
丁度「闇バイト」は「犯罪」ではないような錯覚的感覚になるのと同じように、憧れの芸能人は近所や隣に住んでいるような身近な人となり、行ったこともない場所にはもう既に何度もそこへ行ったような気持ちになる。
その上に交通網の発達によって、距離的にも遠くであった所が身近になってしまい、錯覚的感覚に拍車をかけている。
 霞が関に居る人たちと同じように「机上」で物事が解決できるような気分になるのではないかなぁ、そしてそれが自分の中では疑似的な実態化となってしまう恐れはないか・・・ の不安が残ります。
 これまでは遠くにあったと思っていたものが、手を出せば届きそうな位置にあると思うようになると、人は錯覚を起こして「俺にもその位のことは出来る」「こうやるから捕まるので、このようにやれば捕まることは無い」の様な感覚となり、もう心は「映画や物語の中の主人公です」何でも許されるような気持になるのでしょう。

 便利になることは有難いことですし、楽になることも有難いことですが、便利でなかったことや楽でなかったことは決して悪かったことではありません。
 少しの不便と手間を要していただけです。たったそれだけのことなのですのに「もう元には戻れない」などとほざく者が多い日本の社会となりましたが「有難さ」と「感謝」の心を持ち続けられている間は大丈夫だと思っていますが、それすら感じられなくなる社会となったら、日本は終わります。
日本が終われば世界が滅びます。日本国が世界の要なのにその自覚の欠片すらない千代田町や霞が関ですから、日本丸の行く先は滅びの道標(みちしるべ)へ向かっているかも。





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「酔龍の独り言:その044」

       [ 非人道的・差別とは一体何を指すのだろうか ]

 夏が終わりかけた頃から仕事の依頼が重なって思うように時間が取れず、更新が遅くなってしまいましたが、ここ数年来の内で初めて資金繰りに苦労することなく会社の運営が出来ているので有難い限りです。
 私事はさておいて、地球上ではロシア・ウクライナに加えて中東でもまた戦が再燃して「多くの罪のない子供たちが苦しんでいる」との報道をよく耳にするのだが、私はひねくれ者だからこの言葉にはいつも抵抗を感じている。
 その前に戦の形態から考えると「ロシア・ウクライナ」は領土(なわばり)・思想(価値観・考え方の違い)・歴史的背景の複雑な経緯(ロシアの占領下にあったこともある)などが主な原因であろうと理解している。
 一方中東の戦は原因が複雑すぎてよく理解が出来ていないのだけれど、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・石油の利権・人種問題などが複雑に絡み合った内容のようですが、出発点は同根の宗教と思われるも、長い間の内に人が宗教を扱うと解釈や考え方・作法の違いなどから発した人の都合による根深いものが生じて、親子喧嘩・兄弟喧嘩のような宗教戦争や民族間戦争ではあるまいかと思えてなりません。
 しかし、いずれの宗教も経典なるものがあるはずで、そこには「憎し!と思われる相手は殺せ」と書いてあるのだろうか。いずれの経典も読んだことがないので判らないままですが、おそらくそのような下りは無いと思っている。
 人も動物の一種であるから「なわばり」の意識は強く、外国相手では「国境」となり国内では「隣地境界線」となろうか・・・これに関わる争いごとは人類の長い歴史の中で幾度も繰り返されてきているけれど、その悲惨な結果から何も学んできていないことが最大の悲劇であろうし、本来の宗教が目的とする意味すら逸脱しているのではなかろうか。
 その争いに政治的な思惑や国内の余剰武器を消費したい軍需産業の本音を「友好国への支援」と言う形にすり替えて戦争を煽ってきた大国の卑劣なやり方でどれだけの人達が亡くなったことだろうか。
 話が逸れてしまいましたので戻します。
「多くの罪のない子供たちが苦しんでいる」という報道は裏を返せば「罪があれば殺して良い」とも取れる発言であるから「いたいけな子供たち」「力のない子供たち」というべきではなかろうか。
 しかし多くの解釈がなされている「原罪説」から紐解けば、アダムとイブが犯した罪は遺伝的に受け継がれているとするなら人は生まれ落ちた時から罪を背負っているということになるから、報道の文言は誤りということにもなる。
 人だから文字を含む言葉を使って様々なことを伝えて情報を伝達し交換し、垂れ流したりするものであるが、伝える側と受け取る側の意識や知的理解度・宗教的背景・性別の差などがあれば「話せば判る」は「話しても解からない」となってしまう。
 これが日常の中で起これば、欲が絡み、意見の違いや感情の縺れから、幾ら親しい間柄であっても「諍い」となり「喧嘩」が始まることは多い。
まずは夫婦喧嘩・親子喧嘩・兄弟喧嘩・隣人や職場や学校で・・・と限がなき程日常的に起こっているのである。
この喧嘩が大きくなったものが多国間の「戦争」であるから、この世から「戦争」は決して無くなることはないと思っている。
そして戦になれば「非人道的兵器」や「非人道的行為」などの言葉や文字が報道者達から流されるが「戦」そのものが命のやり取りだから「非人道的」であるはずなのに、その戦の中で使われている兵器の一部だけを「非人道的」というのは戦争を容認している言葉の裏返しであろうし、無抵抗な一般人を殺害することは「非人道的」だと言っても、銃や大砲の弾にミサイルは一般人と兵士の識別装置など付いてはいないだから巻き添えになることもあろうというものである。
報道者達が勢い込んで「非人道的な爆弾が投下され・・・」と言うけれど、通常の爆弾で殺害することは「非人道的」ではないのかと不自然な言葉使いに思えてならない。
何処か何かを上面な綺麗ごとの言葉で誤魔化しているように感じているのはひねくれ者の私だけなのだろうか。
 
そして又ハローインの騒ぎがやってくる季節になりましたが、昨年だったか隣国で多数の死亡者を出した他国発祥の祭りである。
多くの人達(圧倒的に若者が多いと感じています)が例年のように渋谷の交差点周辺に集まって酒を飲んで騒ぎを起こしているので、きっと今年もそうなるのでしょう。
しかし、なぜ渋谷の交差点なのか、何のために集まるのか、日本で長く受け継がれてきた伝統的な「秋祭り」の時期なのに、それには目もくれず、意味も解からずハローインの祭りに参加?するのは何故(主催者なしの集団だから、最早暴徒に近いのでは・・・)。
これはハローインに集まる全て人の心の中にある「不満」「自己顕著欲」などの発散場所と捉えるなら、何とも心が満たされていない日本人が多いことだろうと寂しくなります。
外国人が集まって騒ぐのは自国の祭りであるから、良かろうと思うけれど、日本の渋谷の交差点でする祭りなのか?祭りを行う場所が違っているよねと言いたくなる。
東洋の思想には「君子危うきに近寄らず」の言葉があるのだけれど、私などはハローイン当日の渋谷交差点は「危うい場所」と思えますが・・・。






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「酔龍の独り言:その043」

        [ 有名企業が社会の手本となる日は来るのか ]

 「ビッグ モーター」と言う車の販売や修理を行っている会社が(保険の代理店も行っていた)、通常感覚では考えられないような修理の形態を取っていたことが発覚した。
更に店舗前の緑地帯に植えてある樹木や草花を枯らす目的で除草剤を撒いていたと言うのである(いま日本で売られているこの除草剤は、かつて米軍がベトナム戦争委で使った悪名高き枯葉剤と同じ成分ではないかと何かの本か記事で読んだことがあるが検証はできていない)。

 聞いたところでは出自は山口県岩国市の企業で、創業者は一代で大きな企業に成長させたようであるが、その業務実態の中には、事故にあった車の修理を依頼されて持ち込まれた車体に更なる傷や凹みを修理工場内で付け加えて修理金額を上積みさせていたと言うのだから開いた口が塞がらないとはこのことである。
 このような経緯に至ったのは、修理などは保険金で支払われるのだから修理費は膨らむほど企業利益が出るし、誰も困るわけでもないから・・・と言うのがこの企業が描いた筋書きだったのであろう。
そう考えれば良心が咎めても、なんとなくそこを乗り超えられたに違いない。
 また除草剤を撒いたのは「生えてくる雑草を撤去するのが負担になっていたから・・・」
と言っている社員の映像を見たような記憶があるが、これは明らかに綺麗ごとな答弁であり実際はそうではあるまい。
 多くの地域で同じように除草剤を撒いて樹木や草花を枯らしたのは会社の指示であり、目的は多くの人に見て欲しい車の展示場なのだが、車に乗っている人からの目線を遮る樹木がとても目障りで仕方がなかったのであろうと思っている。
一度に大量の除草剤を撒くと直ぐに樹木が枯れた原因を追究されそうだが、長期にわたってすこしずつやれば自然枯れに近いように見せ掛けられるとの思惑もあったのであろう。
であれば、双方ともに実に狡猾な手法だよねぇ~悪知恵が働くと言えばよいのだろうが、性根の厭らしさや意地汚さが滲み出ている。

しかし、企業がこのような状況下に陥ってしまったら車の修理が目的であるはずの企業理念は何処かへ行ってしまい、金を儲けることだけが目的となってしまって、もう企業の形態を保てなくなっているのに、そのこと知っていたにも拘らず目を背け、正そうとしなかった社員にも罪はあるでしょう。
新たに車に傷をつけることは犯罪であるから、いくら生活の懸かっていようと、上司の命令だったからなどの言い訳は通用しないはずであるが、密室で行われる作業だから、その認識も薄かったのだろうか。
 でも結果的にはこのように白日の下に晒されたのだから、遅かれ早かれ、いずれ・・・の域を出ていない。
そう考えると、告発者は恐らく修理工場に勤める社員の一人ではないかと想像しているが、これは推測の域を出ていない。
当のこの会社は昨今会社の運転資金の資金繰りに奔走しているとの情報であるが、不当な利益で会社を大きくしても、結果的に社員を路頭に迷わせるような方向へ導いていった経営者の罪は大きいし、有名な企業でありながら社会に対する信頼を大きく損ねたことが最も許せないことであるが、同じく手に手を取って蜜月を過ごしていた被害者面をしている大手損保会社も同罪であろう。
多くの損保社員を車屋の方へ出向させていたというのだから一連の内容を知らなかったはずはなく、こちらも金のために心も魂も売ってしまっていたに違いない。
いずれも想像の域を出ないけれど状況証拠からの推察であるから違っているとも思えないのだがねえ。

特に車屋さんの方は一代で築き上げた立志伝中の人物であるから、人生の目標にしていた人もいるのではないかと思うが、中身は単に土器に金メッキを施していたにすぎないことが判明したということでしょうか。

しかし、この車屋に限らず「東京オリンピック」に関わる古参の古狸連中がやってきた意地汚い利権とそれに群がる企業や著名人達。
「新型コロナ」の検査・調査や統計に加えて補助金に関する不正申請(100億円を超えるものまであるとか)による件は不正であるとわかってやっていることですから、これらはもう詐欺事件ですよ。
先進国と言われている日本国にある有名企業や有名人たちがその名を連ねているのである。
情けない国になりましたねぇ~もう元には戻れないでしょうか・・・。

内容は変わりますが、先日の読売新聞朝刊一面にある「編集手帳」に次のような文が掲載されていた。
 小学校には昔、畳の部屋があった。「作法室」と呼ばれ、正座やお辞儀の仕方を教えた◆東京市の臨時建築局長に招かれた建築学者・佐野利器(としかた)は作法室などいらないと、当時の教育関係者と対立した。関東大震災では100校以上の市立少が消失した。再建にあたり、佐野は耐震・防火にすぐれた鉄筋コンクリート造の設計図に水洗トイレや蒸気暖房を加えた◆大正期に建造を始めた「復興小学校」は今も銀座などに4校が残る。モダンな外観が行き交う人の目に留まるが、第一の目的は意匠ではない。暖房や水洗トイレは避難所としての活用を模索したものと伝わる◆今日で関東大震災から100年になる。防災の歩みも、
それだけの歳月を過ごしたといえる。佐野博士は東京帝大の教授時代、なじみ深い言葉も世に残している。建物が地震から被る力を「震度」と呼び、世界で初めて数値化した。
この論文の発表は震災の10年程前にさかのぼる◆慧眼というほかはない。いち早く都市の危険に気づき、住民の命を心配した人のようである。お人柄を知りたいところだが、生前の面影を映す資料はあまり残っていない。

 良くできた文であり、いつも読むのを楽しみにしているのだが、今回は少し引っかかった。
それは「作法室」はいらないと言った下りである。当時の作法室は正座やお辞儀(礼儀の一環)を教え伝える役割のために設けられていたものだと理解している。
現在から考えると新しい家のほとんどに「和室」など設けられてないから「正座やお辞儀」など不要の社会状況下となっているけれど、「作法室」は正座やお辞儀を学ぶことを通じて、人と人が関わり合うこの世での「礼節」を身に付け「恥」を知り「分相応」を知るための入り口ではかなったのかと思うばかりである。
これらを失った現在において、清潔で耐震性の優れた建物は手に入れたようだが、中に住まう人間の方が「慇懃無礼」「恥知らず」「身の程知らず」となっている予想を佐野博士は震災の10年程前に予測はつかなかったのだろうね。





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「酔龍の独り言:その042」

             [ マイナンバーカード ]

 書くには遅きに失した感がありますが、書かなければならないと思いますので書きます。
諸問題満載で未だに国民の理解が得られていないまま不鮮明と疑惑の総合商社化しているマイナンバーカードだが、政府は現在の健康保険証を廃止して令和六年には完全にマイナンバーカードへと移行させたいと言っている。
 ここで内容が誠に持って不鮮明であり、国民が中々納得出来ていないうちの幾つかを列挙して考えて見ようと思う。
① :まず現在の健康保険証の制度下で、これまでに何らかの不都合が生じていたのかと言えば、全くそのようなことは無いのだから何故マイナンバーカードと一緒にしなければならないのかの疑問が湧いてくる。
② :次にマイナンバーカードに健康保険証を紐付けると、病院や診療所の手続きに新しく読み取り機械を設置しなければならないことになるので医療機関に設置費用の負担を押し付けることになるから結果的に保健料の値上げにも繋がるかも・・・。
③ :加えて年金の受け取り口座や銀行口座をも紐付けするのである。
④ :自動車運転免許証も紐付けする予定のようである。
 
 大きいところではこの四つだろうと思うけれど①についてはどのような疑いの目と心をもってしても現行の健康保険証を廃止する意味が判らず理解が出来ないので、こうなると間違いなく隠された利権が絡んでいる以外に他無く、それは恐らく既存の天下り先に何らかの利権を紐付けたか、いや若しかしたら新しい天下り先を造ったに違いないと思われるので、結局意味もなく良く解からないことを法制化してまでやろうとすること自体が目眩ましであり官僚の天下り先製造の常套手段であると思っている(個人の感想ですけどね)。
 ②に至っては、現状で既存の健康保険証が正確に紐付けされておらずマイナンバーカードを読み取り機に掛けると他人の保険証が出てきたり、該当なしと表示されたりする事故が多発しているようであるし、急激な医療事務の変更に対応できていないこともあろう。
またデジタル方式なので健康保険証を家に忘れて来たのとは違って、これまでのように後日健康保険証を持参することも出来ず、自らが健康保険証の当事者であることを証明することができない上にデータを書き換えることも出来ないのだから、当日は診療費用の十割(全額)を支払い、いつ正確なマイナンバーカードが送られてくるものか、正確なデータ処理がいつ終わるのか、など判らないまま待つだけとなり、その間は診療費用七割分の立替払いを続けさせられることになります。
これを便利と言うのかそれとも、逆にとても不便になったのか判ったものではない。
③については明らかに国民の個人資産を丸裸にしようとしている魂胆であろうことは見え見えであり、新札発行時に絡めて国民が所有している現金の全てを把握しようとしていることは明白である(新札発行時には旧紙幣は全く使用不可能となることからもその魂胆が垣間見える・聖徳太子も福沢諭吉も樋口一葉も使用できない日本の経済社会となります)。
⑤ については何故だろうと少し疑問に思うのは、国家資格の全てを紐付けするのなら、有資格者の全てをも把握したいのか・・・とある程度の理解が出来るが、自動車運転免許証だけを紐付けするのは何故だろう(ただ単に数が多いからだけだとは思えないのだけれど)。
 と言うのも日本の行政は縦割り行政だから、他省庁の内情の調査や把握がとても困難なので、一本化しようと言うのならまだ判るが、そうなると日本はマイナンバーカードを統轄している総務省だけあればよいと言うことになるが、絶対を付けて良いほどそうとはならない(他の省庁が利権を手放すことは無いからねぇ)。
そしてマイナンバーカード移行業務を請け負っているのが大企業の「富士通・日立製作所・NTTデータ・NEC・日本IBM」であるが、これらの中にはシステムの不備を起こしたり、データ移行業務を中国企業に一括下請けに出したところもあるようだから、未完成のソフトで業務を受注し、自社の金儲けの為なら国民の個人情報を外国に売り渡してもよいのかと言われるようなことを平気でやっていると言われても仕方があるまい。
 それにしても、マイナンバーカード移行に一人2万円の給付をしてでも「やりたい」の本音はどこにあるのでしょうかねぇ~本当に不思議ですよねぇ~。
何らかの思惑でも無ければ国が国民に対して金をバラ撒くことなど決してすることは無いから・・・総額で2兆円ですよ。
私は最後の一人になってからマイナンバーカードに移行しようと思っているのですが・・・。 
 でもデジタル省の手続きの申請は相変わらず「紙」で行っているそうですよ。





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「酔龍の独り言:その041」

             [ 少子化対策の追加と働き方改革 ]

 「少子化対策の追加(女だって社会で活躍できれば面白い)」

仕事が忙しくてブログの更新の原稿を書く時間が思うように取れず遅くなりました。

近年欧米の真似をして、いや欧米に阿(おもね)いてか、女性の管理職を三割以上にすることを法制化しようとしているようである。
恐らく制定される法文には女性の管理職となるに相応しい能力を持ち合わせているか否かは記載されないはずである。
女性の管理職を3割以上にする内容は「形態」の話であり、その管理職に相応しい能力を有しているか否かは「質」の話しである。
日本の政治家も官僚もやはり「質」を扱うことが苦手なようで、能力を問わずして女性管理職を三割以上にしろと平気で謳い込もうとするのだから始末が悪い。
 該当する能力を有する女性がいなくとも、法律で三割以上とされれば、能力不足の女性管理職を生むことにもなるから、その下で働く部下はその日から地獄の日々が始まるであろうし、社内で不要な軋轢を生むかもしれないことなど想像できないのだろうか。
 管理職は性別を問わず経営管理能力を持ち合わせてさえいれば、何ら問題は無いのだけれど、一律に女性管理職を三割以上とされればねぇ。
女性蔑視ではありませんので、誤解無きようにして頂きたいのですが、男と女の特性について論じることなく無視して、一律に法制化は問題であろうと言うことです。
話が少し逸れ気味なのですが、男と女については理念や観念で捉えると「平等」になってしまいます。
しかし体が持つ特性や機能面の違いに加えて、感覚・感情面から捉えると「不平等」で全く別な生き物ですよ。
これを論じ始めると長~い文になってしまいますのでここでは割愛して、結論のみにしたいと思います。
女だって社会に進出して活躍できるようになれば今までに味わうことの無かった「面白さ」を知るようになります。
能力のある優秀な女ほど社会の中で活躍の場を広げて行き、信頼も信用も身に付けて高額な報酬も手にするようになるのは自然な姿です。
そうなると家にいて子供を産み育児をし日常の生活面を支える(これは女の本能)よりも、社会に出て活躍する方(これは男の本能)が面白くなるから子供を産もうとは思わなくなっても不思議ではない。
女の本能を無視して社会に進出しなければ生活ができない社会にしてしまい、その上社会進出を法律で煽るようなことをすれば益々小子化は加速するであろうことは間違いない。
日本に限らず人口が増加していた時代は女が社会で活躍していなかった時代であると確信している。恐らく現代でも変わらないのではないでしょうか。
尤もこれは観念が作り上げた社会「男も女も同じ能力を持っている」という現代人の脳が錯覚をしているだけだと思うので、昔の人の方が偉かったように感じます。
男と女の特性や能力・機能面の差と、この世に於ける役割の違いをちゃんと捉えて認識していたからこそ「男女7歳にして席を同じゅうせず」があったのだと考えていますので、「教育」も別が良い様な気がします。


続いて「働き方改革」について少し考えて見ましたが、よく解からないので、この言葉そのものの意味から考えてみると、今までの「働き方」に何らかの問題があったから「改革」すると言うことでしょうから、何の問題があったのかをはっきりささなければただの「空論」で終わってしまいそうですよね。
法文の内容を詳しく照査したわけではありませんが、どうやら労働者に対して「働く時間に残業を含めて制限を設けろ」「休みを取らせろ」などが主なところでしょうか。
数年前からNHK「チコちゃんに叱られる」の中で「働き方改革のコーナー」と名を打った場面が出てくるが「社員に大型連休を取らせるためにといいながら、チコと芸人の二人だけがその場面に出演して、照明も暗くしている」形態だけを見ていると、うっかり納得して騙されそうになるかも知れないが「本質」で捉えると「チコと芸人の二人だけで出来るのなら」今までの内容は余分であった(やらなくてよいことをやっていた)と言う事にならないか?またその一場面だけ照明係りなどの人を減らしても、照明さんは傍に控えているのだろうから、口先だけの改革で、それが大型連休を取れることに繋がることにはならないだろう。
 郵政事業も同じことをやっていて、土日の郵便物の配達をやめてしまった。
そのお陰で郵便物が届くのが今までの三倍近い日数を要するようになったのは皆さんも実感しておられることと思います。
つまり働き方改革とは「消費者に不便を与えることで成り立ち」「消費者にとって余り意味のないことによって成り立ったっている」ということでしょうか。
しかしここまで来ると日本はもう「共産国」と同じだね。情けない国になってしまった。






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「酔龍の独り言:その040」

                [ 少子化対策その五(最後) ]

 「少子化対策その五(ローンと言う先取り経済を認めた政策の失敗)」


 団塊の世代と言われている筆者と同じ七十五歳前後の老人達が子供の頃(六十五年ほど前の頃ですかね)には社会全体として次のような風潮があった。
 「勤め人(サラリーマン)は借金をしてはいけない」が鉄則のようにあったし、銀行は企業や商売人には金を貸しても、勤め人に金を貸す仕組みは無かったのである。
では勤め人が高額な商品を求めたい場合はどのようにしていたのかと言えば「月賦(げっぷ)」と言われていた仕組みが当時にあったけれど現在では死語となってしまっているようです。
高額な商品を勤め人が手にするのは二通りの方法があり、その内の一つは「高額商品が買えるまで毎月少しずつ預貯金をしておく」か「月賦」で購入するかである。
「月賦」の購入方法は商品を売る「商店」に対して現金で一括購入できない商品の購入金額を12回払い・24回払いなどのように返済の回数と金額を決めて毎月「商店」に支払うもので、現在の「ローン」と言われているものと比較すると購入者が月々に支払う方法は同じようにみえますが、中身の仕組みが全く異なります。
「月賦」は安定経済・実体経済と言ってよいと思いますが「ローン」は架空経済・先取り経済と言うことになると思います(私は経済には本当に疎いのですが、この位の仕組みは判ります)。 
 「月賦」の仕組みを簡単に説明すれば消費者が120万円の商品を12回払いで購入すると、月々の支払いは10万円となり、毎月10万円が商店に支払われて、そのお金が社会(市場)に流れる仕組みですから商品代金120万円の全額が社会(市場)に流れるには12ヶ月の期間が必要になります。
 しかし「ローン」は全くの別物で、同じように消費が120万円の商品を12回払いで「ローン」を組むと「銀行」から販売元の商店には数日後120万円が支払われます。
しかし、消費者がその「ローン」を完済するには「月賦」と同じ12ヶ月の期間が必要になるのだから、本来12ヶ月先でなければ社会(市場)には生じないはずの金が一気に社会の中に流れて行くのですから確かに経済は発展するでしょう、しかしこれは明らかに「架空の経済(本来12ヵ月後にならなければこの世に生じないはずの金が今日の時点で市中に流れるのですから)」ですよ。

同じように団塊の世代が子供の頃には「家」を新築するのは「三代」を要すると言われていましたから、山を所有している方は「杉・檜・桐」を植林したものです。
爺さんの代に家を新築した後に植林(家を建てる時に使う木材にするため)を行い、貯蓄を始め、息子の代も同じように貯蓄に勤しみ、孫か曾孫の代になってから家の建て替えができるようにと3代~4代に渡って金も貯めていたそうである(勤め人が家を建てるために借金をするなど考えられないことであったし、銀行が金を貸すこともなかった)。
また百年近く経つと植林した木材も十分に柱や梁に使える大きさになっているので、かつての日本では「家(住まいの家ではありません)」を中心としたものの考え方が普遍的で3代の家族が同じ方向を向いて力を合わせることが出来ていたと言うことでしょう(今では考えられないことですよね。戦争に負けて以来自分勝手ばかりが目につく世の中になってしまいました)。
時代が、時がゆっくりと流れていた明治・大正・昭和の時代だったのでしょう(当時の世界情勢は悪の枢軸である欧米が世界中を植民地化している時代のことですから、戦が避けられない慌ただしい世情であったにも拘らず、人の心はこの様にゆっくりと大らかであったと思われます)。
それに比べて今の日本では二十代(意識や能力は子供に近いが・・・世の中では大人と認められています)の若い夫婦が「ローン」を組んで、いとも簡単に四千万円近い土地付きの家やマンションを購入している現状をどのように捉えればよいのだろうか。

いや、若い人が家を建てていけないと言っているわけではないのです。
「ローン」と言う架空の経済を導入したものだから、若い人が簡単に家を手にすることができるようになったため急激に核家族化が進む要因となったことが問題だと思っているのです。
家族三代が同居しなくなったから、お互いが力を合わせ、助け合うこともなくなってしまったし、長年人間の世界で生活を続けてきて身に付けた技術や知恵に工夫を若い家族が学ぶ機会を失ってしまったことが大きな損失であることに気づいている方も少ないであろう。
 このような表現は今の時代においては敵愾視されそうですが、釣ってきた魚が捌けない・衣類の繕いが出来ない・おせち料理が作れない等などを鑑みて「それで女か!」と言いたいのですが、本来男と女は平等ではありません「人権についてだけは平等」その他は「体の仕組み」や「ものの捕らえ方・考え方」生活面での「役割」など全てが「得て・不得手」があり平等の能力を持ってこの世に出されていないのに、それを「差別」だと言って同じにしようとする事柄自体が「本当の差別」であることに気づいている人も少ない。
極端な例を言えば「男に子供を産め」と「女に子供の種付けをしろ」であろうが、出来るわけが無い。そもそもこの世に人として出される時の役割が違うからであるが、これが最も大きな役割の違いであろう。
 からこの件に関してのみ誰も平等を持ってこないし同権を叫ばないが、そのほかの何となりそうな部分は平等・同権と騒ぎ立てる。
何故騒ぎ立てるのか!そもそも男と女が同じ力と能力を持っていれば、誰かが騒がずとも自然に男であれ女であれ、それぞれの能力に相応しい役職や地位に就いているはずなのに、そうなっていないのは役割の能力に大きな差があるからであって、差別をしているからその重要な役職や役割に就けていないわけではない。
しかし我が国では法律で西暦何年までには女性の管理職を30%以上にするなど、本来人としての姿を歪めるようなことを行おうとする馬鹿政治家なのか官僚なのかは判らないけれど、もう少し歴史を学び様々な角度に立って視野を広げてから政策を行って欲しいと思うばかりである(外国は外国であり日本とは国の生い立ちと国民の質が違う。質の低い方へ流れる必要などないし、真似をする必要などあるまい)。
関連しているとは言え、話が少し逸れてしまいましたので、元に戻します。
 母性というものは我が子には「自分が学んで身に付けた知恵や工夫に知識と技術」を伝えたいと思うものであるが、今の若い母親に我が子に対して伝えることができるほど身に付けた「知恵や工夫に知識と技術」があるのだろうかと疑問に思うばかりである。
 女としての能力を身に付けるよりも、スマホを使い何でも金を支払うことで解決する方法を身に付けることは女としての「器量」を上げることにはなっていない。
核家族が進んだお陰で女としての器量は下がりっ放しとなり、生活面での知恵や工夫に技術は次の代へ受ける継がれることさえなくなってしまったのである。

今まで述べてきたような事柄全てが小子化と言われている要因を少しずつ担っているで、小子化はこれさえ失くせば解決するので、子供は増えると言うような単純な事柄ではない。
自分で小子化となる要因の一つである核家族化政策を推進しておいて、小子化となったから何とかしなければとは笑ってしまうし、金(補助金)を出しさえすれば子供を生むだろうなどの低次元の発想しか出て来ない政治家と官僚ではこの国将来は本当に危うい。

尤も一旦このような流れを国の中に造ってしまうと、そう簡単には元に戻れないし、新しい発想へ向かうことなど至難のわざとなろう。従って現状の発想以外出来ない政治家と官僚では少子化問題を解決することなど絶対に出来ないと明言しておく。






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